帰還
「――っ!」
アイオンは息を呑んで目を開けた。
「……ここは?」
周囲を見渡す。
石でできた部屋。
中央には――何もない。
あの扉も跡形もなく消えていた。
「夢、だったのか?」
だが――腰に重みを感じる。
手を伸ばすと、確かにそこにあった。
黒塗りの鞘。
そして、その中の刀。
「……」
ゆっくりと抜く。
刃が冷たい光を放つ。
間違いない。
あの円形の空間で拾った刀だ。
「……夢じゃなかった。なら、戻ってきたって事か?」
刀を鞘に戻す。
(あの森は、本当にあった。巨大な骨も映像も……全部体験した事だ)
胸の奥で、あの呼び声のような感覚はもう消えている。
引き寄せられるような引力も、この場からは何も感じない。
(……終わったんだな)
アイオンは立ち上がり、状況を整理する。
扉は消えた。
痕跡も何も残っていない。
(副官を置いてきてしまった……もう帰ってこれないだろうな。行き方もわからなくなったし)
あの異常な時間の流れ。
命のない世界。
(どんな作用があるのかわからないし。……二度と行きたくない)
答えは出ない。
わかることは、何もない。
「……とにかく、戻ろう」
アイオンは深く息を吐いた。
来た道を引き返す。
時間が、過ぎ去っていないことを願いながら。
#
部屋を出ると、見覚えのある通路が続いていた。
そして――その先に、カイルと戦った場所。
「……」
アイオンは足を止める。
床には、黒く焦げた跡が残っていた。
そして――その中央に。
白い骨が、静かに横たわっている。
「……オルグさんか?」
火で焼かれ、骨だけになっている。
副官が血を絞り出すために、手足や首まで切り落としたバラバラの遺体。
それを、カイルが火葬してくれたのだろう。
(……せめてもの、弔いか)
アイオンは膝をつき、骨に手を伸ばす。
頭蓋骨、肋骨、腕の骨。
全てが綺麗に残されていた。
「……」
アイオンは近くに落ちていた布を拾う。
そして、丁寧にオルグの骨を包んだ。
一つ一つ、慎重に。
敬意を込めて。
「戻りましょう。ラガ達も待ってます」
布で包み終え、アイオンは立ち上がる。
骨を両腕で抱え、階段へと向かった。
#
階段を上がる。
一段、また一段。
足音だけが、静かに響く。
(……外では、どれくらい時間が経ってるんだろう?)
不安が胸をよぎる。
何十年も経っていたら――
頭を振り、歩みを速める。
やがて、外への出口が見えてきた。
「……」
深呼吸をする。
覚悟を決め、踏み出した。
#
外に出ると、陽の光が目に眩しい。
アイオンは目を細め、周囲を見渡した。
砦の前には――人がいた。
ジーナや他の生徒達。
グレイス、ティアナ、リベラの護衛達。
少し離れた位置でティガル族の戦士達。
傭兵団の姿も見える。
(……良かった。変わってない)
安堵が胸に広がる。
「――アイオン!」
ジーナの叫び声が響く。
駆け寄ってくる足音。
「無事だったのね!」
「はい……なんとか」
アイオンは頷いた。
ジーナが涙を浮かべている。
「よかった……本当に、よかった……!」
「心配かけてすみません」
アイオンは小さく笑う。
ジーナが、アイオンの抱えた布包みに視線を向けた。
「……それは?」
「ティガル族の戦士です。オルグさんという方で……彼のおかげで最初に脱出できたんです」
アイオンは静かに答える。
ジーナは目を伏せた。
「……そう」
短い言葉。
だが、その声には哀悼が滲んでいた。
その時、カイルの声が響いた。
「……爺さん、連れてきたんだな」
壁に寄りかかったまま、こちらを見ている。
アイオンは頷いた。
「ええ。火葬してくれたんですね?」
カイルは小さく息を吐いた。
「……バラバラのミイラよりはマシだと思ってな」
その声には、僅かな自嘲が混じっていた。
「そうですね。……その通りです」
沈黙が落ちる。
カイルは空を見上げ、静かに呟いた。
「……悪かったな」
「俺に言う事じゃないでしょ」
「……そうか?」
カイルが苦笑する。
「あんだけボロボロにしたってのに……って、お前、傷ねぇじゃねぇか」
「……回復薬があったんでね」
カイルは少し怪しむような目を向けたが、すぐに視線を逸らした。
「……まぁ、いいか。お前が生きてりゃ、いつでも続きができる」
「続き?」
「負けたままで終われねぇからよ」
カイルは笑う。
アイオンは呆れたようにため息をついた。
「また戦いたいんですか?」
「当たり前だろ。次は勝つさ」
「……懲りませんね」
「ちげーよ。……意地でも勝つ。それだけだ」
カイルがニヤリと笑う。
アイオンも小さく笑った。
#
アイオンはティガル族の戦士たちの元へ向かった。
グラムが駆け寄ってくる。
『アイオン様!』
大きな声で呼ぶ。
(この言葉、皆にはどう聞こえてるんだろう?)
