狂気の細工師
お付き合いいただき、誠にありがとうございます!
お互い軽く食事を済ませていたため、スカーレットと関わりがある、ギルドお抱えの職人の元を訪れることになった。
城へ続く大通りから逸れ、河が見える地区。
少しごみごみした界隈は初めて足を踏み入れる場所で。ルフェウスはいつもより無口なまま、けれどゆったりとした歩調で迷いなく歩を進めていく。
それを心強く思ったフレイアは周囲に気を払いながらもルフェウスの態度が気になった。
最初、無口なのはお忍びだからかと思ったけれど周囲に人の気配がなくなってもルフェウスが静かなままで。少し心配になった。
「……ルフェウス様、どうされましたか?」
いつもの口調でこそこそと囁くと傍らから曖昧な音が返ってくる。
「どうもしないよ、どうもしないけれど……あまりにも君が……楽しそうだから。ちょっと面食らっているというか」
「私、はしゃぎすぎでしたか」
ルフェウスの言葉にフレイアは頬が熱くなるのを感じた。
ルフェウスが戸惑うほどにはしゃいでしまった恥ずかしさが喉奥に蟠って、言いようのない気まずさに変わる。
「いや、違うんだ」
その思考を引き留めるように腕を引かれ。手を握られる感覚に思わずルフェウスを見るとルフェウスは頬も首筋も紅くしていて。フレイアは口をついて出そうになる声を慌てて飲み込んだ。
ルフェウスは四歳も年上で……いやそれ以上に何度も時を遡っているほどに長い時を生きていて。誰もが跪く第一王子なのに……可愛い、なんて思ってしまった。
「君があまりにも自由で可愛いから……決意が、固まったよ」
そんな柔らかく浮ついた気持ちも。続く言葉で胸の奥を刺す刃に変わる。
当然、ルフェウスがなにひとつ悪くないことはわかっている。
悪いのはすべて、秘密裡に目論見を完遂させようと思っている自分だ。
「決意、ですか」
まるで睦言を囁くような距離。
この距離も気軽に顔を覗き込める関係も。
言葉を交わせる関係も……これが最初で、あと数日。
永遠に自分の人生から失うものであることを痛感しながらフレイアは微笑んだ。
「うん。僕は何があってもフレイアを守って……僕の隣で幸せにしてみせる」
微笑みを以て告げられたその言葉は。
いままでの、どんな言葉よりも深く、胸の奥に刺さった。
思わず呼吸を忘れてからどうにか微笑む。
丁度入り込んだ、路地裏の暗がりが自分の表情を曖昧にしたのだろう。
思わず浮かんだ涙を瞬きで追い出しながらフレイアは思わずルフェウスの手を握り返した。
「私はもう、既に幸せですよ」
自分で零したなにひとつ偽りのない言葉に、抑えようとした涙がまた溢れる。
呼吸すら曖昧になるほどの痛みすら、自分の記憶に刻まれる思い出で……大切なものだと思った。
「ありがとうございます、ルフェウス様……私も、ルフェウス様の幸せを信じています」
溜息のような声で囁くとフレイア、と低く囁く声がする。
熱っぽい声は聞いたことのないもので。また胸の奥が痛くなるけれど。同時に形容しがたいほど、自分の心が浮つくのも感じた。
「すべて、終わったら……本当に結婚を考えてくれるかな」
掌を重ねるようにして、指を絡められる。
甘苦しいその感覚に思わず息を詰めたフレイアはただ、頬を紅くして頷いた。
きっとこの場にセラスが居たなら『王都の路地裏でするにはふさわしくない話題ですわ、お従兄様!』と悲鳴を上げたに違いない、と少し場違いなことを考えてから。
そんな日は来ないということを重ね重ね思い出し……慌てて向き合ってしまったら泣きわめいてしまいそうになるほどの感傷をそっと飲み下した。
涙が溢れていることも、いまはきっとおかしいとは思われない。
現にルフェウスは足を止めるとフレイアの目元にハンカチをそっとあて。涙による震えをそっと止めるように抱きしめてくれる。
そのことに余計に涙を誘発されそうになりながらも、フレイアは深呼吸をして心を鎮めた。
勘違いしてはいけない。
そうだ。勘違いしてはいけないのだ。
すべきことをする時に迷わないように。
今日は笑顔で楽しんで……最期の瞬間にはその記憶を抱きしめて、自分はルフェウスの傍から消えるのだ。
「すべて、終わったら……」
フレイアは半歩下がり、ルフェウスが渡してくれたハンカチを手に持ったまま、顔を上げて微笑んだ。
もう涙は出ない、そんな気がした。
「言質は取ったよ?」
見るからに浮かれたルフェウスの微笑みは本当に年相応に見えて。
胸の奥がやはり痛んだけれど。フレイアはただ微笑みを返した。
