番外編 望む未来
アイオンが去った後のフォスター公爵邸。
リズは、ベッドの上で震えていた。
この王都に来てから割り当てられた部屋。
アイオンと共に過ごした部屋で。
「う……うぅ……」
声を押し殺しながら、泣き続けていた。
アイオンが去った。
ただ、それだけで胸が苦しい。
「アイオン……」
名を呼ぶたびに、涙が零れる。
その時、ノックの音が響いた。
「リズ様、入ってもよろしいですか?」
カストルの声。
何度も様子を見に来てくれているのは分かっている。
けれど、返事をする余裕はなかった。
数秒の沈黙の後、扉が静かに開く。
「久しぶり、リズ!」
柔らかな声。
その響きに、確かな記憶が重なる。
リズはゆっくりと顔を上げた。
「……イスラ?」
涙で濡れた視界の先に、懐かしい笑顔があった。
「覚えててくれたのね」
イスラはベッドの横に腰を下ろし、何も言わずにリズを抱きしめた。
「……っ」
温もりが伝わる。
それだけで、張り詰めていた何かが崩れた。
「う……ああぁ……」
今度は声を殺さなかった。
イスラはただ、強く、優しく抱きしめ続ける。
「……良かった。心配してたけど、ちゃんと泣けるようになったのね」
耳元で、小さく囁く。
「悲しい時に泣けるのは、悲しいって素直に思えるようになった証拠よ」
しばらくして、リズの嗚咽が静まる。
イスラは指先で涙を拭った。
「ねえ、リズ。アイオンのお父さんに会ったよ」
「……え?」
リズが、目を見開く。
「偶然よ?今、フィギル子爵って人の護衛をしててね。その関係でスパールにいた時に会ったの」
「……どんな人だった?」
かすれた声。
「うーん……とにかく大きい! アイオンの体格からは想像できなかったわ。でもね、アイオンはお母さん似なんだって」
楽しそうに語る。
リズの瞳に、わずかな光が宿る。
「……妹はいた?」
小さな問い。
「その時は、お父さんと村の人が数人だけ。オルババ村に住んでるんだもの、会うなら村まで行かなきゃね」
「……行ってみたいの。オルババ村」
その言葉は、前を向いた響きを持っていた。
「いいじゃない! その時は私に依頼を出してね。ちゃんと守るから」
明るく言い切る。
リズが、ほんの少し笑う。
その笑顔を見て、イスラの胸が温かくなる。
(こんなふうに笑えるようになったんだ……本当に、凄いな)
イスラは窓の外へ視線を向けた。
雪が静かに降っている。
(入れ違いで王都を出たって聞いたけど……私も会いたかったな、アイオン)
冒険者の世界は、一期一会。
明日を約束できる保証はない。
それでも、今こうしてリズと再会できた事が嬉しかった。
「そうそう! 幼馴染がバルナバで店を開いてね。これがまた本当に美味しくて!」
「……どんなの?」
リズの声に、少しだけ弾みが戻る。
イスラは、その変化を見逃さなかった。
この時間を、大事にしようと思った。
#
フォスター公爵とフィギル子爵が、書斎で向かい合っていた。
暖炉の火が静かに揺れる。
外では、雪が降り続けている。
「なるほど……そのような事に」
フィギル子爵が、低く息を吐く。
バザーム砦の顛末。
ティガル族の解放。
ジーナ王女の決意。
そして、砦周辺の管理権の譲渡。
フィギル子爵は話を聞き終え、ようやく現実に追いついた。
「次にジーナ王女が欲するのは、私の後ろ盾だろう」
「そうでしょうな……」
フィギル子爵は頷く。
「あなたが王女を推せば、継承権争いは一変する。アルゼン王子もベジール王子も、抱えるのは小粒な貴族ばかり。公爵家は四つありますが、あなたの家に比肩する力はない」
フォスターは静かにワインを揺らした。
「女神教への抑止として、領主として気概ある者を集めた。私兵を鍛え、領内を整えた。……それが上に立つ者の責務だと信じていたしな」
「……しかし、それは同時に静観という諦めでもあった」
