亜人
遺跡の入り口が近づくにつれ、雪の上の痕跡が増えた。
足跡。引きずった跡。血の染み。
一匹二匹ではない。
アイオンは無言で周囲を確認しながら進む。
テオルは何か言いかけて、止めた。
そして――聞こえた。
低い唸り声。複数。ぶつかる音。雪を踏み荒らす音。
前方の開けた場所で、何かが戦っている。
木の陰から慎重に覗く。
先ほど自身らを襲ってきたウルフ型の魔物が三匹。
対峙しているのは――全身が歪に膨れた、不定形に近い何かだった。
人の背丈ほどの大きさ。
複数の魔物の残骸が癒着したような異形の体。
動くたびに、関節のない部位がぐにゃりと曲がる。
ウルフの一匹が跳びかかった。
異形はそれを無造作に弾き、そのまま押し潰した。
二匹目が横から突っ込む。
異形の体の一部が伸び、絡め取る。
あっという間だった。
三匹目が唸り、後退する。
それでも逃げない。
縄張りを、いや——何かを守ろうとするように、地面を踏みしめて立っている。
異形はゆっくりと向き直り、三匹目に迫った。
その時、風向きが変わった。
異形が、動きを止めた。
ゆっくりと、こちらへ顔を向けた。
(……気づかれた)
「引きますよ」
テオルの腕を掴み、後退する。
しかし、テオルの反応が遅い。
異形が迫ってくる。
交戦するしかなくなってしまった。
刀を抜く。
相手は速くはない。
ただ、重い。力任せに突っ込んでくる。
横に捌いて斬る。
手応えはある。だが、浅い。
体の構造がおかしい。
急所がどこにあるか分からない。
もう一度、踏み込んで深く斬り込む。
今度は動きが鈍った。
三度目。首に相当する部位を狙って叩き込む。
異形は崩れるように倒れ、動かなくなった。
念のために、後処理をする。
「火よ」
瞬時に魔物の死骸に火柱がたつ。
貴重な魔物かもしれない。
しかし、解体する気にはなれなかった。
(……人の形を真似してる?いや、そんなものじゃない。なにか……別種の……)
考えながら息を整える。
刀を払い、鞘に収めた。
後ろを確認する。
テオルは木の幹に張り付くように立っていた。
顔が白い。
アイオンは逃げたウルフが消えた方向を見た。
それから、遺跡の壁を見た。
悪い予感しかしない。
「――戻りましょう」
静かに、はっきりと言った。
「……え?」
呆けていたテオルは聞き返す。
アイオンは冷静に伝える。
「依頼内容と状況が違いすぎます。おそらく、あの魔物が原因でウルフ種の生息範囲が変わったのか、縄張りが荒らされた。……あの魔物は、C級以上です。単体であるという確証もない。……遺跡の中に何がいるか分からない以上、進むのは無謀です」
「ま、待ってくださいっす!」
テオルが前に出た。
「……わかってたっす。危険度が上がってるのは」
声が、震えていた。
テオルは真っ直ぐにアイオンを見た。
「……実は、この依頼を前から出してたんっす。何組か受けてくれた冒険者がいたんすけど」
唇を噛んだ。
「……誰も、帰ってこなかったっす」
沈黙が落ちた。
「ギルドでも問題になって、それ以来誰も受けてくれなくなったっす。そこにCランクのあなたが来たから……頼むしかなかったっす」
アイオンは何も言わなかった。
ただ、先ほどの異形の姿を思い出す。
そして、今のテオルの発言。
(……冒険者たちは、帰ってこなかった)
「笑われながら、馬鹿にされながら、それでも続けてきた理論があるっす。それを証明するためだけに、ここまで来たっす。このチャンスを逃したら——自分は魔道具師として終わりっす」
テオルの懇願は続く。
しかし、アイオンは聞いていなかった。
様々な魔物や、人の形を真似た、基礎知識にいない異形の魔物。
(属性魔石は周辺の生態系にも影響を与える……。もし、その影響を受けて変異した魔物が、この中にいるのなら……?さっきの魔物は、尖兵の様なものだったら?)
