幕間 国の行方
雪降る王都パルキノン。
夜の景色に混ざり、白が静かに踊っている。
フォスター家ではレオ・フォスターが一人、執務室で仕事を続けていた。
自領の統治は長男に任せている。
それでも細部の修整案や来季の指針だけは、今もレオが最終的に決定している。
年が変わる前に、ある程度の草案をまとめる必要があった。
早い段階で運営方針を固めなければ、余計な混乱を招く。
師走の慌ただしさは、どの世界でも変わらない。
為政者として責任が重い立場なら、尚更だった。
ドアを叩く音に、レオは顔を上げる。
「入れ」
「失礼します」
カストルが素早く部屋に入ってきた。
働き詰めの主人の姿を見て、思わずため息が漏れる。
「……まだ詰めてらっしゃるのですね」
レオは机上の書類から目を離さず答える。
「必要な事だ。国に納める金は年々増していく。しかし民に負担を強いるわけにはいかん。期待に応える義務が私にはあるのだよ」
「それで旦那様が病にでもなれば、女神教がこれ幸いと増長しますよ」
「そうならんように動いていくつもりだ」
椅子に深くもたれ、レオは息を吐く。
疲労の色を滲ませながらも、その瞳だけは衰えていない。
「これまでは流れぬように牽制してきたが、これからは違う。国を憂う貴族達や兵士をまとめ、団結し、まずは国を蝕む賊を駆逐する。……私怨もあるがな」
「それもよいかと。……旗頭次第ではあるでしょうが」
「ベジール王子からの勧誘はひどくなってきた。だが彼が上に立っても、べゼブからルドバになるだけでなにも変わりはしない。新女神教という病は続いていく……」
カストルが言葉を選びつつ切り出す。
「アルゼン様ですが――バザーム砦に向かったとの報告があります」
その一言に、フォスター公爵は一瞬だけ目を見開いた。
「動きがあったのか?」
「一昨日から砦と連絡がつかなくなったそうです。伝令魔法の触媒が反応しなくなったとか」
「確認のためにアルゼンが直々に、か。……べゼブは?」
「大教会の動きはなにも。ですが先ほど王立学院の飛空艇が飛び立ちましたので、ベジール王子も動き出したかと」
「……そうか」
レオは窓の外の雪を眺める。
降ったり止んだりを繰り返していた空は、今日は静かに降り続けるようだった。
「――歯車を動かしたのは、彼かな?」
フォスター公爵の言葉にカストルは小さく微笑み、静かに頷く。
「……停滞していた時が動き出す始まりは、些細な出来事が大半です。そのきっかけになり得る存在だとは、私も思っていますよ」
アイオンを正しく評価する二人は、確信に似た予感を抱いていた。
「――フィギルに連絡を入れろ。迎えを出すのでこちらに来るようにと。今はスパールにいるんだったな?」
「はい。王国からの難民達の生活基盤を整え、領地開拓の計画を練っているはずです」
「よし。間もなく王国は――世界は揺れる。どの様な結果を出すかは賽の目次第だが、いち早く動く必要がある。頼んだぞ、カストル」
「承知しております」
静かに礼をし、カストルは部屋を出ていく。
扉が閉じられ、執務室に再び静寂が戻った。
一人残されたレオは、小さく笑みを漏らす。
「……年甲斐もなく、心が躍るな」
王国を憂い、しかし諦めていた男に訪れた決定的な瞬間。
新女神教に支配された国で、抗いながらも逃げられなかった日々の終わり。
「後は、ジーナ王女次第か?旗を持つのは彼女か、別の王族か……それとも――」
立ち上がる時は、間もなく来る。
静かな雪の夜の中で、フォスター公爵は新しい時代を見据えていた。
#
(クソッ……時間が足りない!)
スパールの街。
かつて執政官が住んでいた屋敷の一室で、フィギル子爵は机に向かい、深く眉を寄せていた。
振って湧いた領地拡大。
あまりにも急で、あまりにも無計画だった。
何の準備もできていないまま事態だけが先行し、苛立ちだけが募っていく。
(まず、バルナバから離れすぎている……!中継地点に休憩所は必須だ。だが今は冬に入ったばかり……早くても雪解けまでは動けない!)