「手厳しいが、その通りだ」
短く肯定する。
窓の外の白を、ただ見つめる。
「……どうされますか?」
フィギル子爵が問う。
「ジーナ王女を支援なさるのですか?それなら私も相応の準備をしなくてはなりません」
沈黙。
火の爆ぜる音だけが響く。
やがて――
「……彼女次第だな」
そして、自身の考えをフィギルに聞かせた。
#
話が途切れた後、フィギル子爵は慎重に口を開く。
「……それは、酷ではありませんか?」
フォスターの視線が向く。
その目は強い決意を宿していた。
「だが、必要なのはそういう者なのだ」
ゆっくりとグラスを回す。
「アルゼン王子も、ベジール王子も……他の王族も同じだ。女神教の傀儡である自覚があっても、抗う意思はない。……それでは、国は変わらぬ」
低い声が続く。
「必要なのは――自ら選び、自ら立つ者だ。どんな意思でも良い。確固たる目的を持ち、我らを導く先導者でなければならない。……だから、彼女次第なのだよ」
再び沈黙が落ちる。
この話は、ジーナ王女と対話しなくてはどうにもならない。
それを察したフィギル子爵が話題を変える。
「そういえば、アイオン少年はもう王都を出たそうですね」
「……ああ」
短い返答。
「残念です。彼の父から、伝言を預かっていたのですが」
「……父親、か」
その一言に、わずかに影が落ちる。
「あの少年には、返しきれぬ恩がある」
フォスターの声は、低い。
「私もですよ。王女誘拐事件……あの時、彼がいなければ今、首は繋がっていなかったでしょう」
苦く笑う。
「あの時は、過度な期待を背負わされた少年だと侮っていました。だが、新しい村を作る際にも力を貸してくれた。借りは返さねばと思っております」
フォスターは、ゆっくりと首を振る。
「……私には、その資格はなくなったよ」
「どういう意味です?」
フィギル子爵の問いに、フォスターはしばし目を伏せる。
「私は、あの少年に迷惑をかける存在になってしまったのだ」
拳が、わずかに軋む。
「……恩を返すどころか、仇で返してしまった!」
雪が降り続ける。
「……だが、それでも進まねばならぬ」
顔を上げる。
「たとえ許されぬとしても……進まねばならぬのだ」
その声には、悔恨と覚悟が滲んでいた。
フィギル子爵は何も言わない。
ただ、自身の身の振り方を考えていた。
#
アストライア歴1206年の終わりまで、あと数日。
フォスター公爵邸の書斎。
いつものように暖炉の火が、静かに揺れている。
ジーナとフォスター公爵は、二人きりで向かい合っていた。
「ご存じでしょうけれど、バザーム砦周辺の管理権を手に入れたわ」
ジーナが静かに告げる。
「私に付き従う兵士は六十名。傭兵団《灰狼》と協力関係を結んだ。……さらにティガル族の協力も取り付けたわ。同い年の貴族学生四人も、志を共にしてくれている」
事実だけを並べる声音。
フォスター公爵は口を挟まず、最後まで聞いた。
「その上で――」
ジーナが真っ直ぐに見据える。
「あなたの力が欲しい。私が国を変えるために……王になるために」
迷いのない告白だった。
フォスター公爵が、ゆっくりと口を開く。
「ジーナ王女殿下」
あえて敬称をつける。
「わずか五日間の実地試験としては、見事な成果と言えましょう。しかし――聞かねばならぬことがある」
鋭い視線が向けられる。
「あなたが本当に望んでいるものは、何ですか?」
ジーナは一瞬だけ息を止めた。
「……新女神教からの自立よ。誰もが支配されず、自由意志で生きられる国にしたい」
フォスターは静かに首を振る。
「それが建前であることは理解しています。国民を思う心も本物でしょうがね……」
低く、だが容赦なく。
「だが私が知りたいのは、あなた個人の望みだ。取り繕いのない言葉を聞きたい。でなければ――私は別の者を探し、立てるつもりです」
その言葉は明確な造反の宣言だった。
