視線
雪が、積もっていた。
昨日より深く。
女性は膝下まで埋まりながら、山の斜面を静かに進んでいた。
足音を消す必要はない。
この雪が、すでにすべての音を殺している。
見回りは、毎朝の習慣だった。
人は知らない、自身の集落から東へ半刻。
魔物の痕跡がないか?
罠が荒らされていないか?
山の気配に変わりがないか?
それだけを確かめて戻る。
誰かに命じられた仕事ではない。
気づいた時には、自分がやるようになっていた。
自身が集落で一番の使い手。
危険がある事に対処する。
それは義務であると、女性は認識していた。
外套の襟を立てる。
防寒のためではない。
この寒さは、もう慣れている。
不便だと感じる事もない。
少し――窮屈なだけだ。
それと、額から生えた二本の角に雪が積もるのが、少しだけ煩わしい程度。
東の罠を確認する。異常はない。
南の罠を確認する。
引っかかっていた。
小型の魔物。
さして脅威でもなく、使える部位も持たない。
その死骸が雪に半分埋もれている。
珍しくはない。
ただ――
最近、数が増えている。
三日前は二匹。
一昨日は四匹。
昨日は七匹。
そして、今朝。
目の前の一匹。
増え方が、不自然だった。
弱い魔物ならそれ相応の生き方をする。
種が途絶えないように、臆病に生きるものだ。
しかし、ここ数日は違う。
しゃがみ込み、死骸を調べる。
傷は罠によるものだけ。
争った痕跡はない。
逃げた様子もない。
ただ、押し出されるように、ここまで降りてきた。
ため息混じりに立ち上がる。
自然と山の奥を見ていた。
白い息が、ゆっくりと混じる。
木々の向こうには、小さな遺跡がある。
子供の頃から近づくなと教えられてきた場所。
理由は知らない。
ただ、「古い場所で危ないから」とだけ聞かされていた。
最近、その方角から夜になると、低い音が聞こえる。
地の底で何かが軋むような、押し殺されたような音。
怖くはない。
だが理解できないものには、近づかない。
それが、相応の生き方のはずだから。
踵を返す。
#
集落への帰り道を進む道中。
山の下に、人影が見えた。
二人。
雪道を、こちらへ向かって歩いている。
片方は大きな荷物を背負い。
もう片方は――見慣れない武器を携えていた。
木の陰に身を潜める。
細めた目が、遠くの姿をはっきりと捉える。
自分のような人――"亜人"の視界は、人よりも遠くを捉える事ができるという。
その中でも、"先祖返り"といわれてる自分は、更に遠くを見通せる。
(……またか)
最近、山へ入る人間が増えている。
行き先は、決まっていた。
山の奥の遺跡。
理由も分かる。
価値のあるものがなければ、こんな雪山誰が登るか。
自分にはその物の価値はわからないが、よっぽど貴重なのだろう。
二人の姿が木々に消える。
その方向を、しばらく見つめた。
山の奥で、また低い音が鳴った。
女性は慎重に、二人の後を追った。
#
ゲールの北門を出ると、すぐに雪が深くなった。
街道を外れた山道には、踏み固められた形跡がほとんどない。
テオルが紙を広げて先を確認し、アイオンがその後ろを歩く。
荷物はテオルが持つと言い張った。
理由は分からないが、あえて止める理由もなかった。
「属性魔石って、採れる場所が限られてるんすよ」
テオルが歩きながら話し始める。
「魔力溜まりが長期間安定しないと生成されないんで。山岳地帯の遺跡とか、古い建物の地下とか――そういう場所に多いっす」
「遺跡に溜まりができる理由は?」
「そこなんすよ! まだ分かってないんす!」
急に声が弾む。
「古い建材とか、魔素の蓄積とか、地下水脈とか……色々説はあるんすけど、確定してるものはないっす。古い文献を読み解いても、同じ現象が起こる場所の共通点って多くはないっすけどあるんすよ!しかも、場所によって込められる属性魔石の種類が違うし、それに影響されて周辺の魔物も生態が変わる現象が起きるっす!」
話が熱を帯びていく。
アイオンは相槌を打ちながら聞いていた。
分からないことだらけだった。
だが、面白いとは思った。
「テオルさんは、手に入れた属性魔石でなにを作るんです?」
「……それは内緒っす」
わずかな間。
また目が泳いだ。
「理論はできてるし、作れる自信もあるっす。でも、皆から笑われるんすよ……。出来上がった時に、そいつら全員見返したいって思いが強くて、一人でやってるっす」
それだけ言って、口を閉じた。
気まずい空気をしばらく歩く。
風が木々を揺らし、枝から雪が落ちる。
「……そういえば」
アイオンが口を開く。
「飛空艇以外に移動手段ってないんですか?例えば……地上を走る、馬車代わりの物とか」
自分の疑問を聞いてみる事にした。
飛空艇なんていう技術があるなら、車の様な物の方が作るのは簡単ではないか?