「テオルさん」
「〜であって――はいっす!」
尚も言い訳を続けるテオルの話を遮る。
「正直に答えてください。あなたが手に入れたい物は、この遺跡の入り口にある物ですか?それとも、奥ですか?」
「……ここで属性魔石を見つけたって冒険者の話では、入り口付近だったって聞いてますっす」
「あなたの望みの物の話です。おそらくですが、属性魔石の質もまばらでしょう。入り口付近で見つけた物より、奥地にあると思われる物の方があなたの目的では?」
テオルは顔を伏せ、黙る。
沈黙が答えだった。
「俺の仮説を聞いてください」
テオルは恐る恐る顔を上げる。
アイオンは話し始める。
「属性魔石になにかの魔物が適応し、変種した。その影響であの魔物が生まれ、ウルフ種の生息範囲を荒らした。これが昨今の山の荒れ具合なのでしょう。そして、あなたの依頼を受けた冒険者ですが……彼らはここにたどり着き、その変異種に食われたのではないでしょうか?」
「く、食われって……!」
「それなら、あの魔物が人の特徴を真似してた理由にはなる。……吸収した餌の、優れた点を取り込んで、あの異業種を生んだのでは?」
絶句するテオル。
自身の出した依頼で、魔物に糧を与えてた可能性がある事実に、顔は青ざめた。
「ゲールの街にCランクの人間はいなかったんですね?だからあなたは俺に飛びついた。あなたの依頼を受けた者達は、Dランクだったんでしょうね」
「こ、この季節、魔物はほとんど出ないはずっす。なんで、強い人らは他所に……」
言い訳が、途中で消えた。
テオルは唇を引き結んだ。
反論できる言葉が、もう出てこないのだろう。
アイオンはしばらく黙っていた。
遺跡の入り口を見る。
黒ずんだ壁。
その奥の闇。
(……帰った方がいい。冷静に考えれば、それが正解だ)
分かっている。
だが、考える。
ウルフ種がこの山を捨てれば、行き場を失った群れはゲールへ向かい、街に被害が出る。
そして、異形の魔物も餌がなくなれば——行動範囲を広げるかもしれない。
最低でも、確認しなければならない。
ギルドに報告するにも、何もなければ動けない。
実態を掴んでこそ、意味がある。
(……仕方ない)
深くため息を吐いた。
「――進みましょう」
テオルが顔を上げた。
「……ほ、本当っすか?」
「あなたの依頼のためではありません。最低限、実態を確認してギルドに報告する必要がある。それだけです」
テオルは少し間を置いてから、静かに頷いた。
「……っす」
言い訳のない返事だった。
アイオンは遺跡へ向き直った。
「俺の後ろから離れないでください」
「っす」
二人は遺跡の入り口へ踏み込んだ。
闇が、静かに二人を飲み込んだ。
#
遺跡の内部は、外より暗かった。
石造りの天井が低く、左右に続く回廊は奥へ向かうにつれて闇に溶けている。
雪の音が消え、代わりに静寂が耳に触れた。
アイオンは一歩踏み込み、立ち止まった。
気配がある。
それも、後方から。
「テオルさん、下が——」
直後。
闇の中から影が飛んだ。
テオルへ向かう軌道。速い。
反射的に腕を伸ばす。
テオルの胸ぐらを掴み、後方へ引き倒す。
自身が前へ出る形になった。
風が頬を掠めた。刃だ。
刀を抜く間もなかった。
代わりに、腕で軌道を外した。
着地した影が、数歩退いて構えを取る。
小柄だが、動きが速い。
短い刃を逆手に持ち、こちらを真っ直ぐ見ている。
外套の下から角が覗いていた。
額から伸びた、二本の角。
「な、な……亜人っす!!」
テオルが腰を抜かして壁に寄り掛かった。
相手は一瞬テオルへ目を向け、すぐアイオンへ戻した。
「ここは、我らの遺跡だ。うろちょろされては癪に障る」
短く、切り捨てるように言った。
「――去れ」
アイオンは刀の柄に手を添えたまま、抜かなかった。
「我らの、というのは?」
「関係ない。去れ」
「あなた一人ではないということですか?しかし気配はない……村かなにかがある?」
相手は答えなかった。
ただ、刃の角度が変わった。
アイオンはしばらく相手を見た。
強い殺気がある。
これは、何度か感じた予感。
(……命の取り合いになるな)
ただ、相手のそれは怒りでも憎しみでもない。
対話できると、判断した。
「……俺達はここを荒らしに来たわけではありません。いや、来た目的はそうだったんでしょうけど、今は違います」
「信じる根拠が何もないな」
「正直に話してるだけマシだと思ってもらいたいですね」
アイオンは刀を地面に放る。
テオルはその行動に驚くも、角の女性はアイオンから目を離さない。
「……体外魔法を使うのは見た。騙されはしない」
「そういった意図はありませんよ」
いつから見られていたのかはわからないが、やり合う気はない。
それだけをわかってほしかっただけだ。
ゆっくりとアイオンは問いかける。
「……見てたのならひとつ、聞かせてください。あの異形の魔物を、あなたはこれまでに見た事がありますか?」
相手の動きが、一瞬止まった。
「……」
「ウルフ種と戦っていた、人の残骸を取り込んだような、異形の魔物の事です。前からこの周辺にいましたか?」
沈黙が続いた。
アイオンは否定だと理解し、話を進める。
「最近、山の生態系がおかしくはなかったですか?弱い魔物が押し出されるように降りてきている。ウルフ種はおそらくこの辺を縄張りにしてたが、奴らに荒らされ、生態系が崩れたのでは?……ウルフ種がこの山を捨てれば、街へ向かう。それは同時に、餌を失った異形の魔物の行動範囲拡大に繋がります。そうなれば――」
「……こちらの集落にも、危険が迫る事になる」
相手が、静かに言った。
アイオンは頷いた。
「確認しなければ戻れません。何がいるか、どこまで広がっているか。それを調べて街の冒険者ギルドに報告する。排除できるならそれが一番良いですが。……あなたは相当に強い。どうでしょう、協力しませんか?」
長い沈黙だった。
相手は刃を構えたまま、動かない。
やがて、ゆっくりと刃を下ろした。
「……山の平穏は、こちらにとっても大事だ」
「では?」
「私が先に行く。お前は後ろから付いてこい」
相手は踵を返し、遺跡の奥へ向かって歩き出した。
テオルが壁から身を剥がし、アイオンの袖を引いた。
「い、一緒に行くんすか?信用できないっすよ……」
「利害関係が一致してるなら良い。戦力が必要な事態ですから」
アイオンは遺跡の奥を見た。
闇の中を、小さな背中が進んでいく。
「俺達も行きましょう。テオルさんが真ん中で、俺が殿を務めます」
「わ、わかったっす……」
背中を追って、二人も進む。
何が待つのかわからない、遺跡の奥へと。




