ククルス自由経済国家
街道はよく整備されていた。
ローズレッド王国の辺境よりも状態は良いかもしれない。
轍は浅く、水たまりも見当たらない。
路肩の草も一定の間隔で刈られているようで、馬車が通るには十分すぎるほどだった。
「手入れが行き届いていますね」
アイオンが感心したように言うと、ケニーが頷いた。
「商業国家ですから。道が悪ければ物が運べない。物が運べなければ金にならない。それだけのことです」
「合理的ですね」
「ですが、最近のフィギル領も街道に力を入れてますよ。村から村への移動では、この道と遜色ないほどです」
「それは知りませんでした」
ケニーは街道の先へ視線を向けた。
「このククルスという国は、もともと大国に挟まれた小国と各ギルドが手を組んで生まれた国です。王も貴族も置かず、商業同盟として始まった」
「王がいないんですか?」
「いませんね。商業連合議会という組織が国を動かしています。都市代表、大商会の長、各ギルドの代表者、大傭兵団の長達が集まって方針を決めるんですよ」
ヴィラが腕を組んだまま口を開いた。
「つまり金と力を持つ者が偉いということか」
「ざっくり言えばそうです」
ケニーは苦笑した。
「発言力は金と影響力に比例する。豪商達はいつしか経済貴族なんて呼ばれるようになりました」
アイオンは前を向いたまま呟く。
「自由を掲げながら、結局また特権階級が生まれたんですね」
「その通りです」
ケニーはあっさり認めた。
「王という形を捨てても、人は結局力のある者に集まる。世の常ですよ」
そう言いながらも、その声にはどこか諦めにも似た響きがあった。
「ですが、それでも商人は集まります。冒険者も集まる」
ケニーは肩を竦める。
「成功する機会だけは平等だと信じられていますからね。異国の文化も集まるし、銀行や保険、傭兵契約の仕組みも発達した。今の冒険者ギルドの発展にも少なからず影響を与えていると言われています」
「その割には、ギルドは裏路地にありましたが」
アイオンが言う。
「傭兵が台頭しましたから」
ケニーは即答した。
「商人が集まれば裏道を通ろうとする輩も出てくる。そういった者の需要を、裏の仕事を受ける事で満たす者達が現れた。それが、傭兵の起こりです。傭兵上がりの冒険者もいますが、そういった者は大概団が無くなり生き場のなくなった者達ですよ。冒険者の需要も0というわけではないので安心してください」
メルが手帳へ視線を落としながら尋ねた。
「街の成り立ちも違うんですか? ローズレッド王国とは」
「全く違いますね」
ケニーは少し身を乗り出した。
「ローズレッド王国の街は領主や貴族が作ったものですが、ククルスは違う。商人や傭兵団が集まり、人が増え、気付けば街になっていた――そんな場所ばかりです」
「領主がいないということですか?」
「代わりに大商会や傭兵団がありますが、誰かが治めるというより、互いに補い合って成立してるといったところでしょう」
ケニーは迷いなく答えた。
「そして、綺麗事だけで街は維持できません。時には暴力を背景にした者達が街を牛耳ることもある」
ヴィラが静かに言う。
「そしてそれは、これから行くオラクル――だろ?」
「……そういうことですな」
短い沈黙が落ちた。
#
馬車は一定の速度で街道を進み続ける。
周囲の景色も少しずつ変わり始めていた。
街道の両脇に木々が増えていく。
森の入口が近いのだろう。
「もうひとつ聞いていいですか?」
アイオンが口を開いた。
「もちろん」
「奴隷制度があると聞きましたが」
ケニーの表情がわずかに変わる。
「……ありますよ」
先ほどまでより少しだけ声が低かった。
「ローズレッド王国には表向き存在しない。ですが、ここには堂々とあります」
窓の外へ視線を向ける。
「賭博で借金を背負った者。戦争捕虜。身寄りのない孤児。様々な理由で市場へ流れ込む」
「規制はないんですか?」
「ありますよ。ですが限定的です」
ケニーは肩を竦めた。
「この国は自由経済を掲げていますからね。売る者がいて、買う者がいる。その理屈が優先される」
誰もすぐには言葉を返さなかった。
馬車の中に静かな空気が流れる。
「煌びやかな広場の裏には、飢えた路地裏もあります。あの国境の街でもありましたよ。通りませんでしたが、奴隷商も」
ケニーは続けた。
「誰にでも夢を見る権利があると言いながら、富を持たない者には厳しい国ですよ」
その声には皮肉も混じっていた。
「……それでも商人は集まる」
ケニーは小さく笑う。
「成功する者は己の才覚で成り上がれる――そう信じさせる力が、この国にはあるんです」
自嘲とも諦めともつかない笑みだった。
アイオンはそれ以上聞かなかった。
