平穏な日々
王都についてからの日々は思いのほか、めまぐるしく過ぎた。
教養についての授業は不要だったけれどダンスや礼儀作法は身体が忘れない程度にしたいと願い出て。フレイアはその他の時間を絵画や裁縫に充て、探究科受験に向けての勉強も進めていた。
リーナはヒルデと共に様々なレッスンを受けていて。礼儀作法は難儀しているようだがその他の授業ではヒルデの良いお手本になっているようだ。
ちなみに姉としては忸怩たる思いだが、絵画や裁縫はリーナが圧倒的に上手で。その腕前はフレイアの前だと強張った微笑みしかしない教師が見たことがないほどの満面の笑みを零すほどで……フレイアは密かに悔しさを噛み殺したものだ。
本来九歳の令嬢はまだ声がかかるような存在ではないが、セラスと知り合ったのが大きかった。
セラス本人の誘いをはじめとして、セラスとお近づきになりたい者やルーンベル伯爵家に縁を作りたい貴族や商人からの誘いがどっと増えた。
列車の開発に一枚かんでいることが公表されていることも大きいのだろう。
ちなみに最も矢面に立っているのはエルムスで。
十三歳のエルムスの元に押し寄せる縁談は常軌を逸した量になっていた。
「『前回』も含め、これまで婚約者を決めていなかったのがそもそもあり得ない事だったか」
父と呼んで久しいスカーレットが困ったように首を傾げ。フレイアも頷いた。
『前回』のルーンベル家は財政も不安定で治安も悪く、なによりエルムスに伯爵家を継ぐ気がなかった。
エルムスは婚約を拒否し、学園に通い始めると家にもあまり帰らなくなり、最終的には隣国に留学してそのまま商人となり、現地の女性と結婚した。
故にフレイアがエスメラス侯爵家の三男であるライアスと婚姻を結び、伯爵家を継ぐ予定だった。
よく思い出せないが最初はリーナにはもっとふさわしい相手がいる、と両親は言っていたのに、いつの間にか……リーナがそう望んだからだろう、ライアスを婿に迎えてリーナが当主のような立ち位置になるという話に変わっていたものだ。
「お兄様の意見はどうなのでしょうか」
「継ぐつもりはあるようだけど婚約者の話をしたら何故かはぐらかされてしまってね」
「まぁ……まだお茶会に参加されて間もないですし、これから良い出会いがあることを期待しても良いかもしれませんが……」
侯爵位以上の上位貴族ならいざ知らず、財政的、利権的に弱みのない伯爵家は婚約を急がないものだ。
とはいえこうもエルムスに求婚が集中しているとエルムスの精神状態に良くないとも思う。
「お兄様に意中の相手が居れば何よりなのですが」
ふっと息を吐いてフレイアが呟くと父が微苦笑を滲ませた。
「……辺境伯家でクラヌス様やウルカンと会ってからは列車にのめり込んでしまったからね」
「えっ? 初耳なのですけれど」
「うん、言いづらかったんだよ」
フレイアは微苦笑を返して、兄が困らない限りは婚約者探しはまだ先でも問題ないかと考えた。
列車に夢中になっていてもそれを受け入れてくれる女性が果たして現れるだろうかという心配はある物の、熱中できるものがあるのなら兄が病む心配はないかもしれないと思った。
「『前回』とどれほど変わっているのか把握するのも一苦労ですね」
フレイアが溜息交じりに呟くと父が微笑む。
「もう『前回』の片鱗もないのだから気にしない方がいいと思うけれどね。仮に今回、以前起きたような流行り病や不作があったとしても『遺物』の研究が以前とは比べ物にならないほどに盛んだし『前回』には脚光を浴びなかった『ギフト』も注目されたりしている」
父の言葉にフレイアは頷いた。
脳裏を過るのは『前回』ずっと一緒だったメイドのマリアだ。
本来であればフレイアが八歳の時にエマについてフレイア付のメイドになるはずだったのに、触れたものを柔らかくする『ギフト』があらゆる分野の技術者から注目され、各方面から声がかかっているらしい。
そのまま最新の技術に触れるうちにマリアは母のエマと同じメイドではなく、技術者になる道を望んでいるという。
マリアに会えないのは少しだけ寂しいけれど、マリアの望む道が見つかったなら何よりだとフレイアは密かに祝福をしたものだ。
「技術者のマリアと兄が運命的な出会い……なんてことになったら面白いのですけれど」
うっかり口にしてしまってからフレイアは口を噤んだ。
唇に手を当てていると父と目が合う。
流石に魔力を込めていなかったので『ギフト』が発動することはないと思ったけれどいまのは願望だ。
迂闊だった、と思いながら唇を噛んでいるとわらわらと輝く光が集まってきてそうだ、こちらも問題だった、と思い出す。
『面白いとおっしゃいましたか?』
『縁結びですか?』
『叶えたい願いが見つかったの?』
『違うわ。冗談だから叶えないでね』
念じると少し不満そうにふわふわっと漂った光が消える。
迂闊に冗談も言えない、と思いながらフレイアは自戒することにした。
「ねぇメナーディア」
夜。フレイアは自信満々に声を掛けた。
──なんだ、もう嫌な予感しかしないんだが。
「なんでよ。トルソーだとやっぱり味気ない気がするから新しい身体を用意したのに」
にっこり笑ったフレイアは布の鞄に入れた人形を揺らした。
今度は自信作だ。
姉として少し……いや結構複雑ではあるけれど。
なんといっても見かねたリーナがたくさん手伝ってくれたのだから。
どうやらリーナは貧しい生活を送っていた頃に、お針子の真似事をさせられていたらしい。
刺繍の可愛いドレスも作ってくれたのでヒルデが羨ましがるほどだった。
このくらいならすぐできるから好きな生地で作ってあげる、とヒルデに言ったリーナは……悔しいが理想的な姉の姿をしていて……やっぱりけっこう悔しい。
思い出して俯いていると裸のトルソーが歩いてきて布の鞄を開けた。
中に入っていたのは可愛らしい緑色のドレスを纏った女の子のお人形だ。
なんと不安定だが二足歩行で歩くこともできる。
メナーディアが見たら私が入るには幼すぎる、なんていうかな、と思っているとトルソーが膝をついて嘆くようにテーブルクロスの上に突っ伏すのでフレイアは慌てた。
「メ、メナーディア……?」
──お……おぉ、おおぉ……うれしい……真っ当な、真っ当な……人間の姿をしている……
「何故かしら……私、悔しいのだけれど」
──うぅ……この罰かと思うような生活も終わるのか……
リーナと言ったな、何か礼をしなければな……
「ちょっと」
聞き捨てならないことを言われたフレイアはむっとした。
一生懸命作ったのに、罰と言っただろうか。
もう一回過去作に押し込めてやろうかと考えたけれどそれはそれで自分の過去作が『罰』になることをちゃんと認識しているようで複雑だ。
「もう……いつか自作の人形に入れて感動させてみせますからね」
フレイアは忸怩たる気持ちを押し殺してそう宣言し。
──無理をするな。人間、限界というものもある。
珍しくメナーディアに純粋に気遣われたフレイアは唇を尖らせ、『ギフト』を使ってメナーディアを新しい人形に放り込んだ。
──随分と、人間らしくなったな。悪くない。
その時になって実感した。
メナーディアは数多の罪を犯したとはいえ、メナーディアの命の終わりを決めたのは、外ならぬ、自分だということに。




