座する異形
数回の襲撃を退けながら奥へと進む。
気づけば足元には幾つもの死骸が積み重なり、割れた卵の膜と混ざり合って、ぬかるんだような感触を生んでいた。
踏みしめるたびに靴底がわずかに沈み、粘液が絡みつく。
足を引き上げるたび、小さく嫌な音がした。
そして――最奥へと辿り着く。
ヴィラが足を止める。
アイオンもそれに倣い、テオルが二人の背中越しに前を覗き込もうとして、息を飲んだ。
広間だった。
天井は高く、これまでの回廊とは比べ物にならない広さを持っている。
空気の重さが違う。
閉じ込められていた湿気が広がり、冷えた空気の中に生温い匂いが混じっていた。
外から見えた遺跡は、そこまでの規模には見えなかった。
だが、長い年月をかけて内部は変質しているのだろう。
奥へ奥へと魔物が掘り進め、広げてきたのだと理解した。
テオルの魔道具の光が頼りなく広間を照らす。
その光は壁に届く前に飲み込まれ、ただ空間の奥行きだけを強調していた。
その中で――違和感が先に来た。
床が、ない。
正確には床が見えない。
広間の床一面に、何かが敷き詰められている。
近づくまでもなく、それが何かはすぐに分かった。
卵だった。
無数の卵が、隙間なく並んでいる。
大きさはまちまちで、人の頭ほどのものから、腕で抱えきれないほど巨大なものまで混在していた。
均一ではない。
ばらばらで歪で、それでも整然と配置されている。
半透明の膜の内側で、なにかが蠢いていた。
形を持たない動きが、内側から押し上げるように膨らむ。
その数は――数える事を諦めるほどだった。
視界を埋め、意識を圧迫する。
そして、その奥に――それがいた。
広間の奥壁を背にし、床に根を張るように鎮座している。
「……あれが」
テオルの声は掠れていた。
しかし、二人は答えない。
言葉を選ぶことすらできなかった。
かつては何だったのか?
その形からは、もはや何も読み取れない。
複数の生物の痕跡が幾重にも積み重なり、癒着し、融合して――一つの塊になっている。
肉と骨の境界は曖昧で、内部構造など存在しないかのようだった。
関節も骨格も、原形を留めていない。
ただ、その体の所々が静かに光っていた。
淡い青白い光が、脈打つように明滅している。
塊の深部から滲み出るように、いくつかの箇所が規則的に輝いていた。
(……あれが、核か?)
アイオンは目を細める。
一つではない。
三つ。いや四つ。
位置も深さも違う。
どれが本体かは分からない。
だが直感が告げていた。
あの光こそが、この空間すべてを動かしている源だ。
巨体は動かない。
呼吸も見えない。
だが、生きている。
それだけは確かだった。
眠っているのか?
それとも、こちらを認識した上で動く必要がないと判断しているのか?
「……あれ、属性魔石と魔物が……一体化してる?」
テオルが呟く。声が震えていた。
「静かにしてろ」
ヴィラが低く制する。
それは音を立てるなというより、この空間そのものに触れるなという警告に近かった。
アイオンは広間を見渡す。
卵の海。奥の巨体。
そして、広間の縁に沿ってかろうじて残された足場。
卵を踏まずに進める、細い道。
(……どう動くべきか)
一瞬で複数の選択肢を並べる。
その瞬間だった。
巨体が――動いた。
しかし、動いたのは全体ではなかった。
体の上部。
頭部とも呼べない、ただ“上”にある塊がゆっくりと持ち上がる。
その瞬間、空気が変わった。
重い。
音が消える。
耳鳴りのような圧が空間を満たし、次の瞬間――それは鳴いた。
振動だった。
空気が押し潰される。
床が震え、広間全体が内側から叩きつけられるように揺れる。
石壁が軋み、天井から粉塵が落ちる。
テオルが耳を塞いで膝をついた。
「うっ……!」
アイオンも踏みとどまる。
足元から突き上げられる感覚に、内臓が揺れた。
壁に手をつき、崩れそうな体勢を強引に支える。
視界がぶれ、呼吸が乱れる。
ヴィラだけが立っていた。
わずかに揺れながらも、重心を落とし、その場に踏み止まっている。
やがて振動が収まる。
――一瞬の静寂。
そして、音がした。
ひび割れる音。
小さく、だが確実に。
一つ。
卵が割れた。
膜が裂け、粘液が溢れ、中から何かが這い出る。
その瞬間、また一つ。
さらに一つ。
連鎖したひび割れが広がり、音が増える。
裂ける音。
弾ける音。
這い出る音。
広間全体に広がっていく。
止まらない。
卵が、一斉に孵化し始めた。
膜が裂け、粘液が飛び散り、床が濡れていく。
足元が滑る。
中から這い出てくるのは――異形の子。
四足のもの。
蜘蛛型のもの。
不定形のもの。
すべて同じ系統。
だが、その中に明確に異質なものがあった。
四体。
二足で立っている。
輪郭が、動きが違う。
……人に近い。
しかし腕が四本。
頭部が歪んでいる。
皮膚は生物のそれではない。
だが――
立ち方が。
重心の置き方が。
間合いの取り方が。
人間のそれだった。
四体は互いに距離を取り、こちらを見ていた。
動かない。
観察している。
(……これが、一番厄介だ)
遺跡入口で見た異形と同じ。
いや、あの個体より色濃く残る。
人を取り込んだ個体。
「ヴィラさん」
「――わかってる」
短い返答。
それで十分だった。
次の瞬間、群れが動く。
床を踏み荒らす音。
粘液を引きずる音。
空気が乱れ、圧が押し寄せる。
アイオンは刀を抜いた。
敵が来る。
踏み込みが深く迷いがない。
直線的な動き。
だが――速い。
(違う)
本能ではない。
理解している。
間合いを。
詰め方を。
(学習している)
なにから?
