弟達
「私、『探究科』を目指そうと思います」
登城した日。フレイアはラクレスにそう伝え。ラクレスはクリームを乗せたスコーンにかじりつきながら首を傾げた。
「たんきゅうか? 探検でもするのか、面白そうだな!」
フレイアが五日毎に訪れるようになって随分とラクレスも気分が安定したようだ。
相変わらずドレスを着るのは抵抗があるようで今着ているのはローブに近いものだが。長い髪は編み上げて結い上げた方が邪魔にならないと説得されたのか、髪型はとても愛らしい。
「ふふ、探検に近いかもしれませんね。魔法や『遺物』の研究なので」
微笑んだフレイアはナプキンでラクレスの口元を拭った。
ラクレスは六歳の身体に魂が引っ張られることにあまり抵抗はないのだろう。
世話を焼かれると嬉しそうに照れ笑いを零し、ミルクも砂糖もたっぷり放り込んだ紅茶を飲む。
そんなあどけない様を見ていると『ミネル』と『ラクレス』の婚約話が出ていることを伝えるのが躊躇われ、フレイアはまた今日も言い出せなかった。
ラクレスも探究科に入れば婚約も聖女の役目も跳ねのけることができるかもしれないが……リオンやアルテがラクレスの教育に手を焼いていたことを思い出したフレイアはラクレスは辺境伯家に戻った方が幸せだろうと考えた。
最終手段として母の力を借りるか、自分の『ギフト』を用いてラクレスとミネルの魂を入れ替えてしまえばいいのではないかと最近は思っている。
「フレイア姉さんはそんなに魔法や『遺物』の研究がしたいのか?」
「そうですね、『前回』できなかったことなのでやってみたいという気持ちが大きいのです」
「なるほどー『前回』できなかったことか……俺は王都に来たのが初めてだから王都を自由に歩いてみたいな。それで、王都の強い奴と戦ってみたい!」
ラクレスはにぱっと笑ってそんなことを言う。
どちらも実現の難しいことに、フレイアは少し詰まった。
「……辺境ほど強いお相手は王都に居ないかもしれませんね」
少し考えてそう告げるとラクレスはそうかぁ、と呟いて椅子から投げ出したちいさな足をパタパタ揺らした。
「騎士団を見ていると悪くない奴は結構いたんだけどなぁ……でも『兄上』の方が強いか」
「『兄上』というと……」
なんとなく察して問いかけるとラクレスがこちらを見て明るく笑う。
「あぁ、ユリシス兄上のことだ。侍女たちを撒いて庭園を散歩している時に剣を振っていてな。剣を褒めて以来、こっそり剣の手ほどきをしてくれる!」
そう言いながらラクレスはばっと掌を見せてくる。
恐らく人目を忍んで鍛えているのだろう。
ちいさくぷにぷにとした掌には肉刺の潰れた痕があった。
姫君らしからぬ手に、きっと侍女たちは悲鳴を上げていることだろう、と思いながらフレイアは曖昧に微笑むに留めた。
「ルフェウス兄上とイアス兄上はあまり離宮の方には来られないが、ルフェウス兄上は会えばお菓子をくれるしどこか『兄上』に似ているから会えると……うれしい……」
数秒前まで笑顔で語っていたのに。急にラクレスの大きな眼から涙がぼろりと零れる。
「うぅーあにうえに会いたい……」
三人の兄が居てもラクレスの『兄上』はひとりだけなのだろう。
急に泣き出すラクレスの肩を抱きしめながら。フレイアは『前回』からはまるで考えられないほどちいさな、震える背中をそっと撫でた。
母曰く、辺境伯家で『前回』の記憶があるのは現時点でリオンのみであるらしい。
リオンは恐らくラクレスの異変に気付いているだろうが、まだ『誰』になってしまったかは知らないままだろう。
「社交期が終わったらユーノ様が辺境に行かれるのでしょう。荷物に紛れ込まずとも、一緒に行くことになったではありませんか」
フレイアはそう言い含め、その言葉にラクレスは漸く涙を拭った。
「兄上といえばルフェウス兄上に、フレイア姉さんのことを訊かれた」
そして思い出したようにそう言われて。フレイアは取り繕うこともできずに息を飲んだ。
「怖い顔をしていたから、思い出したのかと思ったが……ルフェウス兄上はフレイア姉さんのことを憶えていないみたいなんだ」
良く言えばおおらかな、悪く言えば鈍感なラクレスですらわかるほどにルフェウスは剣呑な顔をしていたのだろう。
きっと王家の姫に近寄る伯爵家の娘を警戒していたに違いない。
偏に、従妹が傷つかないように。
ルフェウスはそういう人だった。
「そのままでいいの」
ルフェウスが何も思い出していないことを実感した切ない気持ちと。あんなにも重く辛そうだった『前回』までの記憶を失い、王子としての重責を背負いながらも彼らしい一面を失っていないことを知ることができた、不思議と穏やかな気持ちでフレイアは微笑み。
そんなフレイアの微笑みをラクレスは釈然としないと言いたげな顔で見上げていた。