それに、大陸間を移動する機関車の様な物の方も。
テオルが足を止め、振り返る。
表情が変わっていた。
さっきまでの軽さが消えている。
「……魔道具師と知り合いでもいるんすか?」
質問の意図がわからなかった。
が、重要な問いかけだと察するのは簡単だった。
「いえ、いません。単純に、気になって」
じっと見つめるテオルの――どこか怒ってる様な目。
やがてボソッと答えてくれた。
「……残ってないっすね」
「残ってない?という事は――かつてはあったと?」
「歴史ってのは……残ったもんが正義なんすよ。魔道具開発ってのは色んなしがらみの中で作んなきゃならなくて、後世に残すってなるとまた別のしがらみが巻きついてくるんす」
静かな声だった。
「今の女神教と同じじゃないっすか?古い教えなんて、この国に残ってないじゃないっすか。自分はカイバル海上国家生まれなんで旧教の教えも少しは知ってるっすけど」
再び歩き出す。
背中が、わずかに硬い。
それ以上は、聞けなかった。
#
しばらく無言のまま進む。
雪の向こうに、石造りの構造物が見えた。
黒ずんだ壁。
風雪に削られ、色を失った石。
目的の遺跡だろうか。
想像していたより、ずっと大きい。
(……Eランク相当の依頼、か)
違和感が、先に来た。
その直後――
静かな殺気。
背筋を撫でるような気配に、反射的に刀の柄へ手が伸びる。
次の瞬間。
左の茂みが揺れた。
踏み込む。
半歩前へ出て、テオルの前に立つ。
「下がって!」
雪が跳ねた。
現れたのは、ウルフ型の魔物。
だが――
普通ではない。
大きい。
一回りどころではない。
二回りはある。
全身に刻まれた古い傷。
剥がれた毛並み。
生き延びてきた個体に思える。
そして、その眼。
ただの獣ではない。
知性がある。
それ以上に飢えがある。
縄張りを守るそれではない。
もっと奥。
押し込められた何かが、滲んでいる。
二匹は雪を踏みしめながら、低く唸り、距離を詰めてくる。
(……これは、追い詰められた捕食者の眼だ)
構えながら、確信する。
オルババ村近くの村でもあった。
ハーピーやアーススパイダーによりウルフの生息地がズレ、飢えた結果街道付近に侵食し、人に害を与えていた姿と同じだ。
“数が増えている”どころではない。
質が違う。
刀を抜く。
鞘走りの音が、雪の中に消える。
初めての戦闘らしい戦闘をこの刀とこなす事になるが――やはり、驚くほど手に馴染む。
一匹が跳ぶ。
速い。
通常のウルフより明らかに速い。
だが――軌道は読める。
踏み込まず、半歩だけ外す。
最小の動きで斬る。
刃が肉を裂いた感触。
そのまま振り抜く。
斬った感覚はあるが、骨に当たった気配はない。
一匹が雪の上に鮮血を彩る。
間髪入れず、もう一匹が迫る。
横から低く滑り込み、踏み込む。
迎え撃つ。
刃を正面から叩き込むのではなく、首筋へ滑らせる。
血が弾けた。
足元の雪が色濃く赤く染まる。
二匹とも、動かなくなった。
――静寂。
刀を軽く振り、血を払い鞘へ戻す。
(この刀……思ったより特別なのかも)
それが感想だった。
驚く程の切れ味を発揮した。
感覚だが、刃こぼれもしていないはず。
少しだけ、怖くなる程に手に馴染む。
これに魔力を込め、風の刃を形成したら――
頭を振り、思考を切り替え、後ろを振り返る。
テオルは固まっていた。
荷物を抱えたまま、一歩も動いていない。
手には魔道具。
戦闘用だろうか?
だが――構える暇すらなかった。
沈黙。
「……昨日の夜、言ってましたっけ?自分の身は守れるって」
「……めんぼくないっす」
視線が落ちる。
耳が赤い。
アイオンは魔物へ視線を戻す。
大きさ。古い傷。そして――あの眼。
「テオルさん」
「……っす」
「この魔物、見たことあります?」
間。
ほんの一瞬、言葉を選ぶ気配。
「……ないっすね。でも、E級っすよ。ウルフ種なんて大概そうですし」
声が、わずかに揺れていた。
否定はしない。
ただ、肯定もしない。
アイオンは何も言わない。
遺跡へ視線を向ける。
(……女神の基礎知識にない魔物……か)
風が木々を揺らす。枝から雪が落ちる。
遠くで、何かが軋むような音がした気がした。
「行きましょう。目的地はすぐでしょ?」
「……っす」
二人は再び歩き出す。
遺跡が、雪の中で静かに待っていた。




