憎しみを超えて
ラガ達がいる洞窟への道中。
雪を踏み、岩を越え、一行は洞窟を目指す。
先頭を行くのはグラム。
その背をアイオンが追い、戦士たちが続く。
少し離れた場所――ヘミングとリルが後を追っていた。
『アイオン様……』
グラムが後ろに下がり、そっと声をかける。
「なんです?」
『あの二人のことも、カイルというオルグの仇のこともラガに委ねる。――そうですよね?』
「はい。俺が後からラガに何かを言うことはしませんよ。ただ――」
『ただ?』
アイオンは何の興味もないような目で前を見据え、呟く。
「今後、俺があの二人に関わることはない。ラガがどう判断しようと」
『……はい』
「――不思議ですか? あの二人には厳しく、カイルには甘い理由が」
グラムの心を見透かす。
「――嫌いなんですよ。自分のしたことを理解できない人が。それを突きつけられても、何が悪いのかと開き直る人がね」
『……あの二人がそうだと?』
「正確にはヘミングが、です。……ああいう人間の考えはすぐわかる。"自分はティガル族じゃなく傭兵団だから、彼らに報いるのは当然""連携してても結果は変わらなかった"。……そんなところですよ」
『……心までお読みになるんですか?』
「そんなわけないでしょう。ただの――悪い癖です」
アイオンは黙り込み、歩みを速める。
グラムも慌ててその背を追い、先頭に戻った。
(人の負の部分を気にしすぎ……か)
イスラの言葉が蘇る。
だが、その思考は止まらない。
イスラのように厳しく諭してくれる人が傍にいれば良かったのだが、ここにはアイオンを特別視する人間しかいない。
(駄目だ駄目だ! 思い上がるな! ……俺は、ただの人間だ!)
増長しかける自分に呆れる。
――嫌いな人間になりかけている。
自分を戒めるように、反省しながら歩く。
#
無言。
二人の間に会話はない。
ヘミングの脳裏に、ギルバートの言葉が蘇る。
「なんにせよ、お前がティガル族から信用を得なくては始まらない。……わかってるな? あの女と接触していた事が裏目に出て、関係が崩れかけてる。なんとしても改善しろ! そのためなら許しを請え!」
(……許しを請う?)
胸の奥で、複雑な感情が渦巻く。
(リルに会った事の何が悪い? 幼い頃に生き別れた幼馴染に会いたくなる……当然だろ?)
拳を握りしめる。
(オルグ爺さんを見殺しにした? そんなつもりはない。ギルバートの命令通りに動いても、結果は同じだったはずだ)
前を歩くアイオンとティガル族の戦士たち。
(悪いのは俺じゃない。力がなかったお前らだろ)
それでも――命令は命令だ。
従うしかない。
(……クソが!)
暗い視線が、アイオンの背中に突き刺さる。
恨めしげに、じっと。
(なんでこんな事に!ただ俺は――!)
呪詛を繰り返しながら雪道を歩き続ける。
リルはそんなヘミングを見つめていた。
その視線に、ヘミングは気づけないままだった。
#
やがて洞窟の入口が見えてきた。
暗い穴から、微かに灯りが漏れている。
『戻ったぞ!』
グラムの声が響く。
洞窟の奥から、人影が現れた。
ラガ。そして、他のティガル族の人たち。
『グラム! 無事だったんですね!』
ラガが駆け寄る。
その目には、喜びと安堵が溢れていた。
『はい。あまりお役には立てませんでしたが……』
グラムがアイオンを振り返る。
ラガもまた、アイオンへと視線を向けた。
『……感謝します。本当に、ありがとうございます』
深く頭を下げるラガ。
アイオンは静かに頷いた。
「俺は何も。皆さんの力がなければ無事ではなかったですよ」
『ありがたいお言葉です。……グラム。それは?』
ラガの視線が、グラムの抱える布包みに向けられる。
『……オルグです』
グラムが静かに告げる。
『共に、帰ってきました』
布包みをラガへと差し出す。
ラガは両手で受け取る。
『……じいちゃん』
声が震える。
涙が溢れ、止まらない。
『……良かった。ちゃんと弔ってあげられる。よかった……』
ラガは布包みを胸に抱き、静かに泣いた。
周囲のティガル族も、祈りを捧げる。
アイオンは何も言わず――ただその光景を見つめていた。
#
しばらくして――
ヘミングとリルが洞窟に入ってくる。
ティガル族の視線が二人に集中する。
敵意。警戒。怒り。
特にリルへ向けられたそれは冷たい。
ヘミングのことを知っていながら黙っていた。
その事実は、拭いきれない嫌悪感を生んでいる。
俯くことしか、リルにはできなかった。
ゆっくりとヘミングが一歩前に出た。
深く息を吸い、告げる。
『我々、"灰狼"は……あなた方に謝罪します』
『……何を今更!』
グラムの声が冷たく響く。
『お前がリルにだけ存在を明かし、裏で勝手に動いていなければ――』
言葉が途切れる。
だが、その先は全員が理解していた。
もっと早く連携できていれば。
内部の反乱者と協力できていれば。