本来であれば、移民は数日に分けて段階的に行う予定だった。
その点については、何の問題もなかった。
物資の運び出しは事前に調整し、領内の村々とも連携を取っていたからだ。
しかし――蓋を開けてみれば、スパールの街が自身の管轄になり、そこに一度に全員が送り込まれてきた。
理由は単純だった。
フォスター公爵の後ろ盾を得たジーナ王女に、第二王子と結託した第一王女が力を貸し、王族専用の巨大飛空艇を使わせたからである。
(完全に予定がズレた……!魔物が出にくくなったとはいえ、ゼロではない。賊の脅威も消えていない以上、大規模輸送などするつもりはなかったのに……!)
王族は本当に余計なことしかしない!
そう吐き捨てたくなるのを、フィギルはどうにか飲み込んだ。
だが今回は冒険者を大量に、しかも格安で雇えたのが不幸中の幸いだった。
元を辿れば、バルナバ冒険者ギルドの改革失敗による余波と、デオール子爵の領内管理不足が原因である。
その結果、フォスター公爵の身内が命を落とした。
それに関してフィギル自身に落ち度はない。
それでもフォスターから話を聞いた瞬間、背筋が凍りついたのを覚えている。
――結果として領土は増えた。
だがこれは、デオール子爵に対する罰であって、自分が勝ち取ったものではない。
(いずれ飲み込むつもりではいた……だが、今ではない!新しい村――メキララが軌道に乗ってから、徐々に広げていくつもりだったのに!)
上昇志向の塊であるフィギルだからこそ焦らず、確実に侵食を進めるつもりだった。
しかし――彼は運が《《良い》》。
執務室のドアが開く。
ノックもない。
その無遠慮さが事態の重大さを示しているのか、それとも彼女の持ち味なのか。
事件の当事者でもあり、今回護衛として雇った冒険者――イスラが姿を現した。
「オルババ村から、物資と人員が来ましたよー」
「ノックくらいしろと言っただろうが!」
「来たらすぐ伝えろって言ってたのに……」
イスラは不満げにブツクサと呟く。
Dランクに昇格した彼女は、しばらく依頼を受けるつもりはなかった。
だがバルナバへ戻った途端、領主邸へ強制連行。
数日かけて事の顛末を説明した後にようやく休養を許され、オリバー達の店に通いながら英気を養っていた。
――その矢先の、この護衛任務である。
フィギルはため息を抑え、報告を促す。
「夜だが、無事に着いたんだな?」
「オルド支部長が直々に護衛してるんだから、そこらの賊や魔物じゃどうにもならないでしょ」
「……あいつは使い潰すと決めている。すぐにバルナバへ戻す輸送隊に入れてやる」
暗い笑みを浮かべ、書類に名を書き込む。
オルドの責任は重い。
彼もまた、従わざるを得ないだろう。
イスラは肩をすくめ、続けた。
「でも、問題があるのよ」
「……なんだ?」
「女神教の教会で、オルババ村の人が騒いでるって」
フィギルの手が止まる。
「……なぜだ?新女神教の神父は他のデオール領へ移動して、あそこは無人のはずだ」
スパールに元々住んでいた者達の大半は、すでに他のデオール領へ移動している。
残ったのはごく少数――かつてデオールの私兵として街の警備に就いていた者と、その家族だけだ。
デオールのやり方に思うところがあったのだろう。
彼らは率先して残留を望んだ。
今のスパールにいるのは、王都からの移民と少数の兵士だけ。
揉め事が起きる理由は、本来存在しない。
「揉めてるわけじゃないのよ。ただ、そういう報告があったの」
「……私が行く」
「え?なんで?」
フィギルは静かに立ち上がる。
「教会に立ち寄るということは、信心深いのだろう。しかし新女神教の実態を、旧女神教の人間はほとんど知らないはずだ」
一度言葉を切り、低く続ける。
「ここも既にフィギル領だ。オルババ村の者達にも、現実を知ってもらわねば困る……」
重い足取りで部屋を出るフィギル。
「……早死するタイプね、あれは」
イスラはついていくべきか迷い――ため息を残し後を追った。
#
降り続く雪が街の灯りに反射し、きらきらと輝いていた。
移民たちは、前の住人が去った家に住まわせている。
王都の路上や貧民街で寒さに震えていた頃を思えば、今は恵まれた環境だろう。
(街の設備がそのまま使えるのは助かった。後は仕事を斡旋し、周辺の賊を駆逐すれば……)
アイオンが討伐した賊の一味が全てではない。
人の出入りが激しくなれば、危険は増す。
困窮した村が他の村を襲い、略奪で得た金や作物を税として納める――そんな行為が、半ば黙認されている例もあるという。
元デオール領の対処の不備に不満を抱きながら、フィギルは教会に到着した。
騒いでいる――というよりも、掃除をしているような物音が中から響いてくる。
(……年明け前の大掃除か?)