『無事で……本当に、よくぞご無事で……!』
その目には涙が浮かんでいた。
「ど、どうも……」
アイオンは少し引き気味に応じる。
『それは?』
グラムの視線が、布包みに向けられる。
「連れて帰ってきました。……オルグさんです」
アイオンは静かにグラムへ布包みを渡す。
グラムは両手で受け取り、深く頭を下げた。
『……ありがとうございます』
その声は震えていた。
周囲のティガル族の戦士たちも、静かに頭を下げる。
しばらくの沈黙の後、グラムが顔を上げた。
『……あの男は』
グラムの視線が、カイルへと向けられる。
『オルグの敵です。殺しても……アイオン様に不利益はありませんか?』
その声には、抑えた怒りが滲んでいた。
周囲の戦士たちも、殺気を帯びた視線でカイルを見据えている。
アイオンは少し考えて――静かに首を横に振った。
「埋葬とはいかなくとも、ひどい状態だったオルグさんに礼を尽くしたのは彼です。その気持ちを理解してやってください」
『……』
グラムは黙り込む。
戦士たちもざわめいた。
「納得するのは難しいとは思いますが、彼も仕事で敵対したんです。割り切れとは言いませんし、恨むなとも俺は言いませんよ。ただ――」
アイオンが言葉を区切る。
「俺の不利益にはならないですが、機会はあげたい。彼は多くの生き方を学ぶべきなんです」
やがて、グラムが深く息を吐いた。
『……ラガに委ねましょう』
その声には、諦めと理解が混じっていた。
戦士たちも、不満を滲ませながらも武器を収めた。
カイルは空を仰いだまま、何も言わなかった。
ティガル族が何を言ってるかはわからない。
だが、アイオンの言葉はわかる。
後悔をどれだけしても、時間は戻せない。
(……できることから、やるしかねぇ)
折れた槍を握り、深く決意を重ねた。
#
アイオンはティガル族の戦士たちに向き直った。
「では、ラガの所に行きましょうか。話したい事もあるので――」
その時、ギルバートが前に出た。
「ちょっと待ってくれ」
アイオンが振り返る。
「何ですか?」
「何ですか?じゃねーよ。王女様達の救出に力を貸したんだ。契約通り、ジーナ王女と交渉させてくれ」
ギルバートがジーナに視線を向ける。
「ジーナ王女。役者は揃いました。話をさせてもらっても?」
ジーナは静かに頷いた。
「わかったわ」
ギルバートが一歩近づく。
「我々には目的があります。その達成のために、王女殿下の力をお借りしたい」
「どのような目的?王国にとって不利益になるのなら、できることはないわよ?」
「詳しい内容はこの場では……」
ギルバートが周囲を見渡す。
「場所を用意しますので、そこで詳しく――」
「その前に」
ジーナが言葉を遮る。
「アイオン、少し二人で話せる?」
アイオンは少し驚いたが、すぐに頷いた。
「……ええ、構いませんが」
ギルバートが戸惑った表情を浮かべる。
「あの、交渉の前に……?」
「ええ。すぐ戻るわ」
ジーナは笑顔で答えると、アイオンを促して少し離れた場所へと歩いていった。
ギルバートは困惑したまま、その背を見送る。
(……何だ?一体何を話すつもりだ?)
