愛を欲した彼女 その1
とある早朝の事である。
僕はいつものごとく補習に備え、朝早く起きてシャワーを浴び、朝食を食べたのだが、そこで自分の些細なミスに気づく。
「……あ」
今日は補習の授業が一切無いのだった。
休日。
自由だ。
成績が芳しくないくせにそんなこと言って遊びにかまけるわけにも行かないのだけれど、しばらく連日でスケジュールがいっぱいだったし、今日くらいは羽休めをしようと、そう思ったのだった。
とにかく眠い。
ひとまずこのまま二度寝をしてしまおう──と。
僕はその身を布団に投げた。
午前10時のことである。
どういうわけなのか、僕は咲の家に呼び出されていた。
「……あの、井上?」
「名前で呼んで」
ぷい、と頬を膨らましそっぽを向いている咲。
名前で呼べ、というのも雰囲気も状況も無しに唐突すぎてきついものがある…。
緊張するっつーか、焦るっつーか。
「な、なんでだよ、別に無視しなくてもいいじゃん…井上、お前なんか怒ってる?」
「………名前」
・・・・・・・。
女の子の部屋って、もうちょい穏やかな場所なんじゃないのか…………。
高校生になってから女の子の家に上がるなんて、そして彼女の家に上がるなんて大きなイベントはもちろん初めてで、結構幻想を抱いたりしてたんだけどなあ…?
「えっと、その、え…咲。」
「なになにっ?」
ぱあっと表情を輝かせてこちらを向く咲。
やはりよく分からないやつだ。
「お前、なんか変だぞ…いつもと違うっつーかさ、なんか怒ってんのかよ…?」
僕がおそるおそる聞くと、目の前の少女はしょげて「だって、カズくんが、他の女の子と付き合ってるって言うじゃない?」と言い出した。
え?
いやいや、初耳なんだけど。
ちょっと待ってくれ、なんだそれ。
「学校で噂だよ?5組の柿本って人と熱々だってさ。どういうことなのっ」
「・・・・・。」
ああ。
そういうことね。
おそらくそれは、とある女性数学教師の仕業だな……。
やはり1度誤解を払拭する必要がありそうだった。
「違うって。一悶着あって…ああ、お前になら話せるから話すけど、あいつも憑神──つまりは、僕と似たような怪物の被害者なんだよ。それを解決しようとして色々あっただけ。気にするなって、俺はいつだってお前のことが大好きだ。大好きじゃないところはないし、大好きじゃなかったこともねえ。」
「ふうん?まあ、それならいいんだけどさ。まったく、カズくんは誰にでも善人のままなんだから──」
僕はふと、不知火に言われたことを思い出した。
その優しさったら、気持ち悪いくらいよ──と。
そうなのだろうか。
僕は自分と同じように、この世のものでは無いそういう"何か"に苦しめられている人がいるなら救ってあげたいってだけなんだけど…。
それは、許されないことだろうか。
・・・・・・・。
「そんな思いつめた顔しなくてもいいじゃんよーっ、私はカズくんが側にいてくれればそれだけで幸せだよ。その優しすぎるところも含めて、カズくんのことが私は大好きだし。」
この話は終わり、と胸の前で手を打ち鳴らす咲。
つい表面上はそれに合わせてしまったけれど、それでも僕の思考だけは止まることはなかった。
5月。
春と夏の中間のようなその時期に、僕と彼女は知り合った。
そのきっかけはあろうことか、同じく憑神であって、それも"絶無の怪物"と謳われるほどの特異──人喰いの化物だった。
葛藤と苦悩に塗れて狂っていく僕に、彼女は手を差し伸べた。それがもし無ければ、掛け値なしに僕は死んでいたかもしれない。
不死身の怪物のくせして、死んでしまったかもしれない。
だから咲は僕を救ってくれて、僕を生かしてくれていると、大袈裟でもなんでもなくそう思っているのだけれど──。
どうして。
一体どうしてこうも、彼女は僕に優しいのだろう。
むしろ僕が優しすぎるのではなく、一切友人のいなかった僕と初めて仲良くしてくれた彼女の影響を大いに受けた僕が変化したという話であって、元々は彼女の方が断然優しすぎるくらいなのだと、僕は常々そう思う。
それはまるで、あらゆる人間に慈愛を振りまく聖母のようでもあったのだ。
それはさすがに言い過ぎになるのだろうか。
彼女にちらりと視線を向けると、「?」と首を傾げながら微笑みかけてくれる。
しかし、全てはやはりその過去に起因するだろうということは、何となくおおよその検討はついていた。
井上 咲。
その過去を、僕が紐解くことを、どうか許してほしい──。




