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望まぬ2度目の人生を。〜前世の記憶と痛みを抱いて、それでも俺は生きていく〜  作者: 灰とダイヤモンド
第五章 きみの痛みを消せるなら

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恩義

国境の壁は、いつも通りあっさりと越えられた。


係員へ身分証を提示し、入国料を支払う。

それだけだった。


「思ったより安いんですね」


後ろを歩く部下の一人が呟く。


「出る時が高いんだよ」


ケニーは前を向いたまま答えた。


ローズレッド王国。

入るのは安い。しかし、出るのは高い。


それがこの国のやり方だ。

入れるだけ入れて、出る時に搾り取る。


出る資金のない者は中に留められ、あらゆる形のお布施を毟られる。


実に宗教国家らしい発想だと、ケニーは思う。


壁を抜けると、ローズレッド王国側の街道が見えた。


国境の街らしく、人通りは多い。


荷馬車が行き交い、商人と旅人が入り混じる。

活気だけなら、ククルス側にも負けていなかった。


ケニーは人の流れへ混ざりながら歩く。

背後では部下達が小声で話していた。


「……今、オラクルを離れて大丈夫なんですかね?」

「ですよね。代表が自ら行商してるだけでも十分おかしいのに。……向こうも色々きな臭いですし」


ケニーは足を止めなかった。


「だからこそだよ」


二人が黙る。

しばらく歩き、ケニーは振り返った。

笑顔はない。


「あの街が駄目になったら、逃げなきゃならない。一緒に沈む気はないからな」


部下達が顔を見合わせる。


「こっちは今、第三勢力が動いてる。継承権六位の王女様が、国最高の武力を持った公爵とつるんでな」


ケニーは続けた。


「聞けば、弱小傭兵団もくっついているらしい。……もしそこへ食い込めれば、商売の足場を作れるかもしれない」


部下が伏し目がちに反論する。


「で、でも商品に関してはククルスの方が都合がいいですよ。向こうでしか扱えない物も多いですし」

「そんなことは分かってる!」


 ケニーは短く遮った。


「だがな――商売より先に考えるべきものがある」


 二人は黙る。


「命だ」


 ケニーは即答した。


「命があれば商売はやり直せる。逆は無理だ。金を持って女神様んところに行けるんなら、別だがな」


誰も反論しなかった。

しばらくして、一人が静かに口を開く。


「そうなると、《《ファミリー》》を裏切ることになりますね……」

「仕方ない」


ケニーは迷いなく答える。


「恩義はある。だが力を失った《《組織》》に街は守れない」


ケニーは前を向く。


「他所に食われる前に、逃げ道くらい用意しておかないとな。お前達が望むなら、あの街に残ってもいいんだぞ?……どう考えても、損をするがな」


それ以上は誰も何も言わなかった。

ケニーも続けない。


言い訳をするつもりはない。

自身は損得で生きてきた。


だからこそ、恩義と命を天秤にかければ答えは決まっている。


ケニーは再び歩き出した。


国境の冒険者ギルドは広場のすぐ近くにあった。


ローズレッド王国内で商売を行うための確認事項がある。


行商人として登録を済ませておけば、この先の街でも動きやすい。


例年通りだ。


扉を開くと、やはり混雑していた。

受付前には列ができている。


掲示板へ目を向ければ、貼られている依頼の大半は護衛依頼だった。


国境の街らしい光景だ。

ケニーは書類を取り出しながら列へ並ぶ。


その時だった。

入口の方から聞き覚えのある声が聞こえた。


「……一応、討伐依頼でも受けますか?」

「いや、今日はよそう。明日また来て、依頼の更新があったら確かめる」


ケニーは顔を上げた。

見覚えのある黒髪の少年が、出口へ向かっている。


一瞬、目を疑った。

そして次の瞬間には声が出ていた。


「――アイオンさんじゃないですか!?」


#


宿の食堂は狭かった。


窓際に置かれた小さなテーブルを挟み、アイオンとケニーが向かい合って座っている。


他にも数人の客はいたが、それぞれ会話や食事に夢中で、こちらへ注意を向ける者はいない。


ヴィラは街へ出ていた。


「お前の知り合いならお前が対応しろ」


そう言い残し、街の散策へ向かったのだ。