ハルクやマルティンも訝しげな視線を向けていた。
#
雪原の端。
二人だけになると、ジーナが口を開いた。
「……ギルバートの目的、あなたは知ってるんでしょう?」
アイオンは少し驚いた。
「なぜ、そう思うんです?」
「だって、あなたは彼らと一緒に来たのよ。何も聞いてないわけがないわ」
ジーナの指摘は的確だった。
アイオンは小さく息を吐く。
「……そうですね。聞いてます」
「教えて」
真っ直ぐな視線。
アイオンは頷き、淡々と告げた。
「彼らの目的は、【山岳地帯含むバザーム砦周辺をティガル族の領地として認めさせること】だそうです」
「……」
「そのためには、現管理者であるアルゼン第一王子の力を削ぐ必要がある。ジーナには、第一王子と敵対して……空白地帯として、ティガル族に渡すことを認めさせてほしい、という内容のはずです」
ジーナは静かに頷いた。
「……なるほどね。それが彼らにどういうメリットがあるの?」
「火薬です。あれの原材料が、現在ティガル族がいる山岳地帯で発見されたそうです。ククルス自由経済国家の領内だと危険を冒さないと手に入らないそうですが、この国に火薬は広まってない。その事実を知るのも今のところ灰狼だけ。……それを独占したいそうです」
「……そのために、ティガル族に支配させたい。ローズレッド王国の管理下だと、密輸にも苦労する。でもティガル族を介した取引なら、堂々と採取できる。……考えたわね」
ジーナは少し考え込む様子を見せた。
その目に、何かが灯る。
「……なるほど。それなら――」
何かを思いついたような表情。
「私にもメリットがあるわ」
「……というと?」
アイオンが尋ねる。
ジーナは真っ直ぐに彼を見つめた。
「バザーム砦を私の管轄下に置く。第一王子の失態を隠す代わりに、私がもらうのよ」
アイオンが目を細める。
「それでティガル族と協力関係を築いて……灰狼も巻き込む、と?」
「そうよ。彼らは火薬が欲しい。ティガル族は土地が欲しい。私は協力者が欲しい」
ジーナが微笑む。
「全員が得をするでしょう?」
アイオンは少しの間、ジーナを見つめていた。
「……それだけのために?」
「それだけ?」
ジーナが首を傾げる。
「協力者を集めるのは、目的のための手段よ」
「……目的?それはなんです?」
アイオンは黙って待つ。
ジーナは深く息を吸い、真っ直ぐにアイオンを見据えた。
「私は、この国の玉を目指すわ」
その言葉に、アイオンは息を呑んだ。
「……王?」
「そうよ。……この国を変えるために」
ジーナの目には、確かな決意があった。
「だから力が必要だし、味方も必要。貸しを作り、恩を売り、協力者を増やす。そのためにも、今できることをするだけよ」
「……」
アイオンは黙り込む。
ジーナが小さく笑った。
「驚いた?」
「……ええ、正直」
「でも、これが私の決めたことよ」
ジーナは空を見上げた。
「この国を、変える。平民と貴族の差をなくす。新女神教の横暴を止める。そのために――」
言葉を区切り、アイオンを見つめる。
「私は必ず王になる」
その横顔には、迷いがなかった。
風が吹き、雪が舞う。
アイオンは――静かに口を開いた。
「……それは、ジーナが本当に望むことなんですか?」
ジーナの表情が、僅かに揺れた。
「どういう、意味?」
「そのままの意味ですよ」
アイオンは真っ直ぐにジーナを見つめる。
「王になることが、あなたの望みですか?それとも――」
言葉を区切る。
「誰かのため、何かのために……自分を騙して決めたことじゃないですか?」
ジーナの目が、大きく見開かれた。
「……っ」
声が出ない。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
(……見抜かれてる?)