先の強襲は、もっと違う結果になっていたかもしれない。
そうすれば――オルグは死なずに済んだかもしれない。
『……全ての責任は俺にある。リルや灰狼が悪いんじゃない』
ヘミングが苦い顔をして続ける。
『……報いを受けるべきなのは俺だけだ。本当に、申し訳なかった』
拳を握り、頭を下げる。
怒りを何とか留め、ギルバートの言いつけを守るために。
そんなヘミングを見据え、ラガがゆっくりと立ち上がる。
涙の跡が残る顔で、ヘミングを見つめた。
『……あなたも、ティガル族なんですよね?』
『……ああ』
ヘミングが頷く。
『あなたが生まれる前に人攫いに遭った。それでも、何とか生き延びてきた。……誰の助けも得ず、屈辱に染まろうとも。――灰狼の皆が助けてくれなかったら、今の俺はいない。救ってくれたのは彼らなんだ。……女神でも、ティガル族でもない』
『……』
『ヘミング!』
リルが慌ててヘミングを止める。
彼の言葉には、明らかな敵意があった。
ティガル族の敵意がさらに膨らむ。
アイオンはそんなヘミングを見て、ため息をついた。
(……やっぱり。何か言われたから謝罪してるだけだ。本心じゃない。気持ちは……わかるけど)
自分が駄目になった時に救いの手を差し伸べられれば、そちらに恩を感じるのは当然だ。
だが、敵意を向けるべき相手はラガではない。
ヘミングが言ったように彼が生まれる前に攫われたのだ。
それはただの逆恨みに他ならない。
長い沈黙が落ちる。
やがて、ラガが口を開く。
『頭を上げてください』
ラガが告げる。
顔を上げたヘミングが見たのは――深く頭を下げる少年だった。
『何もできず、申し訳ありませんでした』
ティガル族がざわめいた。
驚き、戸惑う声。
アイオンも目を丸くする。
『ラガ!』
『なぜお前が頭を下げる!?』
そっと頭を上げ、ティガル族へ視線を向ける。
『……僕も捕らえられてたからわかります。願っても、祈っても……助けはなかった。次々に僕の代わりに扉の前に連れて行かれ、死んでいった者達の亡骸を見続けてきたんです。ヘミングさんに比べたら短い期間ですけど、それでも……失望感でいっぱいだった』
ラガがアイオンを見る。
『そんな時に、あなたが来てくれた。あの錠を断ち切り、僕達を助けてくれた。……救われたと、心から思いました』
そしてヘミングを見る。
『この人のためになるなら、僕は何でもできる。そう思えました。……あなたも、そうなんでしょ?』
『……』
ヘミングは答えられず動揺していた。
心を当てられたことにも、一族を率いる立場の少年が頭を下げたことにも。
『本来、あなたの帰りを喜ばない人なんていません。……少しだけ、タイミングが悪かっただけですよ。だから――』
ラガが微笑む。
『教えてください、あなたの今までのことを。僕達に必要なのは、理解し合うことです』
『……理解』
ヘミングはラガを見つめたまま、立ち尽くす。
そのヘミングの手を、リルがそっと包んだ。
『……リル』
『……私は、お前が帰ってきたのが嬉しくて、過去なんて聞けなかった。幼い頃に離れて――変わったお前に、嫌われたくなくて』
涙が溢れる。
『ただ、お前は私にだけ会いに来てくれた。それが堪らなく嬉しくて……お前の苦しみを知ろうともしなかった』
『……』
『お前はただ、こう言って欲しかったんだな』
涙でくしゃくしゃの顔で微笑むリル。
『おかえり、ヘミング』
『……ただいま』
ヘミングはリルに抱きつき、声を上げて泣いた。
その光景を見て、ラガが呼びかける。
『帰ってきた同胞を祝おう! じいちゃんも、きっとそれを望んでる!』
『『『おぉー!』』』
ティガル族は活気づき、ヘミングとリルを囲む。
涙を流し喜び、ヘミングを胴上げし始めた。
その輪の中には、グラムもいた。
アイオンはその光景を眺め、自分の浅はかさを知る。
(……大人だ。俺よりずっと)
ラガがそっと近寄ってくる。
『アイオン様』
「……あなたに謝らなきゃいけません」
『え?……急になんです?』
吃驚するラガ。
アイオンは続ける。
「オルグさんを斬った槍使い……殺し切ることができずに、生かすことを選びました」
『……え?』
「俺の力不足だったんですが……彼も仕事と、やりたくないことをしていた。それに、オルグさんは本当に酷い状態で……それを燃やして弔ったのは彼なんです」
ラガは何も言えずにいる。
アイオンはラガの目を見て問いかける。
「俺はその行為に勝手に誠意を感じ、グラムさん達の報復を止めました。そしてラガに委ねると。……どうします? 報復しますか? あなたの選択に異は唱えませんよ」
ラガはアイオンの目をじっと見つめ――
『……思ったより、意地悪な人なんですね』
ラガは静かに笑い、答えた。
『しませんよ。生きられる機会があるなら、生きた方が良い。救いようのない悪人なら許しませんが、あの人の魂の色はそうじゃなかった』