刻一刻と罪悪感で胸の奥が重く苦しくなるけれど。
ルフェウスは自分を失ったとしても、自由な人生のどこかでまた、幸せを感じることができる……そう、信じた。
そうして辿り着いたギルドお抱えの職人が居るという工房は船着き場のそばにあった。
あまりにもちいさな建物だったので増改築を繰り返した川沿いの建物の中に紛れ。目の前にあっても見落としそうになるほどだ。
うっかりひとりで部屋の外に出ようものなら、自分がどのドアから出てきたのかわからなくなるような雑多な雰囲気の場所に。フレイアは頭の芯がくらりとした。
その中のドアのひとつをルフェウスは躊躇いなく開く。
「一見そうは見えないが、すごい護りだ」
中には何もない部屋があるきり。肩透かしを食らいながらフレイアはルフェウスに続いて見る限り何もない室内に入り……ルフェウスの言葉に首を傾げているとばたん、とドアが閉まる音をきっかけに紗が剥がれるように廃屋と呼んで差し支えない状態の室内の状態が早変わりした。
「わぁ……」
フレイアは思わず感嘆の声を上げた。
吹けば飛びそうな狭い小屋だった室内は薄暗いけれど整えられた部屋に変わり。壁一面に所せましと作りあげられた宝飾品が飾られていた。
それも客に向けての飾り方ではない、どこか変質的な几帳面さを感じる飾られ方で。
あくまでこの場所が工房であることが伝わってきた。
「恐らくスカーレットの許可がなければ扉を見つけることすらできない、そんな『ギフト』か『遺物』か……何らかの力が働いているよ」
ルフェウスが壁一面に飾られた宝飾品を見上げながら呟き。フレイアも頷いた。
ギルドお抱えの職人は狙われやすいのだろう。
この小屋は恐らくギルドに所属している者たちの『ギフト』が重ねがけされた状態で。そうまでして護られる存在とはどんな腕前を持った人物なのだろう。
本能的な、足を踏み入れてはいけない気がする場所に足を踏み入れてしまった感覚は薄れ。フレイアはルフェウスに倣って室内を見渡したが人物どころか動く存在を見つけることができず、留守でしょうか、とルフェウスに囁こうとしたところで……開くと思っていなかった床板がぱん、と妙な音を立てて開いた。
どうやら工房は地下にあったらしい。
「ルミル!? ルミルが居る!? いやなんで!?」
そうして飛び出てきたのは青白い顔をした小柄な男だ。
「いや、そんなわけないよな。え、嘘……納期まだのやついっぱいあるのに、俺死んだの? ヤベェ……グリムに天国か地獄の果てまで追いかけられる……」
呆気にとられるフレイアとルフェウスの前で。男は胸を押さえてのたうち回る。
落ち着きがないし言動も心配だが男は思いのほか年嵩だ。
ルミルを知っていて、どうやらスカーレットをグリムと呼ぶのでかなり付き合いが古いのだろう。
「君は死んでいないよ。この人はルミル・ルーンベルではなく娘のフレイア・ルーンベルだ」
咄嗟になのだろう。庇うように前に出たルフェウスが男にそう説明すると男が前転の要領で素早く立ち上がる。
くしゃくしゃの黒髪にモノクル。鷲鼻に無精ひげ。
彼は几帳面な職人というよりは真理を追究するために寝食を忘れる学者を思わせる。
「フレイアちゃん? いやいや、そんなわけないだろー。俺の知っているフレイアちゃんはお菓子をせしめて仕事の邪魔をしてくるちいちゃな女の子だよ……ていうかあんた誰? グリムの許可で入ってきたんだろうけど俺なんも聞いてないよ」
戸惑っているうちに男は無精ひげを掻きながらまじまじと此方を見てからルフェウスに怪訝そうな目を向ける。
どうやら人と関わることも、外に出ることもほぼないようだ。
というか恐らくこの男、時間の概念が人より曖昧に違いない。
この工房にたどり着くまでの感傷がすっかり消し飛んだフレイアはまじまじと男を見つめたけれど。自分が過去に菓子をせしめて仕事を邪魔したらしい相手の顔を思い出すことはできなかった。
「そんなはずはないだろう。手紙を送ったと言っていたが……」
そう言ったルフェウスがちらりと唯一置かれた家具である、窓の傍の机を見てからそっと目を逸らした。
フレイアもつられたように目を向けて、そっとそらす。
恐らくスカーレットが彼に手紙を持って来たのは昨日の事だろうが。
その手紙すらどこにあるのかわからないほどにその机の上には混沌が広がっていた。
「うん、ごめんね。俺の時間が曖昧なのはいつもの事なんだ。『ギフト』のせいもあるんだろうね」
一転。怪訝そうだった男はにっかりとした笑顔を浮かべてそんなことを言い出す。
