楽しい時間はあっという間
お付き合いいただき誠にありがとうございます!
苦しいけれど楽しいです
がんばってね、と。
重すぎる応援を背にふたりが工房を出た時。
まだ太陽は高い位置にあった。
「ある意味、別世界でしたね」
「あぁ。そうだね」
失礼なことを言っていると思いながらもフレイアは偽らざる本音を伸べ。
ルフェウスが同調する。
「少し歩いて……甘いものでも食べようか」
「魅力的な提案ですね」
その提案にフレイアは仄かに笑った。
そうだ。まだ一日は終わらない。
積み重なった想いと決意で膝が折れそうな気分だけれど、ルフェウスとのお出かけを楽しみたいと思った。
並んで港に続く道を歩く。
遠くの港では午後の日差しが海面を煌めかせ。荷下ろしをする、あるいは商いをする人の賑わいがやけに大きく聞こえた。
貴族が領地へ戻る時に訪れる乗船場とは違う雰囲気に、散漫に歩いてはいけないと思いながらもつい目を向けてしまう。
社交期が終わっており、東部での流行り病の噂もあるせいだろう。
活気はあるが人でごった返してはいない。
港の傍には大きな市場があり、異国の匂いを漂わせる華やかな格好の商人やお仕着せを着た使用人達、旅人や冒険者と思われる外套を纏った者も目立った。
「どんなものが食べたい?」
ルフェウスに問われたフレイアは思い浮かばなくて肩を竦めた。
市場にはありとあらゆるものが売られているようだし。市場から城を結ぶ大通りには路面店も多い。
どちらも未知の場所でフレイアは迷ってしまって決められなかった。
「せっかくだしもう少し歩いてから決めようか」
微笑んだルフェウスが当然のように手を差し出してくるので。妙な照れくささを感じながらフレイアは差し出される手に手を重ねた。
自分があちこち目移りしているから、はぐれないようにするためだろう。恥ずかしいところを見せてしまった、と思いながらも気遣われるのは嬉しかった。
そんなこんなで足を踏み入れた市場を、フレイアは堪能した。
むせかえるような匂いのする香辛料の山を前にして店主に質問攻めをしようとしてルフェウスに止められたり。目にも鮮やかな深紅の布ばかり取り扱う店でルフェウスがドレスの生地にと多量購入しようとするのを止める羽目になったりした。
どう見ても偽物である美術品を前に悩む老婦人に『提案』をして店主と喧嘩になり憲兵が介入する事態になったり。突然売り子からうつくしい花冠を頭に被せられて料金を請求され、慌てて払おうとしたところでルフェウスがその売り子を一瞥しただけで値段が五分の一になったりもした。
「こんなに楽しいおでかけは初めてです」
親切な売り子にあれこれと果物やお菓子を差し出される度に味見をしているうちにお腹が満たされてしまって。結局二人は港にほど近い、大通りの路面店に腰を落ち着けていた。
なんとなく紅茶を飲む気分にはならなかったので目の前のグラスにはジュースがある。
ただ、せっかくなので未知を味わいたいと思って。
あまり聞いたことのない果物を使ったジュースを選んだ結果、あまり進んでいないというのがありのままの現実だ。
隣に座るルフェウスは賢明にも無難なジュースを選んでいて。ジュースを一口飲んではそのたびに悲愴な顔をするフレイアを見て笑いをこらえていた。
「ジュース選びで失敗してしまっても?」
「忘れませんよ、この果物の名前は……ふふ、でもそれも楽しいんです」
「それならよかった。僕も楽しかったよ」
微笑みながらルフェウスは『一口もらってもいいかな』と問いかけてフレイアが飲んでいたジュースを口にする。
まるで恋愛小説のような一幕なのに。フレイアは口に入れた途端鼻腔を超えて脳までこみ上げる匂いと舌を貫く酸味を思い出してはらはらしてしまう。
