アルゼン第一王子②
テントの中は、外の冷気とは別世界だった。
簡素な造りではあるが、中央には暖炉が設えられ、赤々と火が燃えている。
雪原に設営されたとは思えぬほど、最低限の居住性は確保されていた。
ジーナとアルゼンは、向かい合って腰を下ろす。
しばしの沈黙。
薪がはぜる音だけが、二人の間を満たす。
「……ジーナ」
アルゼンが、低い声で口を開く。
「余は忙しい。だからこそ簡潔に話せ。お前達が得た不正の根拠はなんだ?」
その声音には、焦りと苛立ちが混じっている。
地下で見たもの――いや、見られなかったものが、確実に尾を引いていた。
「わかりました、アルゼン兄様――」
ジーナは静かに頷いた。
表情は穏やかだが、その瞳は一切の油断を見せていない。
「ティガル族を拉致し、なにかに利用していた疑いがあります」
その言葉が放たれた瞬間。
アルゼンの表情が、わずかに硬直した。
「……利用、か」
短い言葉。
だが、内心を探るには十分な反応だった。
「ええ。しかし残念ながら、決定的な証拠は……。あったのかもしれませんが、あの砦の惨状では見つける事は不可能かと」
ジーナは淡々と続ける。
言葉の選び方は慎重で、余計な感情を一切乗せていない。
事実のみを並べることで、逆に想像の余地を与える話し方だった。
「砦長を追及したところ私や他の生徒を捕らえ、監禁し――その後の対応を考えている様でした」
「……なるほどな。証拠はないのか」
アルゼンの口調が、わずかに緩む。
その反応を、ジーナは見逃さなかった。
安堵。
ほんの一瞬、確かにそこにあった。
「――不思議ですね」
その一言で、空気が変わる。
「……なにがだ?」
アルゼンが眉をひそめる。
再び、警戒の色が浮かんだ。
「兄様の管轄で起こった事なのに、何故その様に落ち着いているのかな?と……。」
言葉は柔らかい。
だが、その裏には鋭い刃が隠されている。
アルゼンは沈黙した。
視線を逸らし、何かを考える素振りを見せる。
その様子を確認してから、ジーナは静かに告げる。
「砦長も副官も、証拠と共に消された。実に――手際の良いことです。ですが実際には、兄様には困った事になっていますよね?」
空気が、ぴんと張り詰める。
暖炉の火の揺らぎさえ、妙に耳障りに感じられた。
「……貴様は何が言いたい?」
苛立ちを隠しきれず、アルゼンが問い返す。
「事実関係を整理したいだけです」
ジーナの声は、どこまでも落ち着いている。
「ティガル族の拉致と――なんらかの実験に使われていたという疑惑。それを主導していた者達は死亡した。証拠も消えました」
わざとらしく、間を置く。
「でも――私達は残りますよね?」
「……っ」
アルゼンの喉が、わずかに鳴った。
ジーナは真っ直ぐに、逃げ場のない視線を向ける。
「兄様の管理下にある砦で、このような不正が実際に行われていた。……ベジール兄様が喜びそうですね?」
沈黙が、さらに深くなる。
「……待て」
アルゼンが、思わず手を上げた。
「この件は、べゼブ様に相談してから――」
「《《べゼブ様》》?」
ジーナが、わずかに首を傾げる。
その仕草は、無邪気さすら感じさせるものだった。
「……次期王に最も近いお方が、誰かからの指図を待つんですか?」
「な――」
アルゼンの顔が、目に見えて赤くなる。
怒りと動揺が入り混じった表情だった。
「き、貴様!誰に向かって――」
「それとも……兄様お一人では判断できないほど、複雑な問題でしょうか?この程度のことが?」
ジーナの声は低く、静かだ。
