対等な関係
洞窟の中に、ジーナの声が静かに響いた。
「――以上が、こちらの提案です」
沈黙が落ちる。
松明の炎だけが、静かに揺らめいていた。
ラガは穏やかな表情のまま、じっと考え込んでいる。
グラムもまた、真剣な顔で族長を見守っていた。
ギルバートは腕を組み、ラガの反応を待つ。
やがて――
ラガがゆっくりと口を開いた。
『……一つ、確認させてください』
「何でしょう?」
『あなた達は、僕達を利用するつもりですね?』
その言葉に空気が一気に張り詰めた。
グラムの手が、僅かに腰の武器へと伸びる。
ギルバートも、鋭い警戒の色を見せた。
だが――
ジーナは動じなかった。
「そうよ」
正直に答える。
グラムが厳しい表情でジーナを見据えたが、彼女は視線を逸らさずに続けた。
「私にはあなた達の力が必要なの。協力者としても、味方としても」
ラガの表情は変わらない。
穏やかに、しかし射抜くような眼差しでジーナをじっと見つめている。
「でも――それがあなた達にとって、最も得がある事なのではないかしら?」
ジーナは強く、自分自身に言い聞かせるように告げる。
「自治権さえ認められれば、生き延びているティガル族が帰って来やすくなるかもしれない。……残酷な言い方だけど、あなた達はもう、今いる数だけでは生きていけないはずよ」
再び、重い沈黙が落ちる。
やがて――ラガが小さく笑った。
『……その通りですね』
『ラガ!』
その言葉は、確かな重みと共に吐き出された。
グラムが耐えきれずに口を挟むが、ラガはそれを手で制する。
滅びに向かう一族の長となった少年は、静かに続けた。
『僕達に必要なのは時間です。攫われた同胞が帰ってくるかもしれない……そうでなくても、他の民族と血が混ざり、後継が生まれれば、一族は生き延びる事ができる』
ラガが、どこか哀しげに微笑む。
『どんな要因があったにせよ、僕達は弱者だ。でも、だからこそ……その条件を、そのまま受け入れるわけにはいかないですね』
その言葉に、ジーナの目が見開かれた。
「……断るという事?」
『《《その条件では》》、です』
ラガは視線を落とさずに続ける。
『《《昔からの》》ティガル族が望むのは彼の地――ローズレッド王国の地を取り戻す事です。……僕なりに考えたんです。何が《《今の》》ティガル族にとって最良なのかを。そして、結論は出ました』
一度、目を閉じ――そして深く息を吸う。
ゆっくりと目を開き、覚悟と共に言葉を紡ぐ。
『僕は――祖先の誓いを破ります。土地の奪還を諦めます』
「……ふふっ」
不意に、アイオンが笑った。
決して嫌な笑いではない。
予想通りと言わんばかりの、漏れ出た笑いだった。
ヘミングが慌てて二人に聞こえるように内容を訳す。
ジーナとギルバートは、あまりの衝撃に言葉を失った。
彼女たちの計画にとって、ティガル族の協力は絶対的な前提条件だったからだ。
(な、なぜ? 土地の所有権はこちらも認めるというのに……)
ジーナはあからさまに狼狽える。
ラガはそんな彼女の様子を察し、いたずらに微笑んだ。
そして、ジーナではなくアイオンへと視線を移す。
『やっぱり、驚かないんですね?』
「俺がラガの立場でも、そうしたから」
『嬉しいです。おばあちゃんの言葉を理解してくれていて』
ジーナは困惑したまま、二人のやり取りを見つめ、それからアイオンに視線を向けた。
「彼は未来を見ているんですよ。一族としての未来を。それは今までの長にはできなかった事だ。……これまでは誰もが、過去の誓いに縛られていたから」
ラガはその言葉を受け、また頬を緩める。
嬉しそうに、照れながらはにかむ姿は、年相応の少年のようだった。
ジーナは納得がいかず、問いを重ねる。
「未来って……私も未来を見据えて提案を――」
「それはジーナ達にとっての、都合のいい未来ですよ」
アイオンの強い言葉に、ジーナは息を呑む。
ギルバートが慌てて間に割って入った。
「おいおい、アイオン! それは違うぞ! 王女殿下の案は俺達全員にとって都合がいいはずだ!」
「どうでしょうね? そこにティガル族の意思が、本当に入っているんでしょうか?」
しかしアイオンは、冷静にため息をつく。
「彼の出した答えは、"王国の領土を奪還する事を諦める"というものです。"自治権を認めるからここで生きてくれ"というジーナ達の案は通じない。……彼らはこの土地に縛られる事もないんです。どこへ行こうと、彼らは自由だ」
アイオンはニッコリとジーナに微笑みかけた。
「必要なのは、《《対等な条件》》ですよ。……勘違いしているようですが、彼は歩み寄ってくれています。……ジーナ。あなたなら、彼の言葉の意味がわかるはずですよ」
そう言い、アイオンはまた前を向く。
これ以上の助言はしないと、その顔が語っていた。
(……対等な条件?)
