便利で不便
「はじめまして……フレイア様」
紆余曲折を経てリーナは本邸に移動することになった。
あの夜を境に黒髪の女性への恐怖心は消えたようで。
こちらを見ても怯える気配はなく。むしろぽーっとした眼でこちらを見ている。
「初めまして、リーナ。私達は姉妹になったのですから、よかったら姉と呼んでくださいな」
リーナは従妹だがルーンベル家次女として受け入れることになった。
微笑みながらそう告げて……自分が『前回』と同じことをリーナに言った事を思い出す。
『前回』の自分はまだ母の死の哀しみに暮れて。それでもリーナを受け入れるという態度を示そうと必死だった。
あの時のリーナも、ぽわっとした顔でこちらを見ていたけれど……継母から吹き込まれたのだろう、数日後には自分は蔑み、虐げる対象に変わっていた。
だが、あの頃とはなにもかも状況が違う。
「ありがとうございます、お、お姉さま」
照れたようにリーナがぎこちない口調で自分を呼び。
「おねえさまは、私のおねえさまです。わたくしはあなたの妹ですが、フレイアおねえさまの妹ではおねえさまなので、おねえさまのお膝に乗るのは、私が先です」
黙って見ていられなかったヒルデが口を挟んだ。
「意地悪を言っては駄目よ、ヒルデ」
「でも、おねえさまはわたくしの、おねえさまなのに」
「ヒルデにはお姉さまが増えたのよ。リーナが良いと言ったらお膝に乗せてもらえる時間が増えるわ」
「あっ」
フレイアが咎めながら微笑むとヒルデがぱっと顔を輝かせる。
ヒルデは期待を込めた眼をしてちらりとリーナを見上げ。リーナは思わずと言ったように笑っていて。
ほんの少しだけほっとする。
「僕も弟が欲しいな」
その様子を見たエルムスが零し、フレイアは曖昧に微笑んだ。
ありえなくもない話だったせいだ。
『やだー姉妹尊い。かわいいー』
『弟か妹ができるかは確率ですがね』
『養子をとられる予定はないようです!』
『実子ができる可能性の方が高いと思うわよ』
ちらちらと視界の隅で光が飛び回る。
『……やめて』
心で念じるとさざめく声が消える。
それがまだ救いだが知りたくないことを偶然知ってしまうことが最近増えたのは彼らのせいだ。
「落ち着いて訊いてほしい」
そんな日々を過ごしていた最中。父に呼び出されたフレイアは重々しい一言に思わず姿勢を正した。
「ルフェウス殿下が列車の視察をするために辺境伯領へ向かわれる」
父の言葉に思わずフレイアは息を飲んだ。
「それで……その道中、伯爵邸に滞在されるんだ」
「この時期に……ですか?」
いろいろと思うところはあるけれど気になったのはそこだ。
いまは社交期前の大切な時期で。
まだ十三歳で王位継承権を放棄しているとはいえ第一王子のルフェウスは多忙だろう。
「アウレアとは停戦しているが和平を結んだわけではない。東の護りを見たいんだろう……あとはミネルと婚約したラクレスのことも知っておきたいんだろう」
父にそう言われてフレイアは納得した。
ルフェウスは記憶を失っていてもルフェウスだ。
合理的で効率的で……情に厚い。
「会わないつもりか?」
すべてを察したような顔をして父が問いかけてくる。
「はい……というか会ってはいけません。ルフェウス様には婚約者が居らっしゃいますし、もしもこの視察でルフェウス様と懇意になってしまうようなことになったら伯爵家の今後に関わります」
視察先の伯爵家で伯爵令嬢と懇意になる……それはルフェウスの婚約者フェルメーシュの実家である南の大貴族、アルカインド侯爵家に喧嘩を売る行為だ。
アルカインド侯爵家は南部最大の商都を擁し、国家をしのぐとすら言われるほどの財力を持っている。
さらに南部といえば鉄が産出される鉱山が多い。
確実にアルカインド家が元締めであるため、何があっても敵に回してはいけない家のひとつだ。
「そうだな……申し訳ないが……」
「いいえ」
心底申し訳なさそうな顔をする父にフレイアは微笑みかけた。
ルフェウスに会いたい気持ちはあるけれど。この一年足らずで漸く、『前回』とはまるで違う今を生きている実感がわいてきたのだ。
不気味な第三王子やうっかり交流を持ってしまった精霊たちなど、心配事は尽きないけれど少なくとも自分は『前回』とは比べ物にならないほどに幸せだった。
社交期の準備といっても九歳の子供であるフレイアには特に用意などなかった。
セラスと友人になっていなければ領地で過ごすことも考えていたほどだ。
ラクレスと婚約したミネルは先代王妃と共に王宮で恙なく過ごしているそうだがしきりにルミルに会いたがっているようだ。
きっとまた離宮でのお茶会に招かれるだろう。
フレイアは第三王子のことさえなければ平穏無事なのに、と思いながら。
探究科の入試に備えて勉強を始めた。
とはいえ過去問題のようなものは出回っていないので何を学べばよいのかもわからない状態だ。
取り敢えず魔術に関わる知識があればいいのだろうというメナーディアの助言で魔法の理論……ではなく絵の練習をする時間が増えた。
そのお蔭でかなり絵は描けるようになってきたし、練習していた裁縫も犬のぬいぐるみがクマに見えるくらいにはなってきた。
メナーディアはよほどトルソーが気に入ったのか新しく作った人形に入ってくれなかったけれど。
頑張って作った人形はリーナとヒルデが喜んでくれた。
そして。父からルフェウスのことを訊いて半月が経った、冬の終わりの日。
ルフェウスが邸宅を訪れた。
デビュタント前の子供ということで父母と兄がルフェウスをもてなす間、フレイアはリーナやヒルデと一緒に部屋で過ごした。
リーナはあっという間に伯爵家に馴染んでいき。ヒルデは遊びの種類をたくさん知っているリーナに良く懐いていた。
そんなふたりを微笑ましく見守りながら、フレイアは年相応にうずうずとする想いを抱えていた。
当然、ルフェウスとは会ってはいけない。
けれど遠目に、ひと目だけでも見たいと思ってしまっている自分が居る。
体の年齢に精神が引っ張られているのだろうか。
それとも大人ぶっているだけで自分の精神もまた、まだ子供なのだろうか。
そんなことを考えていると視界の隅をふわふわっと白い光が飛んで脳裏にルフェウスの姿が流れ込んでくる。
『視えた』のは自分が見たことのない十三歳のルフェウスの姿だ。
白銀の髪に星空を思わせる眼。ほっそりとした体つきは少年らしくてつい、微笑ましい気持ちになってしまう。
『強い願いでしたので、僭越ながら叶えさせていただきました』
『本当は連れてくることだってできるわよ!』
『目の前に飛ばすことだって可能だ』
耳元で囁くような声にフレイアは微苦笑を浮かべてやめてね、と念押し。
お礼の代わりに食べようとしていたクッキーを三枚、皿の端に置いた。
溶けるようになくなるクッキーを見ながら王都に行く前にこの精霊たちをどうにかしないといけない、と思った。