ミネル姫の為の部屋だという、離宮の一室で過ごす午後の一時はいつだってすぐに過ぎてしまう。
今日も今日とて部屋の隅に控えている侍女が時間を告げ。フレイアは名残惜しげなラクレスを置いて離宮を出た。
王城の一角にある離宮は庭園を横切る。
離宮のごく近くに馬車を寄せることもできるけれど。目立つことを避けたかったフレイアは回廊の影に紛れるように庭園を眺めながら歩いた。
そして離宮へ続く回廊から王城の廊下へと入るところで近衛兵を見たフレイアは反射的に道の端に避け、カーテシーをする。
姿勢を正し、呼吸を整えたまま目を伏せる。
誰が通っているのかはわからないけれど。ここはもう王城だ。
王妃以外は『面識がない』のだから自分は声を立ててもいけないし視線を向けてもいけない。
「もしやと思ったが『ルーンベル伯爵』か」
投げかけられた、笑みの混じった声にはっとする。
動きを止めた自分の反応を見たのだろう。
「顔を上げて楽にすると良い、ルーンベル伯爵令嬢」
声に促され、顔を上げると案の定、燃えるような王妃譲りの赤い髪が眼に入る。
「大人顔負けの、こんなにも完璧な姿勢でカーテシーをするデビュタント前の令嬢が『偶然』王城に出入りしているわけがない」
こちらを見て微笑むのは十歳の第二王子、ユリシスだ。
ユリシスは『ギフト』を持っていないが『前回』の記憶があるようだ。
ユリシスが目鼻で近衛を促すと四人いた近衛は姿を消し、ユリシスの腹心と思われる青年が少し離れたところに控えた。
「お久しぶりです、殿下」
ユリシスとは『前回』領地に籠って領地を再建しようと抗っていた頃に何度か顔を見合わせている。
気心知れたとまではいえないまでも気兼ねなく話せる関係ではある。
「俺の『前回』の記憶は曖昧だが……あなたはやり遂げたんだな」
「はい、想いを遂げることができました」
ユリシスの声は静かだったが、紛れもなく敬意が滲んでいて。
自分は好き勝手にやっただけなのに畏れ多いことだと思ったフレイアは深く頭を下げた。
ユリシスが見たように『神を殺して神罰を受けて死んだ』わけではないけれど。
自分は神に等しい存在を自分のギフトで殺し、死んだ。
その辺りの経緯を知らないユリシスにとっては、不意に時が巻き戻り、様々なことが変わった世界が始まったようなものだ。
きっと迷惑だっただろう、と思いながらちらりと視線を投げると鷹揚な笑みに迎えられる。
その微笑みを見るとじわりと胸の奥が良心の呵責で痛む。
何故か考えるとその微笑み方がどこか、ルフェウスに似ているせいだと気付く。
ルフェウスに似た笑い方をするユリシスの顔を見ただけでそんな気持ちになるのは、自分はやり遂げたけれど。ルフェウスを深く傷つけたことがわかっているからだ。
「ミネルの友人になった令嬢というのはあなたの事だったのか」
「はい……」
フレイアはラクレスが『前回』を知っている様子のユリシスに自らの正体を明かしていないことを少し意外に思いつつ、相槌を打った。
国防の為、東部に赴くことの多かったユリシスと辺境伯家のラクレスは知己であるはずだ。
もしかしてラクレスはユリシスに気づいていないのだろうか、と思ったけれど自分が無神経に明かして良いことでもないと思ってフレイアは口を噤んだ。
「きっとあなたは知っていることだと思うが『ミネル』の中に入っているのは『ラクレス殿』だな?」
その矢先に笑みを含んだユリシスに問われ。フレイアは頷いた。
「ラクレス様は何も……?」
「あぁ、どうやら十歳の俺に気づいていないようだ。無理もないことだが……俺はあの細腕でもわかる、ラクレス殿の太刀筋で気づいたからすこし複雑な気持ちだな」
肩を竦めながら語ったユリシスの言葉にフレイアは笑っていいのか悪いのか迷った。
ユリシスは曖昧に憶えている、と言ったけれどきっと憶えていることに偏りがある状態を言っているのだろう。
「そしてあなたは『今回』……どうするつもりだ。いまのあなたは『前回』とは違って『令嬢』だ。兄の記憶はないようだが……記憶が戻れば確実に兄はあなたを逃がさないだろう」
ふとユリシスは真剣な顔をして問いかけてくる。
その口調に滲む気遣いの色にフレイアは微笑んだ。
「私、あの方が幸せならいいと思っているんですが……もしも記憶が戻って、それでも私を望んでいただけた時はちゃんと責任を取ります。『前回』の分も含めて何があってもあの方の傍に」
「そうか……それなら安心だな……俺もあなたと同じだ。兄上には幸せになって欲しいし命がけで偉業を成したあなたにも幸せになって欲しいと願っている」
ユリシスは柔らかく微笑み、敬意を伝えるように会釈する。
会話の終わりを理解したフレイアは再びカーテシーをし、そっと離れた。