しかしその言葉は、確実に相手の神経を削っていく。
アルゼンは言葉を失った。
反論しようと口を開きかけ、しかし何も出てこない。
「もちろん、相談されるのは兄様の自由ですよ」
ジーナは、ほんの僅かに微笑む。
それは勝者の余裕というより、既に結論が見えている者の表情だった。
「ですが――時間はそんなに残ってますかね?」
その一言で、アルゼンの背筋に冷たいものが走る。
「おそらくですが、ベジール兄様も不審に思ってるかもしれません。兄様がここにいる――それだけでなにかあったのかと、探るために飛空艇を差し向けてるかも。学園の迎えを既に出している可能性が高いですよね?」
沈黙。
重く、逃げ場のない沈黙。
アルゼンの脳裏に、弟の顔が浮かぶ。
あの男は、隙を見逃さない。
「……」
「私達の口を塞ぐには、兄様の連れてる部下だけでは不十分ですね……。数はこちらの方が上ですから」
ジーナは淡々と告げる。
「この砦の兵士達は既に懐柔済みです。私にだけ従います」
それは事実の確認であり、同時に宣告だった。
「さて……どうしますか?」
問いかけは穏やかだが、選択肢は一つしかない。
アルゼンは歯を噛みしめる。
拳を握りしめ、震えるのを必死に抑えていた。
その顔には、怒りと屈辱がはっきりと刻まれている。
「……何が望みだ?」
絞り出すような声だった。
「――話が早くて助かります。この一帯を私にください」
ジーナは、あくまで穏やかに告げる。
要求は大胆だが、その口調には迷いがなかった。
アルゼンにとって、この土地はもはや価値を失っている。
扉が消えた今、維持する理由はない。
「いいだろう――兵士たちも、貴様に任せる」
「感謝いたします」
ジーナは深く頷く。
だが、それで終わりではなかった。
「あと、お願いがあります」
「……なんだ?」
アルゼンの声に、露骨な苛立ちが混じる。
ジーナは、その感情を意に介さず、真剣な眼差しで続けた。
「私と共にいる生徒たち、そして今譲っていただいた兵士たち。彼らと彼らの家族の身の安全を、契約で保証していただきたいのです」
「……何?」
「この件について、彼らは口外しません。それは私が責任を持って誓います」
ジーナは一拍置かず、続けた。
「ですが――そちらが私たちを信用できるかは別の話です。この場にいない女神教関係者が、害を与えないとは限らない」
「貴様!!」
アルゼンが声を荒げる。
「こちらを信用していないと、ハッキリ言ったな!?」
「いいえ。滅相もないです」
ジーナは涼しい顔で答えた。
「兄様は信用しています。でも、べゼブを信用することはできません。だからこそ、兄様に契約で誓っていただきたいのです。これは相互の信頼のためです」
アルゼンは黙り込んだ。
拒否するのは簡単だ。
そして殺すのも。
だが、今はできない。
この場でそれを選べば、失うものが大き過ぎる。
そして従う以外に、選択肢がない。
「……わかった」
「ありがとうございます!さすが兄様ですね!」
ジーナは満足そうに頷いた。
アルゼンは苛立ちを隠そうともせず立ち上がり、テントの出口へと向かう。
「……貴様、調子に乗るなよ?」
振り返り、ジーナを睨みつける。
「第三王女の分際で領地と兵を手に入れたからといって、思い上がるな。……余はいつでも取り上げることができるのだからな?」
「肝に銘じます」
ジーナは表情を変えず、静かに頭を下げた。
アルゼンは吐き捨てるように鼻を鳴らし、不機嫌そうにテントを出ていった。
ジーナは一人残され、深く息を吐く。
(第一関門突破……よね?)