心臓が早鐘を打つ。
喉が渇き、呼吸が浅くなる。
(違う……違うのよ)
否定したい。
でも――言葉が出てこない。
本当に違うのか?
自分でもわからなくなる。
胸の奥で、小さな声が響く。
(……ただ、あなたの隣にいたいだけなの!)
だが――その想いを口にすることはできなかった。
(言えない……言えるわけがない)
もし口にしてしまったら?
答えが返ってくる。
――拒絶されたら?否定されたら?
(きっと……耐えられない……)
ジーナは俯く。
視線を合わせられない。
沈黙が落ちる。
風の音だけが、二人の間を吹き抜けていく。
やがて――ジーナが震える声で口を開いた。
「……違うわ」
その声は、か細かった。
アイオンは何も言わない。
ただ、静かに見つめている。
その視線が――優しすぎて、苦しい。
「私は……王になる。それは……」
言葉が続かない。
喉が詰まったように、声が出ない。
「ジーナ」
アイオンが静かに名前を呼ぶ。
「俺の目を見て、言えますか?」
「……っ」
ジーナの肩が震える。
顔を上げられない。
目を合わせたら――
全部、見透かされてしまう。
本当の気持ちも。
隠している想いも。
全部。
ジーナは唇を噛む。
視線は、雪に落ちたまま。
「……無理はしないでください」
アイオンの声が、優しく響く。
「……っ」
その優しさが、胸に突き刺さる。
(やめて……そんな風に、優しくしないで)
涙が溢れそうになる。
必死に堪える。
絞り出すような声。
「……私の意思よ」
表面的な決意だけを口にする。
本心は、奥深くに隠したまま。
「……わかりました」
アイオンが静かに答える。
深くは追及しない。
それが、またジーナを苦しめる。
(ごめんなさい……)
心の中で謝る。
アイオンは少しの間、ジーナを見つめていた。
やがて、静かに告げる。
「――でも一つだけ」
ジーナが顔を上げる。
「自分を裏切る選択だけは、しないでくださいね」
その言葉に、ジーナの目が揺れた。
「……」
何も言えない。
ただ、小さく頷くことしかできなかった。
重く、苦しい沈黙が落ちる。
やがて――ジーナが顔を上げた。
「……戻りましょう。皆が待ってるわ」
会話を打ち切る。
これ以上、この話を続けられない。
アイオンは何かを言いかけて――
口を閉じた。
「……そうですね」
#
砦へ戻る道。
二人の間には、微妙な空気が流れていた。
ジーナは俯いたまま歩く。
アイオンは何も言わない。
(……何を考えてるの?)
ジーナは横目でアイオンを見る。
表情は穏やかだが、何を考えているのかわからない。
(怒ってる?呆れてる?)
不安が胸に広がる。
(もう、見放そうとしてる?)
その可能性が、一番怖かった。
足元だけを見つめて、歩き続ける。
やがて、砦が見えてきた。
「ジーナ様!」
ハルクが駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?話は?」
「……ええ、大丈夫よ。彼らの目的もわかったわ」
ジーナは笑顔を作る。
いつもの仮面を被り直す。
「ギルバートさんとの交渉を始めましょう。――良い案が浮かんだわ」
その声は、いつもの王女のものだった。
ハルクは少し訝しげな顔をしたが、すぐに頷いた。
「……わかりました」
ジーナは一度だけ、アイオンを振り返る。
彼は静かに立っていた。
何も言わず、ただ見つめている。
その視線が――何を意味しているのか。
ジーナにはわからなかった。
(……ごめんなさい)
心の中で、謝る。
そして――
前を向き、歩き出した。
王女として。
仮面を被った自分として。
本当の気持ちは、胸の奥に閉じこめたまま。