街道の先では、森の木々がさらに濃くなり始めていた。
#
森へ入ると、空気が変わった。
街道の両脇から木々が迫り、空を覆う枝葉が陽光を遮る。
昼間だというのに少し薄暗い。
風が吹くたびに葉が擦れ合い、ざわざわと耳障りな音を立てていた。
アウラは変わらず街道を進んでいる。
だが、しばらくすると足取りがわずかに遅くなった。
耳が立つ。
鼻先が小さく動く。
何かを警戒しているようだった。
(……これは)
アイオンはアウラの様子を見ながら周囲へ視線を向ける。
森は静かだった。
鳥の鳴き声もない。
虫の羽音すら聞こえない。
それが逆に不自然だった。
アウラがさらに速度を落とす。
そして街道の一点を見つめた。
アイオンは手綱を引く。
馬車がゆっくりと停止した。
「……この気配」
ヴィラが前へ身を乗り出す。
アイオンは答えず街道脇へ視線を向けた。
そこには乾いた草むらが広がっている。
一見すると何の変哲もない景色だった。
だが、ヴィラもすぐに異変へ気付いた。
「……草が多すぎる」
低い声だった。
ヴィラは目を細める。
「茂り方が妙だな」
アイオンは馬車から降りた。
ゆっくりと草むらへ近づく。
そして視線を落とした。
地面を這うように広がる無数の蔓。
乾いた草に紛れ込むように伸びている。
その表面には小さな棘が並んでいた。
光を受けて鈍く光っている。
「……ギドル・ニードルですね」
ケニーが馬車の中から声を上げた。
「知っているんですか?」
アイオンが振り返る。
ケニーは苦笑した。
「商人は死なない程度には魔物を覚えるものですよ」
そして草むらへ視線を向ける。
「見分けられなければ荷馬車ごと食われますからね」
冗談めいた口調だったが、目は笑っていなかった。
メルが不安そうに尋ねる。
「危険なんですか?」
「踏めば面倒ですな」
ケニーが答えた。
「棘に刺されると麻痺毒が回る。人間なら数時間、馬でも動きが鈍くなるでしょう」
ヴィラが鼻を鳴らす。
「街道沿いに生えるとは厄介だな」
「獲物を待つ罠みたいな魔物ですから」
ケニーは肩を竦めた。
「動き回る方が珍しい」
アイオンは周囲を確認した。
草むらは街道の左側に集中している。
右側にはほとんど広がっていない。
「右へ寄せます」
全員へ向けて言う。
「刺激しなければ反応しません」
ヴィラが頷いた。
メルも無言で頷く。
アイオンは再び御者台へ戻った。
アウラの首を軽く撫でる。
「頼んだよ」
アウラが短く鼻を鳴らした。
馬車がゆっくりと動き出す。
街道の右端を慎重に進む。
車輪が石を踏む音だけが響いた。
誰も余計な言葉を発しない。
草むらの中に隠れた蔓は動かなかった。
獲物ではないと判断したのか。
あるいは気付いていないのか。
そのまま距離が離れていく。
やがて危険地帯を抜けた。
ヴィラが振り返る。
乾いた草むらは再び森の景色へ溶け込んでいた。
「……やはり賢いな」
ぽつりと言う。
「アウラが先に気付いてくれました」
アイオンは首筋を軽く叩いた。
アウラは誇らしげに鼻を鳴らす。
メルもほっと息を吐いた。
「魔物がいるって分かっていても、全然見えませんでした……」
「そういう相手みたいですね」
アイオンは前を向いた。
「襲ってくる魔物より、難しい」
森の中を馬車は進み続ける。
木々の隙間から差し込む光が少しずつ強くなっていった。
どうやら森の出口が近いらしい。
森を進むにつれ、木々の間隔が少しずつ広がっていった。
頭上を覆っていた枝葉も途切れ始め、差し込む陽光が強くなる。
やがて街道の先に小さな開けた場所が見えた。
森の中にぽっかりと空いた空間。
そこだけが不自然なほど明るい。
アウラも警戒する様子なく歩いている。
危険はないように見えた。
だが――。
「……綺麗だな」
ヴィラが小さく呟いた。
その視線の先。
開けた場所の中央に、一輪の花が咲いていた。
大人の腰ほどもある巨大な花だった。
赤と紫が混じり合った花弁は鮮やかで、陽光を受けて輝いている。
森の中とは思えないほど美しい。
まるで誰かが意図的に植えたかのような存在感だった。
メルも窓から身を乗り出す。
「すごい……」
思わず漏れた声だった。
花からは甘い香りが漂っている。
風に乗って流れてきたその匂いは、不思議と心を落ち着かせるものだった。
緊張が緩む。
警戒心が薄れていく。
ほんの少しだけ。
(……違う)
アイオンは眉をひそめた。
その感覚に覚えがあった。
自然なものではない。
意図的に誘導されている感覚だった。
「止まります」
低い声で言う。
馬車の空気が変わった。
ヴィラが即座にアイオンを見る。
メルも動きを止めた。
アイオンは花から目を離さない。