同時に、本気で国を変える者を選ぶ覚悟でもある。
沈黙が落ちる。
暖炉の火が爆ぜた。
やがて――
「……私の望みは」
ジーナが顔を上げる。
「アイオンと共に生きる未来」
フォスターの目が、わずかに見開かれる。
「そのために、煩わしいものは全て排除する。王族にすら指図し、駒として扱う新女神教を放置する気はない」
拳を握る。
「私はいずれ、有力な貴族に嫁がされる。母がそうだったように……権力者への貢物として」
唇を噛む。
「そんな生き方は、絶対に嫌。世を恨みながら死んでいった母のようには……なりたくない」
真っ直ぐに見返す。
「私の人生は、私が決める。……私は自分の足で立つ」
フォスターの表情が、わずかに曇る。
「……アイオン、か」
小さく呟き、問いを重ねる。
「彼は、あなたをどう思っているのでしょう?想いは伝えたのですか?」
「……気づいてはいるはずよ」
ジーナはうつむく。
「……でも、気づいてない振りをしているわ。それはわかる……」
アイオンの態度はあからさまだ。
人の好意に応えるのが下手な人らしい、気づかない振りという名の、一番残酷なやり方。
だが、ジーナの想いは途切れない。
その程度で途切れるような、浅い想いではない。
「でも、それでいい。まだ時間が足りないから」
「甘い」
そんな心を見透かすような、冷ややかな一言。
「彼が受け入れる保証はない。素知らぬ顔をしているということは――現段階ではあなたの事を選んでいないということだ」
視線が鋭くなる。
「拒まれたらどうする?王を目指すのをやめられますかな?」
「そんな未来は来ないわよ」
強い口調の即答だった。
「私はアイオンの隣に立つ未来だけを望む。それ以外はありえない。……妥協はするかもしれないわ。でも、彼は必ず私と共に生きるの」
フォスターは呆れを含んだ視線を向ける。
「あなたには、歪んで見えるのでしょうね……」
ジーナはわずかに笑う。
「でも、あの人はそれだけの光をくれた。……身を焦がすほどの、強烈な光を」
拳を握る。
「――私の未来にはアイオンがいる。それを目指して進むだけなのよ」
フォスターは小さく笑った。
「確かに狂っている。だが――」
間を置く。
「そこまでの欲がなければ、この国は変えられぬ。新女神教が長年押しつけた信仰は、もはや洗脳に近い」
ふと、窓の外を見る。
「……アイオンは特別な少年だ」
静かな声。
「そして今の私は、彼の信頼を失っている」
自嘲気味に笑う。
「私と手を組めば、あなたも同じ線で切られる可能性がある。……彼は敵味方を明確に分ける。一度敵と見なせば、覆すのは容易ではない」
視線が戻る。
「それでも、よろしいか?私の存在が、あなたの望みを遠ざけるかもしれぬ」
フォスターは隠すこともできた。
だが告げる。
自身の存在がデメリットになる事を。
ジーナは考え、そして答える。
「……あなたの力は必要よ」
まっすぐに。
「でも、彼があなたを敵だと言うなら――」
一瞬の間。
「その時は、躊躇わず切る。あなたの力を奪った後でね」
冷たい宣言だった。
「関係改善を望むなら、働きなさい。私が庇う価値があると思えるだけの成果を出して」
沈黙。
やがてフォスターは深く頷いた。
「……いいでしょう」
立ち上がり、窓辺へ。
降り続く雪を見つめる。
「……清濁を併せ呑む覚悟なくして、第三王女……継承順位六位の者が王を目指すなど、戯言に過ぎぬ」
そして、静かに跪いた。
「今宵より、フォスター公爵家はあなたに忠誠を捧げましょう」
ジーナも立ち上がり、彼の前に膝をつく。
その手を握る。
「共にこの国を変えましょう」
レオ・フォスターは強く頷いた。
この瞬間、ローズレッド王国次期国王争いに第三勢力としてジーナ第三王女が加わった。
アイオンという存在により起きた波紋は、ローズレッド王国を揺るがす程の衝撃となる。