心の中で、小さく呟いた。
#
その頃――
テントの外では、ウラギールが待機していた。
そこへ、足音も荒くカイルが姿を現す。
「……カイル、だったな?」
ウラギールが高圧的な口調で尋ねる。
「ああ、そうだ。冒険者の名前を覚えてるとは意外だな」
カイルは飄々と答えた。
ウラギールは意にも返さず、淡々と続ける。
「報告しろ。なぜこんな大事にした?」
「さすがに一人じゃ無理なほど、事態が複雑だったんだよ。第二王子の間者を入れてたそっちの落ち度だと思うぜ?」
「……やはり入り込んでいたか!証拠は?砦長は本当に死んだんだな?」
「砦に残ってる分は全部吹っ飛ばしたよ。砦長は間違いなく殺した。あいつに擦り付けて問題はないはずだ」
カイルは肩をすくめた。
「……最低限だな。それで、扉はどこにいったんだ?」
ウラギールが疑わしげに尋ねる。
「……知らねぇよ。そもそも俺はそれを見てもいない。お前らがしっかり俺の事を伝えてりゃ、他にもやりようがあったかもしれねぇけどよ」
カイルが冷たく言い放つ。
「……貴様!」
ウラギールの顔が歪む。
「私は貴族だぞ? 下賤な冒険者風情が、その口の利き方はなんだ!?」
「下賤な冒険者風情に依頼したのは、そっちだろ?」
カイルがニヤリと笑った。
ウラギールは言葉に詰まる。
「まぁ、安心しな。報酬はいらねぇよ。」
「……傭兵上がりの薄汚い依頼専門の冒険者が、ただ働きだと?」
「そっちは廃業するよ。これからはただの冒険者に戻る。……いや、なる。汚い依頼を受けるのは最後さ」
カイルは、どこか吹っ切れたように笑った。
「次からは別の奴に頼みなよ。あの職員に頼めば、いくらでも用意してくれるぜ?ドス黒い依頼を喜んでやる、そこそこの腕の奴はな」
ウラギールが声を荒げる。
「待て!……足を洗うのも勝手にしろ。私には関係ない。だが、この件は誰にも話すな。いいな?」
「わかってるよ。《《今回の》》守秘義務は守るさ」
カイルが即答する。
「……本当か?」
「契約は契約だ。俺はプロだからな。契約も結んでるだろ?安心しなよ」
カイルは飄々と笑った。
ウラギールは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「……まあいい。とにかく、今回の件は終わりだ」
「じゃーな。二度と会いたくねぇよ」
カイルは後ろ手を振り、その場を立ち去った。
#
テントから出てきたアルゼンに、ウラギールが素早く近づく。
「アルゼン様、いかがでしたか?」
「……戻るぞ」
アルゼンは短く、不機嫌そうに答えた。
「……かしこまりました」
ウラギールは深く頷く。
二人は飛空艇へと歩き出す。
その背中を、ジーナがテントの入口から静かに見送っていた。
(……本当に帰ってくれた)
心の中で、ようやく安堵の息を吐く。
#
アルゼンの飛空艇が、空へと浮かび上がる。
魔力の光が雪原を照らし、巨大な船体が低い唸りを上げながら、ゆっくりと上昇していく。
ジーナはその姿を最後まで見送り、深く息を吐いた。
「ジーナ様」
ハルクたちが駆け寄ってくる。
「大丈夫でしたか?」
「ええ。むしろ――」
ジーナは小さく、しかし確かな笑みを浮かべた。
「上手くいったわ」
「上手く……?」
マルティンが首を傾げる。
「砦の管理権を手に入れたの。それと、兵士たちの指揮権も」
「え……?」
生徒たちが息を呑む。
「本当ですか!?」
「ええ。……バカな兄で助かったわ」
ジーナは満足そうに頷いた。
「これで、この砦は私のものよ」
「凄い……」
生徒達が呟く。
誰もが、ここまで早く結果を出すとは思っていなかった。
続けて、ジーナが笑う。
「あなた達の身の安全も、家族の安全も、全て保証してもらったわ。勿論、兵士達の家族も!」
「……!」
生徒たちの顔が、一斉に明るくなる。
ジーナは真剣な眼差しで告げた。
「ここから始めていくのよ。私達の国取りを」
沈む夕日に消えていく飛空艇を見送りながら、
それぞれが胸に新たな決意を宿した。