「香りに魔力が混じっています。吸い込み続けると判断力が鈍る」
ケニーの顔色が変わった。
「……まさか」
窓の外を覗き込む。
そして目を見開いた。
「スナッチ・ブロッサムか」
「知っているんですか?」
「噂だけは」
ケニーは苦い顔をした。
「近付いた獲物を食う植物系魔物です。本物を見るのは初めてですが」
花は動かない。
ただそこに咲いているだけに見える。
だが根元を見ると違和感があった。
土が不自然に盛り上がっている。
周囲にも細い根が広がっていた。
(待ち伏せ型か)
アイオンは刀へ手を掛ける。
次の瞬間だった。
地面が盛り上がった。
花の根が土を割りながら飛び出す。
巨大な蔓が蛇のようにうねり、街道へ伸びた。
「来るぞ!」
ヴィラが叫ぶ。
同時に馬車から飛び降りた。
アウラの手綱を掴む。
メルも慌てて後退した。
花弁が裂ける。
美しかった花が縦に割れた。
内側から現れたのは牙だった。
幾重にも並ぶ鋭い突起。
獣の口を思わせる巨大な捕食器官。
先ほどまでの美しさは跡形もない。
見た目の美しさとは裏腹に、紛れもない捕食者だった。
花は大きく開き、そのままアイオンへ飛び掛かる。
根が地面を叩く。
土が弾けた。
その瞬間。
アイオンは既に動いていた。
体内へ魔力を流す。
身体強化。
一歩で花の正面から姿を消した。
空を噛む牙。
花が獲物を見失う。
次の瞬間には側面へ回り込んでいた。
刀が走る。
鋭い一閃。
根の一本が切断された。
魔物が大きく揺れる。
蔓が暴れた。だが遅い。
アイオンはさらに踏み込む。
根元へ一直線に駆けた。
花が向きを変えようとする。
だが身体が大きすぎる。
対応が追いつかない。
刀が深く突き刺さる。
そのまま横へ薙いだ。
硬い繊維を断ち切る感触。
根元が裂ける。花が痙攣した。
牙が空を噛む。
蔓が何度か地面を叩いた。
そして――動かなくなった。
静寂が戻る。
風が吹いた。
裂けた花弁が揺れる。
アイオンは刀を払った。
付着した体液が地面へ飛び散る。
そのまま鞘へ戻す。
戦闘は終わっていた。
ヴィラがアウラを引きながら戻ってくる。
「相変わらず速いな、お前」
「どういった攻撃がくるかわからないので、時間をかけたくなくて」
メルも恐る恐る近付いてくる。
顔色が少し悪い。
「大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です……」
そう言いながらも視線は花へ向いていた。
「花が開いたところが少し……」
「怖かったですか?」
メルは素直に頷く。
「はい……」
アイオンは苦笑した。
気持ちは分からなくもない。
見た目だけなら綺麗な花だったのだから。
ケニーも馬車から降りてきた。
倒れた魔物を見下ろす。
しばらく観察した後、小さく息を吐いた。
「やはり、見事なものですね」
感心したような声だった。
「技のキレが違う。私も行商の護衛で冒険者や傭兵を雇いますがいやはや……ものが違いますな」
「それはどうも。この魔物、売れる部位はありますか?」
「もちろん!花の部分と根にある種が高値で取引されてます。薬に使うそうで」
「なるほど……。では、採っていきますか」
「是非私に売っていただければ!」
ケニーは商売人の顔になる。
アイオンはそれを見て、少し笑う。
「ケニーさんがいなければ価値のある部位はわかりませんでしたからね。ただ、通常の買い取り額で買ってください」
「えぇ、もちろん!では、この採取袋に――」
「持ってるんで」
アイオンはバッグから取り出す。
冒険者の必需品だ。
「……それはそうですね。冒険者ですものね、アイオンさんは」
ケニーは笑う。
それは、商人としての笑顔ではない気がした。
「……なんでもいい、さっさとしろ」
ヴィラが呆れたように急かす。
アイオンは手早く採取し、ケニーに渡す。
「現金で?」
「いえ、街に戻ったらカードで。道中他の魔物も出るでしょうし、まとめて値段を出したほうがそちらのためでしょう?」
「……おっしゃる通りで」
アイオンは笑う。
「俺が対処する魔物は言い値で売りますが、ヴィラさんは知りませんよ。交渉はご勝手に」
その言葉を聞き、ケニーはヴィラを見る。
すました顔で外を見るヴィラがボソッと呟く。
「……小遣い稼ぎにはなるか」
その独り言を聞き、ケニーはまた笑う。
「お手柔らかに頼みますよ、ヴィラさん!」
馬車の中は少し和んだ。
アウラもすっかり落ち着いた様子で鼻を鳴らしている。
アイオンはその首筋を軽く撫でた。
「じゃあ、行こうか」
御者台へ戻り、手綱を握る。
アウラがゆっくりと歩き出した。
森の奥へ続く街道はまだ長い。
オラクルへの道は、始まったばかりだった。




