番外編 フィギルの悩み
バルナバに、春の気配はまだなかった。
雪は積もったまま解けず、空は低く垂れ込めている。街道を行く者の姿も少ない。
冬の終わりを待ちわびるような静けさが、小さな街全体を包んでいた。
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フィギルは執務室で書類に目を落としていた。
次から次へと、処理すべき案件が増えていく。
原因は、スパールの街だった。
領地が広がること自体は悪くない。
むしろ、貴族として歓迎すべき話ですらある。
だが、対処が追いついていない。
(バルナバと繋げるための街道整備は急務だ。……しかし、人手も資材も足りない)
フィギル領は、元々パルキノン外縁に位置する辺境領。最も王都寄りなカルララ村ですら、“遠い場所”。
昨今の街道整備により、領内の行き来は以前より遥かに楽になっている。
だが、スパールは違う。
元は別貴族の管理地。
道は荒れ、賊被害も絶えない。
――もっとも、それはスパールだけの問題ではないが。
それでも、今やあの街はフィギル領の一部だ。
新たな領民の安全のためにも、早急に手をつけねばならない。
賊が寄りつけば、治安は悪化する。
治安が悪化すれば、領民が減る。
民のため――という理由も、もちろんある。
だが、それ以上に自身の評価を落としたくなかった。
フィギルは上昇志向の強い男だ。
善政も、領地改革も、全ては“結果”を出すために行っている。
(パルキノンから送られてきた難民は、病人や老人がほとんどだ。先遣隊は若い者が多かったからメキララ建設にも回せたが……)
今回は違う。
優先すべきは、メキララの主要事業になる鉱山の仕事を安定させること。
生活基盤を整えねば、余計な不満を生むだけになる。
(落ち着くまでは、メキララから街道整備へ人手を割く余裕はない。……しかし)
頭を押さえる。
メキララ建設までは、多少のイレギュラーこそあったものの、全て上手く回っていた。
自身の評価は上がり、領民の生活も向上した。
冒険者の定着率も増え、商人の流れも活発になった。
さらに私兵を増やし、治安維持も盤石になりつつある。
本来なら、このまま無理なく領地改革を進めていくはずだった。
だが――スパールの編入で、全ての予定が狂い始めている。
(……仕方ない。領民には負担になるが、税収を一時的に上げ、資材と人を募ろう。他領の者も、仕事目当てで流れてくるかもしれない)
重いため息を吐き、書類へ視線を落とす。
増税は、領民から嫌われる行為だ。
だが、領内の安定には代えられない。
フィギルは新たな書類へ手を伸ばした。
その時――不意に、扉が叩かれた。
「フィギル様。ご予定のお客様が来られました」
私兵長ミリオンの声がする。
フィギルが呼び鈴を鳴らすとミリオンは入ってきた。
「……もう、そんな時間か」
「フィギル様、お疲れが顔に出ていますよ」
「実際に疲れてるのだから仕方ないだろ」
「……その通りですが。しかし、どんなお話なんでしょうね?」
「……明るい話であることを願ってるよ」
フィギルは立ち上がり、重い足取りで応接室へと向かった。
#
応接室の扉を開けると、三人の男が既に待っていた。
左右に若い兵士が一人ずつ。
そして中央の男が静かに名乗る。
「はじめまして子爵様。ローズレッド王国第四兵団第三大隊長、バルトスと申します」
三十代半ばほど。
引き締まった体格が服の上から見て取れた。
立ち振る舞いにも隙がない。
場数を踏んできた軍人――そう感じさせる男だった。
「ようこそ、フィギル領へ。ゲルド・フィギルだ。待たせてすまなかった」
「いえ、それほど待ってはおりませんよ」
フィギルは手を差し出す。
バルトスも応じ、短く握手を交わした。
その際、フィギルは自然と後ろの二人へ視線を向ける。
どちらも大柄な体格をしていた。
