王子達
ある日、とある伯爵家の家紋のついた馬車を見た時から何故か落ち着かない気分になった。
落ち着かない、と表現したがそれも適切ではない。
胸の奥が疼くような、居ても立っても居られないような気持ちだ。
言いようのない強い……思わず手を伸ばしたくなる、得体のしれない気持ち。
何故か物心ついた頃から感情に振り回されることのない自分の、初めてを引き出したその存在を知ろうとするのは当然のことだった。
訪れていたのはルーンベル伯爵夫人、ルミル・ルーンベルとのことで。
王妃に招かれて個人的なお茶会に興じていたという。
ルミルはヴァーシュ侯爵令嬢で先代王妃に仕えていたこともあったという。
先代国王は自分の伯父に当たる人物で。一時的に体調を崩したため、王位を父に禅譲した。
きっと先代王妃に仕えていた頃から正妃とは懇意だったのだろう。
そしてルーンベル伯爵家。
東部に領地を持ち、十五年前、十四歳という異例の若さで伯爵家を継いだのがジーク・ルーンベル。
彼が当主に就任する前のルーンベル家は王都から離れたほどほどに豊かな土地であり、国防を辺境伯家に頼っていたため、汚職や賄賂がはびこっていたそうだが若き当主はそんな領地を立て直した。
当然、国から目をつけられていたルーンベル家は財政が悪化した場合、取り潰しもあり得たがその革命的ともいえる政治手腕で領地は激変し。現在に至る。
不思議なことにこの十数年、そういった話は国内ではそう珍しいものではなかったためルーンベル家の成功例も埋もれていたが、考えて見れば奇妙な話だ。
この世界には別の世界から魂だけの状態で生まれてくる『旅人』という存在が居て。
何故かこの二十年、その『旅人』の数が増えているという推測が国の調査組織『鷲の眼』の見解だ。
勿論『旅人』と名乗らない、若しくは自覚のない『旅人』も多いが。それを差し引いても確実に『旅人』が増えていると推測されている。
奇妙なことにその現象は国内だけにとどまらず、世界中に及んでいる可能性があるという。
更に教会では敬虔な信者が『予知夢』を見たと言う事例が増えたが、その予知夢に関しては当たっている場合とはずれている場合があるので真に『予知夢』であるかの結論は保留にされたままだ。
恐らくルーンベル家当主ジーク・ルーンベルも『旅人』だったのだろう。
そう納得したのがほんのすこし前の事。
社交期の王城には数多の貴族が訪れる。
馬車が掲げている家紋など気にしない日々が続いた。
そしていま。自分はひとりの少女から目を離すことができない。
友好国パステム共和国から招いた教師の授業を終え、自室に帰る途中。
遠く、離宮に繋がる廊下の端に。目を惹く、燃えるような赤い髪を見た自分は王位継承権第一位の、兄であるユリシスが居るのだろうと思った。
声を掛けようとした時。
その十歳とは思えない立派な体躯の向こうに空色のドレスの裾が見え。ユリシスが気を許した雰囲気を纏っているのでてっきり何度か見たことのある、金髪の婚約者と会っているのだと思った。
けれど昼下がりの太陽に照らされた、艶やかな髪は滑らかな漆黒。
白い面差しは幼いが将来を約束された端正さで。十にも満たない年齢の魅力が詰まっているような愛らしさだった。
その顔を見た途端、以前ルーンベル家の家紋を見た時に感じた、言いようのない気持ちが大きくなった。
抗いがたい魅力と、苦しいほどの……話をしたい、ずっと傍に居たいという欲求。
思わず一歩を踏み出してから。
視界の隅でまったく自分と同じ動きをした人間がいることを認識する。
反射的に湧き上がったのは言いようのない不快感。
そして理性がそんな自分の中の異常な感情で我に返ってから生まれた強い不安。
そんな気持ちを持て余したまま……第三王子イアスは立ちすくんだままの第一王子ルフェウスの隣を、挨拶もなく通り過ぎた。
「ユリシス」
黒髪の令嬢が去った後。
思わずルフェウスは弟を呼び止めた。
浮いた話のない弟が婚約者ではない少女と話をしていた、などという誤解をするつもりはないが。ひどく珍しい光景には変わりない。
それに少女は離宮から出てきた様子だった。
さしずめ先代王妃かミネル姫に招かれた令嬢だったのだろう、と冷静に予想しながらも。先ほどの黒髪の令嬢のことが頭から離れなかった。
八歳の弟、イアスと同じ年頃と思われた彼女は今日の空に映える空色のドレスを纏っていた。
たなびく雲すら引き立てるようなその姿は幼い少女とは思えないほどにうつくしかったけれど。何故か自分は彼女はもっと深い色が……例えば夜空の色が似合うのではないかと、他の令嬢に対して考えたことのない感想を抱いていた。
滑らかな黒髪に、艶めくような白い肌。ささやかな装飾品は品がよく。
遠目からではあったがカーテシーも洗練されており。離宮に招かれるだけのことはあると思ったけれど。
それだけでは済まない、何かがある気がして。ずっと半分眠っているようだった自分をこんな気持ちにした、彼女のことを知りたいと思ったのだ。
「兄上」
居るとは思っていなかったのだろう。
声を掛けるとユリシスは無意識にだろう、少女が去った方向を気にする仕草をする。
その様に少しもやっとした……不快感まではいかないまでも、引っかかるような気持ちを思わず持ってしまってからまた、自分らしくない状態に困惑する。
「さっきのは?」
なるべく穏やかに問いかけたつもりだけれど。口調は急くようなものになった。
「ミネルに会いに来ていた、ルーンベル伯爵令嬢だ」
ユリシスはそつなく答えてくれるけれど。
そうではない、と反射的に思ってしまってから。そんな自分の不可解な内心に戸惑う。
「ミネルに」
ミネルは先代王の娘で。時折会うことがあるが幼いことを差し引いても活発だ。
先ほどの少女はとても礼儀作法がしっかりしている様子だった。
恐らく友人同士となってミネルに良い影響を、と考えた結果なのだろう。
頭ではそう納得したけれど、心は落ち着かない。
ずっとドレスの裾を優美に揺らして背を向けて歩いていく、彼女の姿が焼き付いている。
「彼女は……」
まだお茶会に参加していない年齢の貴族の子息の名を知る必要はないと教師から言い含められているのに、彼女の名前が気になって仕方がない。
きっとユリシスも彼女の名前を知らないだろう、と思って問うのを躊躇ったのに。ユリシスが目を伏せるので何を知っているのかと問い詰めたくなる衝動に駆られそうだった。
「アルカインド侯爵令嬢の具合はどうだった?」
唐突に婚約者のことを訊かれたルフェウスは曖昧に頷いた。
「あぁ……今日行ったが……熱が出ているそうで会えなかったよ」
アルカインド侯爵家は南部に領地を持つ、商業の盛んな商都を中心に栄える、国内でも有数の裕福な貴族だ。
王位を継がないルフェウスの婚約者としては最適と言ってもいい相手で。婚約者の侯爵令嬢は聡明と有名だ。
だが社交期に王都を訪れた侯爵令嬢は体調を崩してしまったそうで。見舞いの花や手紙は送ったが、今日は婚約者として会いにいったというわけだ。
「そうか」
ルフェウスの言葉にユリシスは考え込む仕草をする。
何を考えているのか、弟の考えが俄かにわからなくなったルフェウスは、会話もそこそこに背を向けた。
まるで廊下の向こうに消えた少女の姿を振り払うように。




