失言の代価
フォスター公爵は、以前から感じていた。
アイオンという少年について。
年齢にそぐわない精神性。
確かで、揺るぎない自己を持ち、迷う者に光を示す存在。
――なるほど。
こういう存在が、女神に選ばれたのだろう、と。
だがそれは、あくまで表層だけを見た評価に過ぎなかった。
彼の本質を真に理解している存在は、この世界にはいない。
ジーナも、カーラも、ラクト家も、村の者も。
魂を見る力を持つラガやアルテアでさえ、その心の奥底までは踏み込めていない。
いや、あえて踏み込みはしなかった。
そういう意味では――メリッサが、唯一近づいたのかもしれない。
ジーナに「わかっていない」と評されたメリッサだが、限りなく《《司》》の人物像に近づいている。
確かに、《《司》》は変わった。
人当たりは柔らかくなり、他者に興味を持つようになった。
そして――《《アイオン》》である自分を、受け入れられるようにもなった。
そうすることで、ラクト家を、村を、大切に思えるようにもなった。
だが、彼の本質は――
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アイオンは深く息を吐き、背もたれに身を預けた。
やがて足を組み、腕を組む。
「……一つ目」
そう前置きし、ゆっくりと指を一本立てる。
「俺は、クソ女神の代弁者じゃない。あいつとこの世界の間に何があって、なぜ見放すに至ったのか――俺は、少しも知らない」
あからさまに、態度も言葉遣いも変わった。
「二つ目」
二本目の指を立てる。
そこには、明確な威圧があった。
「クソ女神が俺にした期待は、世界の変革なんかじゃない。……もっと個人的な話だ。そういう意味で、過去の御使とは確かに違うな」
冷ややかに続ける。
「……そもそも、御使ってのは自分がそうだと名乗る存在じゃないはずだ。吹いて回る奴がいるなら――ただの詐欺師だろ?」
「ま、待ってくれ! その……クソ女神という呼び方はやめないか?」
「最後に!!」
女神教徒ではないとはいえ、余りの不敬に焦りを見せたフォスターを制し、アイオンは一度息を整えた。
そして、静かに、しかし断ち切るように告げる。
「――それを口にしてしまった以上、あなたとの関係を、これまで通り続けることはできない」
視線を逸らさずに続ける。
「正直に言えば、新女神教のことも、あなた方のことも、俺にとってはどうでもいい。俺にとって大事なのは――“アイオンの家族とオルババ村の人達”だけだ」
淡々と。
だが、揺るぎなく。
「あなたの立場でそれを知り、俺がこうして話をした以上……口にしなかった頃には、もう戻れない」
最後に、低く言い切る。
「……他人の思惑に巻き込まれるのは、ごめんだ」
その言葉は静かに、しかし確かに、部屋の空気を切り裂いた。
フォスター公爵は何も言えず、ただアイオンを見つめていた。
予想外だった。
ここまでの反応が返ってくるとは、思ってもいなかった。
「ま、待ってくれ!」
慌てて言葉を紡ごうとする。
だが、口を開きかけて止まった。
(……弁明する気か? 何を?)