そのうちの一人が目に入る。
(……この顔は)
オルババ村のラクト。
自身も世話になった男に、驚くほどよく似ていた。
血縁でなければ説明がつかないほどに。
だが今は、その話をする場ではない。
フィギルは内心を表に出さず、再びバルトスへ視線を戻した。
「さて、やる事が山積みでな。長く時間はとれない。早速、本題から進めてもらいたいのだが」
「お疲れのところ、申し訳ありません。では――」
会談は簡潔に進んだ。
王国内部の混乱。
“戒めの炎”以降、不安定になりつつある民心。
さらに、それに呼応するように活発化しているバルガ帝国の動き。
国境付近では物資集積と兵の移動が確認されており、その対策として辺境に拠点を設けたい――というのが今回の主旨だった。
「今回はあくまで事前確認です。土地の状況と、子爵のお考えを伺えればと」
「……なるほど」
ゲルドは頷く。
そして内心では、別の問題を考えていた。
(拠点設置、か。……悪くない。だが、今の状況ではな……)
兵団が駐留すれば、更なる街道治安維持の大義名分が生まれる。
スパール方面への道の整備も進めやすくなるだろう。
商人の往来も増え、領地全体の流通も活性化する。
何より、増税への不満を多少は和らげられるかもしれない。
しかし、大きな問題があった。
(……圧倒的に、人も資材も足らん)
スパールへ続く街道整備に、鉱山の安定化。
やるべきことは山ほどある。
フィギルは思考を切り替える。
答えの出ない悩みを続けるより、目の前の男を見極めるべきだ。
「……確かにこの領地はバルガ帝国と隣り合わせだ。しかし、それでも距離はある。理由は、当然わかっているな?」
「勿論です。アストライア中の人間が子どもの頃から聞かされる場所――“禁断の森”」
禁足地。
人が踏み入ってはいけない場所。
世界に三つ存在する、そのうちの一つがこの領地内にある。
入ってはならない。
だが、知っていなければならない場所。
「我が領地は、あの森に守られている側面もある。見えている範囲と、実際の森の広さが違うとも言われているな。かつての戦争でも、飛空艇が上空から侵入を試みたらしいが――一機もこの領地へ辿り着けなかった」
「二十年ほど前でしたね。私が新兵の頃です。戦後、バルガ帝国側も“あの森には空からも入れない”と話していたそうですよ」
バルトスは懐かしむように笑った。
「大規模な戦いになると、当時の上官には言われていました。しかし、結局は睨み合いで終わった。……正直、安堵した記憶の方が強いですね」
「恩恵とよんでいいのかわからないがな……」
フィギルは真面目な顔へ戻る。
「しかし、それでも不思議な土地であることは確かだ。……無駄になる可能性もある。それでも第四兵団の戦力を置く必要があるのか?私の私兵だけで済む可能性もある」
第四兵団。
その大半は平民出身の兵士達で構成されている。
現場の警戒。小競り合い。敵性国家との睨み合い。
王国の実働部隊と言っていい。
だからこそ、何も起こらないかもしれない土地に兵力を割くのは非効率にも見えた。
バルトスは、フィギルの問いから試されていることを察する。
「――ゼアス、ジェダ。外に出ていてくれ」
「「はっ!」」
二人の若者は部屋を出た。
「できれば、そちらの方も」
「……ミリオン」
「はっ」
扉が閉まり、応接室には二人だけが残る。
張り詰めた静寂。
そして、バルトスが静かに口を開いた。
「――フォスター公爵が動き始めたことは、私よりもご存知かと」
「……ああ」
「現在、軍内部でも動きが活発化しています。単純に言えば、今の王国に従うか、フォスター公爵が支援するジーナ王女側につくか。選ばされ始めているのです」
「……冗談だろ?早すぎる」
フォスター公爵が本格的に動き始めたのは、まだ年末のことだ。
だが、バルトスは表情を変えない。