止める理由もなかったため、そのまま送り出した。


結果として、話し合いは二人きりとなった。

ケニーは人懐っこい笑顔を浮かべたまま、テーブルに両肘をつく。


「改めてお願いしますよ、アイオンさん。オラクルまでご一緒させてください」

「理由を聞かせてください」


ケニーは表情を変えずに答えた。


「私はオラクルで店をかまえているんです。なので、ククルスの事情にも明るい。アイオンさんに損はありませんよ」

「そのオラクルから行商に出たんですよね? ただの行商人だと思ってたんで店を持ってるとは思いませんでしたけど、何も売りもせずに戻る理由はないでしょ?」

「現場肌なもので。店は息子に任せてるんですよ。それに、あの部下達の試験みたいな形の行商なので、任せても問題ないかと」

「だからって、あなたがわざわざ俺を案内する理由にはならない」


ケニーの笑顔がわずかに崩れた。

アイオンは構わず続ける。


「確かにククルスの常識は知りませんよ。街の位置にも詳しくない。迷うことはあるでしょう。ですが、急ぐ旅ではないんですよ」


一度言葉を切る。


「世界を見る。……それが、俺の中の大きな旅の理由なんです。ガイドが欲しいとは思いません。ヘルケイル山には向かいますが、最短距離で行く必要もないですし」


二人の間に沈黙が落ちた。


ケニーは数秒ほど考えるように視線を泳がせる。

やがて肩をすくめた。


「……なるほどねぇ」


取り繕う様子はなかった。

誤魔化しても無駄だと判断したのだろう。


「――正直に言いますよ。オラクルには、私の後ろ盾がいましてね」

「後ろ盾?」

「ええ。長年お世話になっている方々です。ただ最近、少し……揉め事がありまして」

「揉め事……」

「ちょっとした街の問題ですよ。大したことじゃない」


アイオンは黙ってケニーを見た。

ケニーは笑っている。


いつもと変わらない、人当たりの良い笑顔だった。

だが、その笑顔はどこか固い。


(大したことじゃない、という顔ではないな)


アイオンはそう判断した。


「俺にどうしろと?」

「……さすがですね。話が早い」


今度こそケニーは笑顔を引っ込めた。

商人としての仮面を少しだけ外す。


「アイオンさんに、その問題を解決してほしい――とは言いません。ですが、力を貸してほしいんですよ」


静かな声だった。


「私の後ろ盾に、私からの紹介として……ですが」

「俺を、その人達に売り込もうと?」

「そういうことです」


率直な答えだった。

アイオンは視線を落とし、テーブルの木目を眺める。


損得の話だ。

ケニーは最初からそのつもりで近づいてきた。


そこに悪意はない。だが善意だけでもない。

商人らしい打算だった。


問題は、その揉め事とやらがどの程度のものなのか。


そこだけである。


「揉め事の詳細を教えてもらえますか?」

「それは……着いてからでも」

「着いてからでは困りますよ。答えようがない」


即答だった。


「判断できない話には乗れません」


ケニーは口を閉じた。

少し迷うような素振りを見せる。

どこまで話すべきか考えているのだろう。


アイオンは急かさなかった。

沈黙したまま待つ。


やがてケニーが息を吐いた。


「……アイオンさんに、こんなことは言いたくなかったんですがね」


その口調に先ほどまでの軽さはない。


「しかし、仕方ない。私としても背に腹は代えられない」

「……?」

「あなたは私に大きな借りがある。それを返していただきたい」


ケニーは真っ直ぐアイオンを見た。

しかし、アイオンには覚えがない。


「……なんのことです?」

「お忘れですか? オルババ村でのことを」


アイオンは記憶を探る。

思い浮かんだのは二年前の出来事だった。


ナリアの病を治すため、赤い薬草を求めて禁断の森へ向かった時のこと。


その道中で出会ったケニーから、武器や道具を融通してもらった。


だが、その借りは既に返している。


「……あれは、イザークさんに身体強化を教えてほしいとケニーさんに頼まれた時に返してるはずですが」


ケニーは小さくため息をついた。

そしてゆっくりと微笑む。


「違いますよ。――あの時、アイオンさんは村までもう少しというところで倒れ込みましたね。禁断の森から休まず身体強化を使い続け、肉体も酷使して……まさに力尽きたという転び方でした」