――餌となった冒険者からだろう。
アイオンが消える。
視認できなくなる。
身体強化を最大出力で通した瞬間、視界が流れ、音が遅れる。
相手の側面へ回り込み、刃を叩き込む。
深く入る。
だが、止まらない。
膝をつくが、すぐに立ち上がる。
(……しぶとい)
次が来る。
間に合わない。
「火よ!」
炎を送り込む。
傷口の内部から焼く。
悲鳴のような音が響き、ようやく動きが止まった。
視線を横へ向ける。
ヴィラが動いている。
四腕の連撃を受けずに流し、ずらし、回り込む。
力で止めない。
触れた瞬間に軌道を逸らす。
そして懐へ踏み込み、短刀を走らせる。
喉。
脇腹。
続けて突き刺し、異形を崩す。
だが終わらない。
群れが押し寄せる。
前、横、後ろ。
足元が滑る。
卵の膜と粘液が絡みつき、踏み込めば体勢を崩す。
止まれば囲まれる。
選択の余地はない。
アイオンは消える。
一体を斬る。
着地した瞬間、足元が滑り、体勢が崩れる。
次が来る。
低く転がり、距離を取る。
粘液が外套に張り付き、冷たさと不快が意識をかすめる。
だが、それを切り捨てる。
余計な事は消し、考える前に動く。
起き上がりざまに刃を振るい、
「火よ!」
炎を広げる。
三体が怯む。
その隙に一体を斬り、再び消える。
ヴィラも崩れかけていた。
四足が二体、左右から挟む。
逃げ場はない。
だが、下がらない。
正面へ踏み込み、予測を外す。
懐へ潜り、右を差し込む。
そのまま回転し、左を背後へ振るう。
だが届かない。
爪が肩を掠め、外套が裂ける。
血が滲むが、それでも止まらない。
膝をついた個体へ首を叩き込む。
すぐ振り向く。
次が来る。
低い。
ヴィラは跳んだ。
異形の背を踏み台にし、空中で反転。
着地と同時に首元を刺す。
倒れる異形。
だが、また来る。
終わらない。
その中でアイオンが消える。
視界から消え、別の位置に現れ、また消える。
動きが違う。速さが違う。
(――速すぎる!この目でも追いきれない!)
ヴィラの認識が変わる。
(……違う)
理解する。
(指向性が違う)
自分は持久型。
アイオンは瞬発による一点突破。
二人の役割ははっきりと分かれた。
その瞬間、連携が成立する。
二人は背中合わせになっていた。
前後左右から異形が押し寄せる。
床は最悪。
死骸と卵で埋まっている。
だが、動きは止まらない。
アイオンは出力を調整し、踏み込みと着地で力を切り替える。
ヴィラは流し、弾き、確実に削る。
互いの不足を補っていた。
(敵は手強いけど……この人となら!)
やがて群れの数が減っていく。
一体。
また一体。
最後の一体が倒れた時――
静寂が戻った。
二人の荒い呼吸だけが残る。
だが、それもすぐに飲み込まれる。
奥の巨体が、まだそこにいる。
光が脈打つ。
先ほどよりも、強く。
まるで待っていたかのように。
アイオンは刀を構え直した。
(……ここからだな)
押し寄せる威圧感に、どこか懐かしさを覚えた。
あのヒュドラのような。
あのオーガのような。
あのオルトロスのような。
――明確な殺意。
空気そのものが敵意を帯び、ただ立っているだけで肌が軋むような圧がかかる。
「テオルさん、下がっていてください」
「……とっくにそうしてるっす」
壁にしがみつくようにしているテオルは、震える手で荷物を探りながら、何かを組み立てていた。
だが、今はそれに構っている余裕はない。
視線を戻す。
巨体。脈打つ光。
こちらを見ている。
「どう攻める?」
ヴィラの声が、短く落ちる。
無駄がない。
試すようでもあり、すでに答えを共有しているようでもあった。
ほんの僅かだが、信用されているのが分かる。
アイオンは、ふっと息を吐いて笑った。
「フォローし合う。それが最善でしょう」
それ以上は必要ない。
余計な言葉も、作戦もいらない。
「……確かにな」
ヴィラも小さく応じる。
二人は並び一歩、踏み出す。
その瞬間――
異形の巨体の光が強く脈打った。
空気が変わる。
こちらを認識した。
餌ではない。
敵として。
異形が雄叫びを上げる。
空間そのものを震わせるような圧が放たれた。
二人は同時に踏み込む。
迷いはない。
――戦闘が、始まった。