「あぁ……うん……これは……未知だね?」
果たしてルフェウスは顔を歪めて口をへの字に曲げ。
自分もそのジュースを飲むたびに同じような顔をしていたかもしれない、と急に気になったけれど。見たことのないルフェウスの顔が面白くてつい、笑ってしまった。
「控えめな表現ですね」
「表現を控えないといけないような味ということだよ……」
グラスを置いたルフェウスは顔を歪めたままナプキンで汚れていない口元を拭い。それでは足りなかったのか無難なジュースに手を伸ばした。
口直しが少し羨ましいなと思いながら。フレイアはかなり減ったグラスのジュースを見てほっと息を吐いた。
「ふふ、でもお陰様であと一口です。ルフェウス様が手伝ってくださったお蔭ですね」
こうなったら飲んでしまおうと思い。フレイアはグラスを傾けてジュースを飲み干した。
「無茶するね……よかったら飲みなよ」
そう言いながら差し出してくれるルフェウスのグラスに口をつけると爽やかな香りと優しい甘みと心地よい酸味が舌に広がり。フレイアは思わず目を見開いた。
「こんなにも美味しいジュースは初めてです」
「それはギャップのなせる業だと思うよ……気持ちはわかるけど」
感動のままルフェウスに声を掛けると、とうとうルフェウスは声を立てて笑った。
楽しい時間はあっという間で。日が傾くにつれ市場は人がまばらになっていく。
西の空が紅く染まり、東の空が紺碧に輝く頃。二人は待ち合わせをしていた市場へ戻ることにした。
夕暮れの王都は風が強く吹く。
海から吹き上げる風が髪や衣服を靡かせて。ほんの少し肌寒いけれど。手を繋いでいたらそんなことも気にならなかった。
「海の方からお城を見上げるのは初めてです」
長い長い緩やかな坂の果てに城が佇んでいる。
暮れなずむ空を背負う城は幻想的で。輝く明かりが宝石のきらめきのようだった。
「綺麗ですね」
心の底からそう感じて。フレイアは傍らのルフェウスを見上げて微笑みかけた。
一日最後の陽光が刺すような西日を投げかけ。石畳の街も城もしろく、あるいはくろく輝き。空の鮮やかさをひときわ強く引き立てていて。行きかう人々の往来も喧騒もとても得難いもののように思えた。
すべて、ルフェウスがずっと守ろうとしてきたもので。これから守っていくものだ。
そのための礎に自分がなれたらどれだけ嬉しいだろう。
こんなにも心を傾けてくれるルフェウスを置いていくことを考えると胸が潰れるような気持ちになるけれど。
きっと自分が死んで、傍らからいなくなってもルフェウスは玉座に座り、すべての成すべきことを成すのだろう、とわかった。
「ルフェウス様?」
こちらを見下ろすルフェウスの表情が硬い気がして、フレイアは首を傾げた。
「僕は今日のことを忘れないよ。フレイア……僕は、もしも『今回』がだめでも、すべてを憶えているから……君も……」
「勿論。私も何があろうと忘れません。こんなにも幸せだった日を忘れたりなんてしません」
真剣なルフェウスの言わんとすることを察して。微笑みかけながら言葉を紡ぐと、言葉を聞いたルフェウスが息を飲む。
「弱気なことを言ってごめん。でも僕は……今度こそ君を死なせないから」
力のこもった声に、フレイアは微笑んだ。
「私はメナーディアを滅ぼすまで死にませんから」
そう告げるとルフェウスもやっと微笑む。
「そうだね。僕も君と結婚するまで絶対に死なない」
往来の中で手指が絡む。
肩が触れ合って、髪が触れ合って……それだけで。罪悪感を押しのけるような気持ちが湧き上がって。フレイアは唇を引き結んで目を逸らした。
「全部終わったら、本当に逃さない」
そのまま。吐息が耳殻を擽って。
フレイアはまた、こみ上げる罪悪感で俯いた。