何を言っても、言い訳にしかならない。
自分がアイオンに問うた。
御使であると、確信をもって。
そして、アイオンは答えた。
その結果が――これだ。
「……そうか」
フォスター公爵は、ゆっくりと息を吐いた。
「私が……大恩あるきみを、利用すると、思ってしまったのだな?」
その声には、自嘲が滲んでいた。
アイオンは表情を変えず、冷たく告げる。
「少しでも俺がそう考えてしまった時点で、もうどうにもならない。……あなたは女神教やローズレッド王国と反目し合う存在だ」
アイオンは一度視線を落とし、静かに伝える。
「……オルババ村の旧女神教のシスター達は、その言葉を決して口にしなかった。ティガル族は俺がそうであると断定したが、一族全ての者が俺のために女神へ宣誓し、命を賭して秘蔵する事を誓ってくれた」
深い失望を込めて、言い切る。
「……あなたに何があったのかは知らない。だが、他者によって都合良く使われる要因があるのなら――全力で排除すると決めている。今も、昔も、これからも……決して変わらない」
それは、宣告だった。
もう、決して戻れない。
フォスターは深く頭を垂れた。
「……すまない」
小さく、呟く。
「私の浅はかさが、きみに疑念を抱かせてしまったのだな」
アイオンは何も言わなかった。
ただ、暖炉の火を見つめている。
沈黙。
重苦しい空気が、部屋を満たしていた。
やがて、フォスターがゆっくりと顔を上げた。
「……さぞ、唐突に感じただろう」
その声には、懇願が滲んでいた。
「だが、聞いてほしい。きみが戻ってくる前に――」
だが、アイオンは立ち上がった。
「聞くつもりもない。話は終わりだ」
冷たく、告げる。
「あなた方の事情が何であれ、俺には関係ない」
フォスターが息を呑む。
「待ってくれ!」
アイオンは扉へと向かう。
「アイオン!」
フォスターが大声をあげる。
「せめて! せめて、リズには会ってやってくれ!」
その言葉に、アイオンの足が止まった。
振り返らずに、答える。
「……明日、王都を出る前に会いに来る。荷物もあるしな」
「そうか……」
フォスターが、安堵の息を吐く。
だが、アイオンはゆっくりと振り返った。
そして、腰に手を置く。
刀に。
その仕草に、フォスターの背筋が凍りついた。
「……ただ、一つだけ念を押しておく」
低い声。
そこには、明確な殺意があった。
「あなたが俺を御使だと、《《間違った情報》》を吹聴し、オルババ村の人達を利用したり、俺の家族に何らかの被害が出た場合――」
アイオンの目が、鋭く光る。
「俺は決して、あなた《《方》》を許さない。誰であれ――絶対に報いは受けさせる」
その言葉は、単なる脅しではない。
その意味を察したフォスター公爵は、何も言えなかった。
ただ、アイオンを見つめる。
その瞳には、困惑と恐怖が宿っていた。
アイオンは、刀から手を離す。
そして扉を開け、出て行った。
静かに閉まる扉。
フォスター公爵は、ただその扉を見つめ続けていた。
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廊下に出ると、カストルが慌てた様子で立っていた。
「アイオンさん! なにがあったんです? 旦那様が大声をあげるなんて!」
心配そうな顔。
だが、アイオンは立ち止まらなかった。
「ここを出ます。お世話になりました」
「ま、待ってください!」
カストルが慌てて声をかける。
「なにがあったのかはわかりませんが――」
「明日、荷物とリズに会いに来ます」
アイオンは、振り返らずに答えた。
「それでは」
「アイオンさん!」
カストルの制止も聞かず、アイオンは玄関へと向かった。
足音が、静かに響く。
カストルはただ呆然と、その背中を見送るしかなかった。
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玄関の扉を開けると、冷たい夜気が流れ込んでくる。
アイオンは一歩、外へ出た。
雪が、また降り始めていた。
(……どこに行くかな?)