「……凄いな。ラガは」
『え?……何がです?』
突然の言葉遣いに若干の戸惑いを見せたラガから目を逸らし答える。
「俺は、誰かを許すことができない。ずっと憎しみを抱えて生きていて……未だに手放せずにいる。もう、会うことがない奴でも」
ラガは黙ってアイオンを見る。
「――だからこそ、ラガが眩しい。魂の色は俺には見えないけど……あなたのような人が、クソ女神の望んだ人なんじゃないかな?」
『……御使様にそう言ってもらえるのは、とても喜ばしいです。……《《クソなんたら》》は聞かなかったことにしますけど』
二人は顔を合わせ笑い合う。
どこかで女神も笑った気がした。
#
洞窟の別部屋、アイオンとラガだけが話していた。
『……なるほど。そのような事が』
ラガが静かに思案する。
『風や大地、森や太陽はあるのに命のない森……巨大な骨の記憶……そして時間の歪みですか』
アイオンは少し考え、静かに頷いた。
「ああ。そしてあれはたぶん――ドラゴンの骨だ」
敬語をやめたアイオンに慣れたラガ。
しかし戸惑いは浮かぶ。
『ドラゴン……。討伐されたという話は《《聞いたことがありませんが》》』
アイオンはその言葉に驚く。
「……御使セドリックのことは知ってるよな?」
『勿論。なぜです?』
「……その逸話の最後にあるんだが。《《悪のレッドドラゴンと三日三晩戦い、討ち果たして世界に光をもたらした。その偉業を称え、御使と認定された》》と。それを最後に姿を消したとも」
今度はラガが驚く。
『それは――知りませんね……。というより、セドリック様は《《何をして御使様と認定されたのかが謎だったはずでは?》》』
「え?」
互いに驚きが続く。
『お祖母様も詳しくないというか……セドリック様の事はあまり語らなかったというか。他の御使様の伝承は事細かに聞いておりますが……』
「『……なぜ?』」
二人で首を傾げた。
「……まぁ、置いておこうか。答えは出ないと思うし」
『申し訳ありません。僕がちゃんと継承できていれば――』
「いいさ。それで、最後の記憶の話だけど」
アイオンは言葉を区切る。
「黒髪の男が刀を振るい、記憶に主と戦っていた。激しい戦いの末、男の刀が深く突き刺さり……」
『……』
「最後に、男が何か話していた。でも、声は聞こえなかったんだ。映像はそこで終わり」
ラガは黙って聞いていた。
『……扉の中にティガル族の罪があるとしたら』
ラガが震える声で尋ねる。
『その人は、ティガル族だったのでしょうか?』
「わからない。顔もはっきりとは見えなかったし。ただ――」
アイオンは刀を見る。
「この刀が、骨が消えた後に残されていた」
『見せてもらえますか?』
アイオンは頷き、刀を差し出した。
ラガが手を伸ばし――触れた瞬間。
『っ!?』
強烈な拒絶の意志が、ラガの全身を貫いた。
手が弾かれるように離れ、ラガは数歩後ずさる。
『な、何ですか、これ!?』
震える声。
顔は青ざめ、額に冷や汗が浮かんでいた。
「ど、どうした?」
『……拒絶されました。……まるで、"触れるな"と言われたように、強烈に……』
アイオンは刀を鞘に収めた。
「……何も感じませんが?」
『……一つだけわかりましたね』
ラガが息を整えながら告げる。
『その刀は……意志を持っている。そしてそれは、アイオン様を選んだ』
アイオンの目が僅かに見開かれる。
「……生きていると?」
『そうとしか思えません。試しても良いですが、誰一人触れないのでは? アイオン様以外は』
ラガは真剣な表情でアイオンを見つめる。
『……魔剣の類かもしれませんね』
沈黙が落ちる。
その時、ティガル族の声が聞こえた。
『ラガ! アイオン様!』
『どうしました?』
『お話中失礼します!先ほど砦に空飛ぶ船が見えたと報告が!』
アイオンが反応する。
「迎えは二日後のはずなのに、もう来たのか?」
『……戻られますか?』
「ああ。……それと、後でヘミングさんの仲間がラガと今後について話に来ると思う。慎重に検討して決めるべき話だ。……気をつけて」
『わ、わかりました。アイオン様は、もうここには来られないのでしょうか?』
「……あれが迎えなら。でも、必ず来るよ」
『ちょ、ちょっと待ってください!』
ラガは走り寄ってくる。
そして、アイオンに自身がつけていた首飾りを渡す。
『これを、アルテアに渡してもらえませんか?』
「……いつ会えるかはわからないよ?」
『それでも、僕が持ってるよりいいですから』
微笑み、名残惜しげに首飾りを撫でる。
『これ、元々アルテアのなんです。攫われた時に落としていってて……形見のつもりで持ってました。でも、生きているなら……姉に持っててほしいんです』
「必ず、渡すよ」
『はい!お願いします!』
「じゃあ、また!」
そう告げ、アイオンは洞窟の外へ走り出す。
ラガはその背中を、静かに見送った。