扉を開くと、そこにはオルババ村で世話になった人たちがいた。
特に目についたのはシスター。
こちらに気づく様子もなく、黙々と女神像を磨いている。
そこへ――
「フィギル様!お久しぶりです」
「……おお、ラクト殿。あなたが来てくれたのか」
「自警団の長として村長に頼まれましてね」
「オルババ村の警備は問題ないのか?」
「幸い定住している冒険者も多いですし、自警団もいますので!」
豪快に笑うラクト。
イスラは少し気まずそうにしていたが、フィギルが簡単に紹介すると表情を柔らかくした。
「アイオンのお父さんなんですね。お名前だけは聞いていました」
「あまり似ていないだろ?アイオンは妻に似ていてね!息子が世話になったようで」
「いえ、こちらこそ」
「……あいつは王都か。冒険者ギルド宛に伝令を出したんだが返事がなく、妻も妹も心配してたんだがな」
世間話を遮るように、フィギルが口を開く。
「便りがないのは元気な証拠とも言える。大丈夫さ。それで――彼女は何を?」
「……女神像の在り方に不満があったようでして」
「……在り方?」
「私も正直、戸惑っています」
声をかけずにはいられない。
だが、できれば接したくはない。
しかしそうもいかず、フィギルは意を決してシスターに声をかけた。
「来てくれて感謝する。協力、ありがたい」
しかし反応はない。
近づいて、かすかな呟きが耳に入る。
「……俗物共が……女神様を不躾に飾り立てて……申し訳ありません、女神様……」
「あ、あの!」
「……はっ!」
振り返ったのは、栗色の髪をしたシスター――ベティだった。
「こ、これはフィギル様〜。お久しぶりです〜」
「……ああ。来てくれて助かる。回復魔法の使い手が必要だったが、冒険者にはいなくてね」
「貴重ですからね〜。レア様から話は聞いています〜。どうぞ、遠慮なく使ってくださいね〜」
にこやかに笑うベティを見て、フィギルは一瞬、安堵した。
だが、その目の奥に、感情が映っていないことにも気づく。
「……ここは元は別の貴族の領地でね」
「存じていますよ〜。ただ……想像以上でして〜。これが女神様を崇める教会とは〜」
祭壇を指でなぞる。
埃が目に見えて溜まっていた。
「……それについては」
「ですが問題ありません〜。俗物どもに関わるだけ無駄ですから〜。治療は今からですか〜?」
「い、いや……明日から頼む。今日は休んでくれ」
「はい〜。それでは〜、お掃除を続けますので〜」
そう言って、再び女神像の元に戻っていった。
これ以上、話す気はないようだった。
フィギルはラクトの元へ戻る。
イスラとアイオンの話をしていたようだが、構わず割り込む。
早く部屋に戻り、眠りたかった。
「ラクト殿たちは、ここで休んでくれ。宿屋は機能していなくてな……すまない」
「いえ、屋根があるだけで十分です!」
「助かる。……明日から別の仕事を頼むことになるだろうが、よろしく頼む」
教会を出ようとしたときだった。
「フィギル様」
「……なんだ」
兵士が近寄り、耳元で用件を伝える。
「王都のフォスター公爵家より伝令がありました。迎えの飛空艇を出したので、王都へ来るようにと」
その言葉を聞いたフィギルは――
「……わかった」
またスケジュールの組み直しを余儀なくされ、睡眠時間が減る事になる。
自身が使っている屋敷へと足早に帰っていった。