宿を取るべきか。
だが、値段が高そうで気が進まない。
(そういえば、メリッサにも会わなきゃなんだよな……。別に寝なくてもいいけど、腹は減った)
歩きながら考える。
警戒のために兵士達が近づいてくるが、見えるようにフォスター公爵から借りている紋章入りの小冊子を手に持つ。
すると、蜘蛛の子を散らすように消えていった。
(……王都にいる間は、使わせてもらうさ)
思い出しても、虫酸が走る。
あの時のフォスター公爵は、明らかに冷静ではなかった。
アイオンが来る前に、何かがあったのはわかっている。
だが、それでも許せなかった。
(……御使。それだけは、絶対に駄目だった)
アイオンは恐れている。
自分が女神の加護を与えられていると知られることを。
それによって、家族に不幸が降りかかる可能性があることを。
だが、フォスター公爵は、はっきりと聞いてしまった。
イエスかノーかでしか答えられない問いを。
アイオンは苛立ちを抱えたまま、夜の王都を歩く。
雪が、その肩に降り積もる。
足跡だけが、白い雪の上に残されていった。
やがて、憤怒の感情も少しずつ収まった頃――
元貧民街にたどり着く。
(……環境は悪いが、一夜くらいは過ごせるか)
ありがたく使わせてもらう事にする。
貧民達はすべてフィギル領へ送ったはずだったが、すでに何人かが寒さに震えていた。
(……この街じゃ、一瞬の出来事なんだな)
溜息をつきながら、廃墟となった残骸を無造作に崩す。
何をしているのかと、貧民達が寄ってくる。
アイオンは、それを整え、積み重ねた。
そして、火の体外魔法を使う。
火は轟々と燃え上がり、辺りに温もりをもたらした。
貧民達は恐る恐る、火元に近づいてくる。
アイオンは、それを止めもしなかった。
自分達もあたって良いのかと、次第に人が集まってくる。
アイオンは、ただ黙ってその様子を眺めていた。
(……食い物出したら、根こそぎ持ってかれそう)
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アイオンが去った後の書斎。
暖炉の火だけが、変わらず静かに揺れていた。
フォスター公爵は椅子に座ったまま、動かなかった。
ただ、虚空を見つめている。
やがて、ノックの音が響く。
「失礼します」
カストルが、そっと入ってくる。
フォスターは、顔を上げなかった。
「……旦那様」
カストルが心配そうに近づく。
「何があったのですか?」
沈黙。
フォスターは深く、息を吐いた。
「……私は彼を、見誤っていたよ」
小さく、呟く。
カストルが、首を傾げた。
「見誤る……?」
「ああ」
フォスターが、ゆっくりと顔を上げる。
「私が評価していた部分は、彼の上辺でしかなかったのだ」
暖炉を見つめながら、言葉を続ける。
「だからこそ、安易に答えを求めてしまった。それがどの様な結果になるか、少しも考えずにな……」
「……尋ねたのですか? 女神の御使であると?」
「そして、この結果だ」
フォスターの声が沈む。
カストルは少し考え、問い返した。
「……旦那様が、彼を利用すると?」
「そう思わせてしまった時点で、私の落ち度は明白だ」
フォスターは、ゆっくりと首を振る。
「旧女神教の教えが根付く村で生まれ、育ち――我々の知らない様な奇跡を起こしてきたはずだ。だが、彼を御使だとは断定しなかったそうだよ。オルババ村のシスター達は」
そして、低く告げる。
「神託がないとは言え、待ち望んだ存在である可能性は高かったはずだ。だが、そうしなかったのは――守るためだろうな」
「……」
「今の女神教から。そして、貴族や王族の争いから」
フォスターは、カストルをまっすぐに見た。
そのまま、静かに告げる。
「だが、私の立場は反女神教だ。実際、今も準備を進めている。そんな人間から御使か?と問われれば……利用されると思っても、仕方のないことだ」
カストルは何も言えなかった。
ただ、フォスターを見つめている。
やがて、カストルが静かに口を開いた。
「しかし、旦那様」
「……?」
「アヤツのことがあり、気が動転していたからこそ……失言をしてしまったのでしょう?」
その言葉に、フォスターがわずかに表情を緩めた。
「……そうだな」
小さく、頷く。
「だが」
フォスターは、目を閉じる。
「彼には関係のない話だ。そして、時間は戻らない。過ぎゆくだけだ」
その声には、深い諦念が滲んでいた。
カストルは何も言えなかった。
ただ、静かに頭を下げる。
フォスターは、もう何も言わなかった。
カストルはそっと、部屋を出た。
扉が、静かに閉まる。
一人残された書斎で、フォスターは深く息を吐いた。