「曖昧なのは時間だけじゃなさそうだけどね……僕はルフェウスという。今日ここに来たのはスカーレット……グリムから聞いて、洗脳や精神攻撃、精神汚染に耐性がつく装具を買えればいいと思ったからだ。金に糸目は付けない。売ってくれないか」
ルフェウスが事情を話すとすっと男のにこやかな顔から表情が抜け落ちた。
すぅっと、まるで先ほどまで何かに、それこそ憑依されていたかのように。
「メナーディア?」
問われたのは一言だけ。石のように静かな声だった。
予想外の変化に気圧されたルフェウスが頷くと。静謐な目をした男が壁一面に飾られた装身具を避けて、壁の一部を剥がすような仕草をする。
すると驚いたことにちいさな隠し扉が現われて。その中にあるものを男はいっそ恭しい仕草で手に取る。
「お代はいらないよ。あいつのことは赦していないんだ。俺達からルミルを奪った。ルミルからフレイアとの幸せを生涯奪ったからね。ああ。永劫にね……赦さない」
ふーっと深く息を吐いた男は軽く首を振ってこめかみを揉む。
文字通り人が変わった様子にフレイアは勿論、ルフェウスも少し怯んだ。
恐らくは彼の『ギフト』の影響なのだろうがどういった『ギフト』なのだろう。
場違いな興味が湧いたが問える空気ではないのでふたりは口を噤んだ。
「申し遅れました……俺はウルカン。かつてヴァーシュ侯爵家の細工師で。ルミルを慕って王都へ向かい、いまはグリムの元で細工師をしています」
胸に手を当てて挨拶をしてくる男、ウルカン。
年齢不詳に見える彼の眼にはずっしりとした年月の地層が見えた。
彼は雑に机の上のものを押しのけるとその上にビロードの小箱を置き、先ほど取りあげた、宝飾品をそっと乗せる。
「これが僕の、最高傑作。グリムがいつか、フレイアをここに寄越すことがあったら渡すと決めていたものだよ……その君がいまつけている首飾りもルミルのために僕が作ったものだ……よく似合っているよ、フレイア。といっても記憶にないか。僕が君と関わっていたのはせいぜい三歳くらいまでのことだからね」
そう言いながら、ウルカンは恭しい手つきで箱を二人の目の前に置いた。
そこにはフレイアの首飾りと意匠の似た、耳飾りが入っている。
白銀の留め具は繊細で目を惹くのは首飾りと同じものであることが伝わってくる、蒼い宝石だ。
「僕の寿命はとうの昔に尽きていてね……死んでその辺りを漂っている魂を食べることで生きながらえている。魂を食べると時間も記憶も混ざってしまってね。最近は正気でいる時間の方が短いよ。便利なようで不便な『ギフト』さ。まぁ……本来の使い方と違うせいだけどね」
そう言うとウルカンは肩を震わせて笑い始める。
その様を、ルフェウスとフレイアは見つめているしかなかった。
「だって、永劫生きるあいつを赦さないって、決めたからねぇ。どこまで狂って壊れても永劫、生きないと」
何か考える前に。フレイアはウルカンの手を取った。
「止めないでくれよ、フレイア。俺はもうすでに決めて、別に不幸だとか思ってないから」
笑いを含んだ声でウルカンが告げて来るけれど。フレイアは瞑目してから微笑んだ。
「私は、あの存在から未来を奪うために来たのです」
思ったよりも低い声が出た。
決意の重さが滲んでいたのだろう。
呆気にとられたように此方を見たウルカンが目尻から大粒の涙を流して笑い始める。
箍が外れたような笑い方ではない、彼本来の笑い方なのだろう。
「そうか……ルミルの……いいやフレイアならやり遂げるんだろうね」
心の憂いが晴れたような彼の顔には長年の妄執に似た激情の痕跡が残されていて。
それを痛々しく思いながらもフレイアは深く頷いた。
成し遂げる理由がもうひとつ、増えたと思った。
そして自分が思っていた以上に母はいろいろな人に愛され、惜しまれていたのだろう。
自分が決心したことを成し遂げることできっと多くの人達が救われるのかもしれない。
そう思うと奮い立つ気持ちになる。
けれど同時にウルカンの手からフレイアの手を引き取って握るルフェウスの手のぬくもりを感じると刃を飲んだように体の奥が重く、苦しくなるのだった。
「一人で成し遂げようとしないでほしいよ、フレイア」
とりなすような微苦笑を浮かべるルフェウスの顔を、フレイアは見ることができない。
「一人で成し遂げられるとは思っていません」
嘘はついていない。そう思いながら目を伏せてそう返すと安堵したようにルフェウスが微笑むのがわかった。