ジーナは静かに思考を巡らせる。
アイオンの放った言葉が、頭の中で尚更強く響く。
(彼らは、もう土地に縛られない。奪還の誓いを捨てたから……)
それが何を意味するのか?
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
(そうか。私は……彼らを利用しようとしていただけだった)
対等だと言いながら。
協力すると言いながら。
(本当は――彼らを、都合の良い駒としか見ていなかった)
ラガの、あの優しい微笑みが目に浮かぶ。
その奥にある、底知れない覚悟。
(そうか……彼が見ている未来は――)
彼は、一族の未来《《だけ》》を見ている。
祖先の誓いを破ってでも、ティガル族が生き延びる道を選ぶ。
その重すぎる責任を彼一人が背負っているのだ。
ジーナは顔を上げた。
深く息を吸い、ラガを真っ直ぐに見据える。
「……ごめんなさい」
絞り出すようなその言葉に、ギルバートが驚愕する。
「……王女殿下? わかったのか?」
返答はせず、ジーナは毅然と続けた。
「私は――間違っていたわ」
ラガが、静かに微笑みを返す。
「あなた達の事を見ようともせずに……ただ現状から察するだけで、勝手に条件を決めた。確かに、私達の都合を一方的に押し付けただけだったわね」
ジーナは一度、言葉を切る。
「だから、あなたはあえて言葉にしたのね。自分達は、都合の良い駒にはならないと」
ラガが、深く頷いた。
『僕には責任がある。祖母から託された、一族の存続。それは、顔も知らない祖先の誓いより優先される事です。……そう確信しているからこそ、その条件では受け入れられません』
強い眼差しだった。
ラガは、とうに決めていた。
優先されるべきは「今」を生きる民だと。
見るべきは過去の怨恨ではなく、未来への共生だと。
ジーナは深く息を吐き出した。
「なら――提案を変えるわ」
ギルバートが身を乗り出す。
「おい、王女殿下!?」
だが、ジーナは構わず続けた。
「自治領を与える、なんていう形じゃない」
ラガを真っ直ぐに見つめ、一字一句を噛み締めるように告げる。
「共に、新しい国の形を作りましょう」
その宣言に、洞窟内の空気が一変した。
グラムが驚愕に目を見開き、ギルバートが息を呑む。
ラガは――ただ静かに、ジーナを見つめていた。
「――誰もが対等に生きられる場所を目指して。決して平等なんて逃げじゃない……対等な国よ」
ジーナの声に、確固たる力が籠る。
「それを、ここから始めるの」
『……』
「あなた達が良ければ、ここに留まってほしい。でも、それは強制じゃない」
ジーナは、自分から手を差し出した。
「選んでほしいの。私と共に、この国を変える未来を」
沈黙が落ちる。
長い、長い沈黙だった。
松明の炎だけが、激しく揺らめいている。
やがて――
ラガがゆっくりと立ち上がった。
『……ジーナ王女』
穏やかな声だった。
『一つ、聞いてもいいですか?』
「何でも聞いて」
『あなたは――本気ですか?』
ラガの目が、真剣な光を宿す。
『誰もが対等に生きられる国。それを、本当に作れると信じているのですか?』
ジーナは少しの間、黙り込んだ。
そして――
「わからないわ」
正直に、ありのままを答える。
「私の目的は――正直に言えば、そこにはないの。だからこそ、できるかどうかの保証なんて、今の私にはできないわ」
ラガは、黙って耳を傾けている。
「でも――」
ジーナの目に、強い光が宿る。
「やってみせるわ……必ず。私が一番欲しいものを、堂々と欲しいと言うために」
その言葉に、一点の嘘もなかった。
ラガはじっとジーナを見つめ続けていた。
彼女の魂の深淵を――見透かすように。
やがて――
ラガが、ふわりと微笑んだ。
『……あなたの魂の色は、とても――』
「え?」
『全てを明かしてはいないけれど、その望みのために尽くすという言葉に、嘘はない』
ラガが一歩、前に踏み出す。
『迷いもある。不安もある』
