不気味な従僕
ミネルが心配ではあったけれど客間に長居するわけにもいかず、フレイアは夜が更ける前に自室へ戻った。
当然のようにルーンベル領まで同行してきたメアンも今日はさすがに疲れたようで。早々に侍女の為の部屋に入り。フレイアはエマにあれこれと世話を焼かれた後。疲れているけれど落ち着かない気分を持て余し、そっと部屋を抜け出した。
慣れ親しんだルーンベル邸だが、『前回』と異なり罪をあがなうため、いろいろなものが差し押さえられていないせいだろう。自分が伯爵として過ごしていた頃よりも豪奢だった。
玄関に繋がる正面階段を降りると月光に照らされた庭園が見えた。
玄関は私兵が見張りをしているので広間の出窓から庭園と明るい空を見上げていると、背後に気配を感じた。
はっとして振り返ると月明かりに照らされる、金の髪が見える。
一瞬、ミネルかと思ったけれど佇んでいたのは気品のある顔をした……先代王妃の従僕だった。
なんだか雰囲気が違うと感じたのは姿勢と、お仕着せを着ていないせいだろう。
真っ直ぐに。けれど力んだ様子のない姿勢で佇む姿は完全に使用人ではなく、貴族だ。
先代王妃かミネルが水でも求めたのだろうか。
いいや、それなら侍女が動くだろう。
フレイアは唇を引き結んだ。
言いようのない違和感と不安と緊張で一気に鼓動がうるさくなる。
だが幸いここはルーンベル邸だ。
そして自分は『ギフト』を使える。
よほどのことがない限り、ひどいことにはならない。
そう思いながら静かに身構え、フレイアは事も無げに微笑んだ。
「何かお探しでしょうか。それとも道に迷ってしまわれましたの?」
彼はゲストだ。
フレイアはそう言い聞かせながら問いかけた。
その問いかけに、彼は果たして微笑んだ。
柔らかい微笑みは彼の造作の幼さを強調したけれど。眼差しと表情はやけに老成していて。フレイアはきっと彼は『前回』を知っているか『旅人』なのだろうと思った。
「いいえ。居合わせたのは偶然ですよ……『ルーンベル伯爵令嬢』」
帰ってきた声は予想以上に幼かった。
変声期前の少年の声。
けれど口調には含みがあり、とても親しげなのに言いようのない不快感があった。
まるで心を許していない相手に無遠慮に頬を撫でられたような、そんな感覚に苛まれたフレイアはどうにか微笑みを保ったまま、口元に手を当てて笑った。
きっと相手は自分が八歳の少女ではないと見抜いている。
何のために自分に声を掛けたのだろう。
自分の知っている相手だろうか。
そう考えているとすっと従僕がこちらに一歩を踏み出してくる。
反射的に怯むと、従僕が微笑んだ。
整った造作なのに、背筋がぞっとする何かを感じて。フレイアは奥歯を噛みしめたまま何か、何でもない会話を続けなければいけない、と思った。
「失礼、驚かせてしまいましたね」
そんな内心の揺れを見抜かれたのだろう。
彼は微笑んで恭しい仕草で一礼する。
「いいえ」
きっとこの従僕は自分を探りに来たのだ、と思ったフレイアはどうにか微笑んだまま首を振った。
「ふふ……あなたは『今回』十八では死にませんよ」
突然、告げられた一言に心臓が凍り付いた気がした。
何か、魔力が動いた気配はない。
咄嗟に身体に入れてしまった力を抜くことができないまま、フレイアは予言めいた言葉を口にした相手を思わずじっと見つめた。
「僕が絶対に死なせませんから……安心してください」
一転。
従僕はにっこりととても純粋な、年相応の好意すら感じる笑みを向けてくる。
けれどそんな笑みを向けられたフレイアは言いようのない不安と恐怖に苛まれた。
『前回』ルフェウスに言われた言葉と同じなのに……むしろ心が凍り付いたのは彼のことを知らないせいばかりではない。
こちらを見つめる彼の眼差しは……確かに『フレイア・ルーンベル』を見ているけれど『自分』を見ていない、そんな気がした。