「……覚えてますよ。カーラさんが走ってきてくれて、バッグを渡して――」


そこで気づく。


駆け寄ってきたカーラに託したバッグ。

そのまま走り出したカーラ。

だが、しばらくして戻り――。


「イザークさんがカーラさんからバッグを受け取り、家まで走ってくれた……」


ケニーは満面の笑みを浮かべた。


「アイオンさんは知らないでしょう。イザークが自発的にカーラさんの元へ向かったわけではない」


そこで嫌らしく間を置く。


「――私が指示したんですよ。“行ってやれ”とね」


ケニーはゆっくりと水を飲んだ。

そして静かに続ける。


「あの時は素晴らしいものを見せていただきました。だからこそ、水を差すようなことは言いたくなかった。恩を売るつもりもなかった。ですから黙っていたんですよ」


アイオンは何も言わない。


「ですが、今の私はその借りを使う必要がある」


穏やかな声だった。

だからこそ重い。


「商売というのは綺麗事だけじゃ回りません。私には店がある。守るべきものがある」


ケニーは真っ直ぐアイオンを見る。


「だから私は、この貸しを使うことにした」

「……」

「気分を害したなら謝りましょう。ですが私は商人です。使える手札を使わずに負けるつもりはない」


食堂に沈黙が落ちた。

ケニーはアイオンから視線を逸らさない。


商人として切れる札を切った。

ただそれだけだと言わんばかりだった。


「あの時の私の指示がなければ、イザークは走り出さなかったでしょうな」


静かな声が続く。


「そうなれば、ナリアちゃんは――」

「もういい」


低い声だった。

その一言でケニーは口を閉ざす。


強い殺気が食堂の空気を凍り付かせた。

他の客は気付いていない。


だが、正面に座るケニーだけははっきりと感じ取っていた。


背筋を冷たいものが這い上がる。

それでも目は逸らさない。


数分にも感じられる沈黙が続いた。

やがてアイオンがゆっくりと息を吐く。


殺気が消えた。


「――確かに、大きな借りがある」


諦めたような声だった。


「それは認めましょう」


ケニーは黙って聞く。


「ですから、“オラクルという街まで共に行き、後ろ盾とやらに会う”。これは受け入れます」

「……ほう」


わずかに眉が上がる。

だがアイオンは続けた。


「しかし、揉め事に力を貸すかどうかは街に行ってから決めます」


その声に迷いはなかった。


「俺は俺の力を過大評価したりしない。手に負えないことに首を突っ込む気もない」


そして真っ直ぐケニーを見る。


「……それでいいなら、その借りは返します」


ケニーはしばらく考えた。

本音を言えば、それ以上が欲しい。


だが、ここで欲を出しても意味はない。

むしろ話自体が壊れる。


「わかりました」


静かに頷く。


「それで十分です」


アイオンは無言だった。

ケニーは苦笑する。


「できれば、こんな形で使いたくはなかった。この気持ちは本当なんですよ」


アイオンの表情は変わらない。


「そんな事はどうでもいいです」


切り捨てるような声だった。


「あなたは商人だ。自分の利益が大事だというだけ……そうでしょう?」


ケニーは一瞬だけ目を細める。

そして肩を竦めた。


「それはその通りです」


否定はしない。

できるはずもなかった。


「私には守るべき商売がありますからね」


再び沈黙が落ちた。

互いに相手の顔を見る。


商人と冒険者。

立場も考え方も違う。


だからこそ、これ以上言葉を重ねる必要はなかった。


やがてアイオンが腰を上げる。


「出発は三日後」


事務的な口調だった。


「ケニーさんは俺の馬車に乗ってもらう。ヴィラさんと、ギルド員のメルさん。四人でオラクルに向かいます。道中の守りはしますが、食事などはそちらで用意してください」

「わかりました」


ケニーも立ち上がる。


「三日後の朝、国境の門の前で待っています」


アイオンは返事をしなかった。

そのまま踵を返し、宿の外へ向かう。


扉が開く。

昼の喧騒が流れ込んできた。


そして次の瞬間には、その背中は人混みの中へ消えていた。


#


宿を出たアイオンの背中が、人混みの中へ消えていく。


ケニーはしばらくその方向を眺めていた。

やがて小さく息を吐く。


「……まったく」


椅子へ深く身体を預けた。


本当なら使うつもりはなかった。

あの貸しは、もっと価値のある場面で切るつもりだった。


アイオンはまだ若い。

だが、あの年齢で既に常識外れだ。


今よりも強くなる。

今よりも大きな存在になる。


その時のために取っておきたかった切り札だった。


だが、そんな未来を待っている余裕はない。


(……勝負に出るなら、今しかない)


ケニーは窓の外へ視線を向けた。


人々が行き交うローズレッド王国側の国境の街。


活気がある。商売も成り立つ。

だが、自分が欲しいものはここにはなかった。


(この国で商いをやり直すより、オラクルの問題を片付ける方が価値がある)


オラクル。


自分の店がある街。


長年世話になった者達がいる街。

そして今、静かに火種を抱えている街。


あの問題が解決できれば、ファミリーへの発言力は大きく変わる。


立場も変わり、商売の規模も広がる。

失うもの以上の利益が手に入る。


だから賭ける。

それだけの話だった。


損得で動き利益を追う。

生き残るためなら使える札は使う。


それが商人だ。


情で飯は食えない。

綺麗事で店は守れない。

ケニーはそれを嫌というほど知っていた。


「だが、これで――」


口元に笑みが浮かぶ。


上手くいけば、自分の価値は大きく上がる。

今後の商売もやりやすくなるだろう。


逆に失敗したとしても終わりではない。

店を畳み、オラクルを離れればいい。


別の街でやり直すも良し。

ローズレッド王国でやり直すも良し。


失うものは確かにある。

だが命まで取られるわけではない。


だから挑む価値がある。


商人とはそういう生き物だった。


勝てる可能性があるなら賭ける。

勝てないと判断したら退く。


それだけだ。


「さて」


ケニーは立ち上がった。


三日後には出発する。

その前にやるべきことがある。


部下達への命令。

そして、オラクルへ戻った後の準備。


考えるべきことは山ほどあった。


「後は上手くやるだけだな」


そう呟き、勘定を済ませるため受付へ向かう。


三日後。


全てはオラクルへ戻ってからだった。

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