「この領地では“戒めの炎”による混乱がない。しかし、王都近郊は違います。各兵団にも新女神教に縁のある者は大勢いる。……上辺だけ信仰してる者から、完全に染まり切っている者まで。だからこそ、一気に燃え広がったのです。それだけ、不平不満を抱えていましたからね」
バルトスは紙を差し出した。
そこには短い文章が書かれていた。
『女神様は貴様らの狼藉を許さない!』
「……どこで?」
「王都パルキノンです。ばら撒いていた者は捕らえられましたが、後を絶たないようで」
「……ベゼブのお膝元で、か」
フィギルは理解した。
この領地への拠点設置。
その、本当の意味を。
「……対バルガ帝国ではないな。これは、ジーナ王女が蜂起した時のため――パルキノンを囲う形で第四兵団を配置するためか」
「はい」
短い返事だった。
フィギルは深く息を吐く。
「……第四兵団内部でも割れているな?」
「はい。貴族に忠誠がなくとも、新女神教への信仰は別問題です。ですので表向きは“対バルガ帝国に対する防衛”として動かすそうです」
「きみは、当然ジーナ王女側か」
「でなければ、私があなたに会う理由はありません」
バルトスは窓の外を見る。
「……この領地は良い場所です。民が民として、兵が兵として生きている。新女神教の圧力が届かぬ土地とは、こういうものなのですね」
フィギルは苦い顔を浮かべる。
「だが、それも今だけだ。……恥ずかしい話だが、スパールを安定させるには、人も資材も金も足りない。……増税も考えている。その上で、兵団拠点まで作れば――不満も恐怖も、いずれ広がるだろう」
「……街道整備にはこちらの兵士を投入できます。体力増強にもなりますしね。資材については――ジーナ王女に話を通されては?うまくいけば、増税は必要ないかと」
「……彼女になにができる?フォスター公爵に泣きつくのか?」
フィギルは呆れたように椅子へ沈む。
しかし、バルトスは笑った。
「バザーム砦」
「……アルゼンから奪った土地か。なにかあったのか?」
「想定以上に価値あるものが見つかりました。異民族――ティガル族の物らしいですが、交渉し、ジーナ王女が権利を得たそうです」
そう言って、自身の剣を軽く叩く。
「……鉄か?それなら我が領内にも」
「ミスリルです」
「なんだと?ミスリル鉱山があるのか!?」
「これも内密に。――既に独自の販路でククルスへ流しているそうです。資金面に関しては、かなり余裕があるとか。更に、他国に渡さずに運用する別の掘り出し物があるそうで……いやはや」
「な、なぜそんな土地を、アルゼンは簡単に手放した?」
「ジーナ王女曰く、「馬鹿だから」だそうです」
フィギルは息を呑む。
もしそれが本当なら、話は大きく変わる。
ジーナ王女に支援してもらえれば、増税を最小限に抑えられるかもしれない。
街道整備も、拠点建設も、一気に現実味を帯びる。
何より――。
(……ジーナ王女とフォスター公爵は、本気で王国を取りに来ているのか!)
既に資金、兵、流通、情報。
全てを動かし始めている。
それも、僅かな期間で。
フィギルは深く息を吐いた。
「……そちらの隊は、いつ動く?」
「お望みであれば、明日にでも。到着には時間を要しますが、まずは三百ほど向かわせましょう」
「雪解け前に到着できるか?」
「可能です」
「……なら、まずはスパールとこちらを繋ぐ。街道整備を優先し、その後に拠点建設へ移る」
「よろしいかと。賊への威圧にもなります。スパール付近にて、野営させましょう」
フィギルは頷いた。
もう迷っている時間はない。
動かなければ置いていかれる。
この王国は、既に変わり始めているのだから。
「ジーナ王女とは繋げられるのか?」
「現在、ジーナ王女直接繋がる伝令触媒を保持しているのは、フォスター公爵のみです。そちらを経由していただければ」
「そうか……」
なぜ、フォスター公爵は真っ先に自分へ声をかけなかったのか?
