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遠ざかった恐怖

 朝。フレイアはぬいぐるみを抱えたままであることに気づいてそっとメナーディアを放しながら言いようのない羞恥心を噛みしめた。

 初めて感じる気持ちの悪い恐怖と体の幼さに引きずられていたとはいえ、ぬいぐるみを……それもメナーディアを抱きしめながら眠っていたことが恥ずかしい。

 けれどそのお蔭でかなり気分は落ち着いていた。

 

「ごめんね、多分身動きできなかったよね」


 何も言われないけれどきっとメナーディアは目を覚ましているだろう。

 そう思って声を掛けるとドレスの下の脚がもしょもしょと蠢いた。


──このくらいなんともない。

  それにしても解せないな。

  お前の力ならどうとでもできるだろうに。

  魔力だって以前の私には及ばないが『前回』と同じほどにあるだろう。

  お前の『ギフト』はほぼ全能と言っても差し支えない。

  誰かの心を支配することも記憶を弄ることも、自発的に死なせることだってできる。

  何を恐れる?


「私の『ギフト』にも限界があるの。試す勇気はないし、するつもりもないけれど……自分の倫理から外れたことはできない」


 フレイアはベッドに横たわったまま、小さな声で答えた。


 記憶を弄ることができる事は既に『前回』で証明されている。

 けれど感情を植え付けたり、命に関わるようなことをするのは強い抵抗があって。

 『ギフト』は魂に結び付くので、なんとなく。自分の倫理から外れたことはできないのだろうと思った。


「全能じゃないわ。絶対起こり得ないことは魔力不足で引き起こせないと思うし」


 例えば死者の蘇生などだ。

 言霊から程遠いことを口にするほど魔力の消費は急激に増える。

 メナーディアを『殺せた』のは自死に等しいものだったからで。

 メナーディアが憑依した時に膨れ上がった膨大な魔力もあってのことだ。


「私が殺すのはあなただけよ……ごめんね」


 静かな声でフレイアは告げて、微笑み。

 何故かメナーディアは脚をうごうごと蠢かせながら背を向けてしまった。


「それに記憶に干渉するのはよほどのことがない限り、やめるわ」


 記憶が抜け落ちている状態はとても辛いものだった。

 失いたい記憶がある場合等、合意が得られる状況で誰かに手を貸すのはよいと思うが。自分の安心の為だけに誰かの記憶を弄るべきではないと思った。


──真面目だねぇ。お前は何でも恣にできるだろうに。

  あんな恐怖を何度も味わう羽目になるかもしれないのに。


「楽ばかりしていたら何もできなくなりそうだから……でも、よほどのことが起こったらその時は、ね」


 カーテンから差し込む朝の光を眺めながら、フレイアは息を吐いて起き上がった。





「まさかこんなにもすぐ見つかるとは思いもしませんでした」


 遠ざかる大地を名残惜しげに見つめながら『従僕』は呟いた。


「王家には必ずその身を守るための『影』がついている……お前の知らないことです」


 燃えるような赤い髪を靡かせたうつくしい女性……王妃は吹く風をものともせずに空を飛ぶ。

 数日かかる行程も彼女の『ギフト』にかかれば物理的にひとっ飛びだ。


「知らないことなんてないつもりだったのですがね。『あなたがたが』そんな存在を生み出しているのは盲点でした」


「私はお前を息子として愛してきたつもりなのですが」


 王妃は息子……第三王子イアスをその腕に抱いてひっそりとした声で呟く。


「勿論あなたからの愛情を感じていましたよ。被造物が創造主に愛を持つのは自然なことですから。皆は僕の一部のようなもの……けれどフレイアは皆と同じであって、違う。僕の理想なんだ。彼女は死んでいても生きていても美しい。笑顔で居て欲しい気持ちと同じほどに泣いてほしいとも思う……あなたはそれを危険と判断したのですね」


 イアスは心底満足そうに微笑む。

 月明かりに照らされた、うつくしい少女を思い出す。

 王妃はそんな息子を見つめたけれど、賢明にも口を噤んだ。


「現実を見なさい、イアス」


 王妃は冴え冴えとした声で呟いたけれど。

 微笑むイアスは『勿論、現実だとわかっていますよ』と事も無げに流した。


 音も光も風と共に流れていく。

 黎明の空を駆けながら、王妃は眉を顰めた。




「フレイア」


 朝食の前にスカーレットが部屋を訪れた。


「第三王子と接触したそうだが……大丈夫だったか」


 滅多にないことに驚いているとスカーレットが気遣わしげな眼をしていて。

 予想外の言葉にフレイアは目を瞬いた。


「第三王子……?」


 思わず鸚鵡返しをしてから、昨夜の、金髪の少年とのやり取りを思い出す。

 どう考えても十代前半に見えたけれど自分と同じ八歳だったのか。

 変装だったのだろうか、それとも『ギフト』だったのだろうか。


「あの方……なんだか怖かったです。私を見ているけれど見ていない気がして」  


「あぁ……だが一旦は安心していい。夜のうちに王妃が現われて第三王子を王都に連れ帰った。黙って連れ去るのはまずいと思ったのだろう。私とルミルに挨拶をしてくれたよ」


 スカーレットの言葉にフレイアは思わず肩から力を抜いた。

 自然と漏れた安堵の吐息に、自分がどれほどあの従僕……ではなく第三王子に恐怖を感じていたのかを自覚する。

 

「そうでした、王妃様の『ギフト』は触れたものを任意の場所まで飛ばす類のものでしたね」


 『前回』のことを思い出したフレイアはそう言いながら首を傾げた。


「それにしても王妃様はどうやって第三王子の行方を知ったのでしょう」


 まさか第三王子が身分の低い者がなるとされる従僕になってまで王都を抜け出すとは先代王妃も思いもしなかったのだろう。

 

「ルミルが先代王妃に仕えていた頃、ルミルは私と共に『影』という組織を作った。隠密に優れた技術や『ギフト』を持つ者を集めて鍛え上げた、王族の守り人であり彼らは王と王妃に仕えている」


「なるほど。だからこんなにも早く……そして彼は王妃様に泳がされていたのですね」

 

 そして彼の目的が自分であることを知った王妃が即座に彼を連れ帰ったのだろう。

 彼の眼差しを思い出したフレイアは小さく震えた。

 じっとりとした、けれどどこまでも純粋な眼だった。

 いまはまだ、彼は八歳の王族だ。


 だがあと数年後はどうだろう。

 自分は探究科に入る予定だがあんな眼をした彼が正攻法で婚約を申し込んでくるだけで済むはずがないという嫌な確信があった。


「いろいろと対策を考える必要がありそうだな」


 フレイアから昨夜のことをかいつまんで聞いたスカーレットは奥歯を噛みしめて顔を顰める。

 明らかな怒りの色をフレイアは不思議に思って。ついスカーレットをじっと見てしまう。


「……君は忘れているようだが君は私の娘だよ。娘に手を出そうとする不届き者がこんなにも不愉快な存在だとは思わなかったよ。私はどうやらちゃんと君の『父親』であるようだ」


 予想外の言葉に。フレイアは呆けた後、小さく笑った。


「お父さまと呼ぶべきでしょうか」


 悪戯っぽく問いかけるとスカーレットが満更でもなさそうに笑うので。フレイアは少し、頑張ってみようと思った。


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