ジーナは、何も言い返せない。
『……それでいいんですよ』
ラガが、優しく告げる。
『完璧な人なんていない。迷いながら、不安を抱えながら――それでも前に進もうとする』
そして、手を差し出した。
『そういう人となら――共に歩めます』
ジーナの目が、わずかに潤んだ。
差し出されたラガの手を――
溢れる感情と共に、しっかりと握り返す。
「……ありがとう」
小さく、震える声だった。
『こちらこそ』
ラガが微笑む。
『ティガル族は、あなたと共に歩みます』
グラムもまた、厳しい表情を僅かに緩めて頷いた。
ギルバートは――
腕を組んだまま、堪えきれずに小さく笑っていた。
「……予定と違うが、まあいいか」
独り言のように呟く。
アイオンは――
黙って、その光景をただ見つめていた。
(……よかった)
心の中で、静かに思う。
(ちゃんと、気づけた)
ジーナの横顔。
迷い、悩みながらも、自らの足で前に進もうとする姿。
(……迷いも悩みも抱えて進める人だ。俺と違って)
そう思いながら――。
彼は誰にも気づかれぬよう、静かに微笑んだ。
#
握手が解かれ、二人は再び腰を下ろした。
ラガが、実務的な口調で口を開く。
『では――具体的な話をしましょうか』
ジーナが強く頷いた。
「ええ。まず、バザーム砦の修復についてだけど――」
『ラガ!』
リルが、血相を変えて飛び込んできた。
『砦の方から煙が上がっているぞ!』
その言葉を、アイオンが即座にジーナへ伝える。
だが、誰よりも早く反応したのはギルバートだった。
「何かが起きたな。戻った方がいい」
「そうね……。ラガ! 詳しい話は後日になりそう。ギルバートを通してのやり取りになるわ」
『わかりました。こちらもティガル族をまとめておきます』
深く頭を下げるラガ。
彼もまた、これから一族に対する重い説明をしなければならない。
だが、彼なら大丈夫だろう。
ジーナは確信し、急いで洞窟を後にした。
#
ギルバートとヘミングが先を行く。
ジーナとアイオンは、彼らから少し遅れて歩いた。
「……ねえ、アイオン?」
ジーナが小さく、問いかけるように声をかける。
「なんですか?」
「……私、うまくやれたかしら?」
それは、不安げな声だった。
張り詰めていた糸が切れ、年相応の少女の弱さが顔を覗かせる。
アイオンは少し驚いたように、ジーナを見た。
彼女は俯いたまま、雪を踏みしめていた。
「……ラガに、ちゃんと伝わったかな?」
震える声。
アイオンは――静かに、微笑んだ。
「間違いなく、よくやったと思いますよ」
その言葉に、ジーナが顔を上げる。
「本当に?」
「ええ」
アイオンは深く頷く。
「あなたは、自分の間違いに気づいた。そして、素直に認めた」
前を向いたまま、彼は続ける。
「それができる人は、少ないですからね」
ジーナの目が、わずかに潤む。
「……ありがとう」
小さく、呟く。
二人は黙って、雪道を歩き続けた。
冷たい風が吹き抜ける。
やがて――
灰色の空から、白い雪が舞い降りてきた。
静かに、静かに。
世界を白く染めていくように。
ジーナは空を見上げる。
「……あなた、実はわかってたんでしょ? 最初に私が計画を話した時から、あのままじゃ失敗するって」
「ええ。全員が得をすると言っていましたけど、そうじゃなかった。ラガは賢い。従属の様な関係になる事はすぐにわかったでしょうね」
アイオンもまた、空を見上げた。
白い雪が、二人の間を舞い落ちる。
「……相手の目線に立つ事が、こんなに難しいなんて思わなかった。また学べたわ」
ジーナが呟く。
その横顔を、アイオンはそっと見つめた。
自分の弱さを認め、他者の痛みを知り、それでも前に進もうとしている。
(皆、俺より大人だな……)
「……ーい二人とも! 急げ! なにがあったかわかんないんだ、悠長にしてられない!」
ギルバートの声に我に返り、二人は頷いて足早に歩き出した。
二人の足跡を、優しく埋めながら雪は激しさを増していった。