フィギルは、その理由を理解していた。
(……試されているのだろうな)
どこまで腹を括れるか。
どこまで、自らの意思で立てるか。
子飼いだから優遇する。
そんな甘い考えの者が、国取りに参加できるわけもない。
(年の瀬に返事をしなかったのが効いたのだな)
フォスター公爵は、あの時から本気だった。
そして、ジーナ王女も。
フィギルはゆっくり立ち上がる。
「きみは、この後どうする?」
「オルババ村へ向かいます」
「オルババ村に?なぜ?」
「古い友人達がいましてね。彼の息子を預かる立場ですし、会える機会があるなら顔を見ておきたい」
「……あの二人のどちらかか。金髪の方だな?」
「ええ。ラクトをご存知で?」
「世話になっている。なら、案内は不要だな」
バルトスも立ち上がり、頭を下げた。
「貴重なお時間を、ありがとうございました」
「こちらこそ。良い話を聞かせてもらった」
二人は短く握手を交わす。
そしてフィギルは部屋を出た。
廊下で待機していたミリオンへ声をかける。
「伝令魔法を使う。フォスター公爵へ繋げろ」
「はっ!」
短い指示だけを残し、ミリオンはすぐに動き出す。
その途中、フィギルは控えていた若い兵士へ視線を向けた。
ラクトの面影を色濃く残す青年。
「きみは父親似だな」
「はっ!よく言われます!」
ゼアスは緊張した様子で答える。
「弟と妹は母親似だったがな。しかし、良いな。彼の人の良さと、屈強な肉体を継いでいる」
「え?……あっ」
思わず聞き返してしまい、ゼアスは慌てて口を閉じた。平民兵士が子爵へ向ける態度ではない。
だが、フィギルは気にした様子もなく、ゼアスの肩を軽く叩いた。
「――期待している」
「は、はい!」
その言葉に、ゼアスは思わず背筋を伸ばす。
フィギルは小さく笑い、そのまま伝令室へ向かっていった。
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少し遅れて、バルトスが屋敷から出てくる。
何事もなかったように歩き、門番へ軽く礼をしてから外へ出た。
雪はまだ深い。
吐く息は白く、空気は刺すように冷たかった。
「……想定より、いい人だったな」
ぽつりと、バルトスが呟く。
先程までの言葉遣いが嘘のように。
「そうですね。領地も安定していますし、領民からも慕われていました。今まで会う機会はなかったですけど、あの方なら安心です」
ゼアスも自然に同意した。
「全ての貴族がそうならいいんだがな。なぁ、ジェダ」
「……そうですね。しかし、現実はそう上手くはいかないでしょう」
ジェダは内心で冷や汗を流していた。
なぜ、バルトスは自分を同行させたのか?
ゼアスだけで十分だったはずだ。
(……まさか、気づかれているのか?)
第四兵団の情報を、新女神教側へ流していること。
ジェダは新女神教の信徒だった。
正確には、司祭に拾われた時から、そのまま利用され続けている。
兵団の情報を流し、その見返りを受け取る。
そうやって、生きてきた。
ずっと。
バルトスはゼアスと他愛ない話を続けながらも、時折ジェダへ視線を向けていた。
そして、不意に声を張る。
「さて!次はオルババ村だな!」
「はい!」
「お前は一昨年帰ってただろ?そこまで久々でもないか」
「そうですね……でも、妹の件がありましたし、あまり落ち着けませんでしたから。な、ジェダ?」
「……ああ。馬を乗り継いで、仮眠しかしてなかったしな」
「付き合ってくれて、本当に助かったよ」
「当然だろ。相棒なんだからな」
実際は、“蘇った弟”を見たかったから同行しただけだ。
だが、その話題は軽々しく口にできない。
結局、気疲ればかりの道中だった。
「俺は久しぶりにラクトに会えるから楽しみだ!」
「……やっぱり信じられないですよ。親父と団長がそんなに仲が良いなんて」
「お前とジェダみたいな関係だよ!まぁ、あいつはさっさと辞めちまったがな!」
バルトスは笑いながらゼアスの肩を抱く。
「お前の母さんに一目惚れしてな!ほら、案内しろ!」
「はい!」
雪道を三人は進んでいく。
ジェダは二人の背を見ながら、無意識に息を吐いた。