「どうして、そんなことを」
取り繕うことも忘れてフレイアは呆然とした気持ちのまま、問いかけた。
「当然です。僕には誰も逆らないのだから」
事も無げに返ってきた言葉に、フレイアはただ、震えた。
彼はそんなにも強大な『ギフト』を持っているのだろうか。
誰も逆らえない、と言い切れるほどの力を行使できるのだろうか。
「僕はあなたのことを誰よりも愛しているんです」
今すぐここを立ち去りたい。
そんな気持ちに負けて後じさりして広間から逃げるフレイアに。
極上の笑みを向けた『従僕』はとても幸福そうにそう告げた。
艶やかな黒髪を揺らし、月のように白い肌をひんやりとした恐怖に染めて逃げていった彼女を従僕は満足げに見送った。
やはり生きているだけで彼女は素晴らしい。
いまは八歳の少女なので幼く、どこまでも愛らしいが十年後にはこの国でも五指に入るほどの美女になっている。
いつか贈るドレスはどんな色が良いだろう。
最も髪や肌を映えさせる藍色だろうか。
いいや、彼女には深紅も似合う。
肌に零れた色はとても美しかったのだから。
いいや、月明かりを思わせる柔らかな色も良いだろう。
月の光を纏いながら夜の湖に沈む彼女は、とても綺麗だったのだから。
いいや、若葉を思わせる色も彼女のみずみずしさを引き立てるだろう……
自分の知らない人間も多いが。
それはいまが『現実』だからだろう。
だが、自分はすべてを知っている。
どんな結末も、どんな展開も知っている。
この世界に生まれ。フレイアが息をして、存在している。
ならば自分が成し遂げたいことなどひとつだけだ。
彼女を、傍に……
従僕はとても幸せそうに微笑んだ。
その横顔を王家直属の守人……『影』が見つめていた。
部屋に逃げ帰ったフレイアはドアを閉めて鍵を掛けた。
彼が追いかけてこなかったことが、余計に恐怖をあおって。
思わずフレイアは膝を抱えて閉じたドアの前でうずくまった。
がくがくと体が震える。
彼はいったい、何者なのだろう。
あんなにも異様な人間に、自分は会ったことがない。
眼裏に刻まれてしまった微笑みを消すようにフレイアはきつく目を閉じた。
──なんだ、珍しく怯えているのか。
カサカサと音がして。斜め上を見上げたぬいぐるみが寄ってくる。
「うん……よくわからない人に会って……絶対に会ったことがないのに、その人は私の事を知っているみたいだったの」
真っ直ぐ歩けないぬいぐるみをフレイアは胸に抱え込んだ。
サテンと天鵞絨の生地が腕に擦れて、その独特な手触りにほっと息を吐く。
「ねぇメナーディア……『誰にも逆らえない存在』っている?」
──ハッ、そんなもの、存在するわけがないだろう。
神にすら逆らう者は存在するんだから。
そんなことを抜かす奴がいるならそいつはただの世間知らずか馬鹿か、その両方だ。
腕の中のぬいぐるみが首を捻じ曲げながら首を揺らす。どうやら笑っているようだ。
いつか顔のパーツを動かせるようにしたら表情を感じることもできるだろうか、とフレイアは他所事を考え。
メナーディアの言葉にほんの少し自分が落ち着きを取り戻していることを感じた。
「ありがとう、メナーディア。本当に怖かったの……」
──まぁ警戒は怠るな。
自分の全能を信じている馬鹿ほど厄介な奴はいないんだからな。
そう呟いたメナーディアは思うところがあったのか黙り込み。
フレイアはそっと微笑んでぬいぐるみを抱いたままベッドにもぐりこんだ。
──おいおい、年相応にぬいぐるみと寝るのか?
「うん……今度はもっと抱っこしやすいように……どうしようかな……おっきくしちゃおうかな……でもおっきいとまた脚が増えちゃう……」
心地よいベッドにもぐりこむと疲れていたせいかどろりとした疲労が全身を覆うようで。目を閉じてぬいぐるみを抱いたフレイアは呟きながら眠りに落ちた。




