想いの憑神『不知火』 その3
首を絞められ力を吸われ、意識も朧気になってきた中で、唐突に彼のその顔を思い出す。
罠に嵌った獲物を見つめるような、そんな目でニヤリと笑ったそいつを。
黒矢 昴。
ああ、やはり予め一報を入れておいて良かったな──と。
まったく、僕の周りの人間は皆…予想はすぐに裏切るくせに、期待は裏切らないんだからな。
笑っちまうぜ。
引き戸式のドアががらりと開く。
「残念ながら不知火、彼女はずっと重い想いを背負っていたぞ・・・彼女が今までその想いを拒み、それから逃避してきたというのならば、それはお前の思い違いだ。全く、愚かしい。」
僕の言いたいことを全部詰め込んだようなそのセリフを言い放ち、教室に黒矢が現れる。
そして次に瞬きをする時には、不知火は反対側の壁まで吹っ飛んでいた。
黒矢の強靭な蹴りによって。僕の家のポストで身体の芯が一切ブレないままでいたのを見ると、やはり彼の身体的な能力は相当にレベルが高いようだ。
「ぐっ・・・あんたも、タダモンじゃないわけね・・・!」
「・・・っ!ありがと、黒矢・・・助かったよ、このままじゃ僕、マジで死んでたかも。」
そう言ってふらふらと立ち上がる僕に対しても、「礼などいらん。俺はあくまで裏方──ここから先を演じる主役は、そこの少女と、お前だけだ。」黒矢はいつも通りの抑揚のない口調で、平坦に、または冷淡に、そう言ってみせた。
「──ああ。」
僕は黒矢のその言葉を肯定し、そして容認し、ふっとばされてもがいている不知火に向き直った。
「おい、不知火。お前も本当は分かっているだろ。気づいているだろ。彼女が今までずっと悩んでいたこと。悔やんでいたこと。だったらそれはもう──!」
「彼女の問題だろ。どんなに重い悩みでも、どんなに想い苦しみでも、それは彼女が向き合うべきだ。お前じゃあない、柿本 永音が──。」
「一生、背負っていくべきだ。」
その一言と共に、不知火の身体の中心に突如穴が現れた。
中は黒洞々としていて、何も見えない。いや、そこに見えるのは虚無であり、絶望であり、嘘であり、邪悪であり、やはりそれは何物でも無いのだった。その穴が徐々に不知火の身体を引き裂き、やがて彼女は塵芥となって消滅した。
同時に、戦闘のせいで教室に出来た損傷も全て元通りに戻る。ビデオテープでも巻き戻しにしているかのように完全に戻っていた。
不知火など、最初からそこにいなかったかのように。
そんな憑神など、最初からどこにもいなかったかのように。
「・・・・・・・」
「お前が、他人のためにそこまで身を粉にすることの出来る人間だとは思わなかった。同様に、ここまで本気で不知火との交渉に臨むとも思っていなかった。」
黒矢は突如、そう呟く。
自分の命を懸けて。
自分の命を賭けて。
「見直したぞ。本来は俺の与り知らぬ領域に踏み入ってしまったことは主義に反するが──まぁ、今回のみは良しとしてやろう。」
黒矢はそう続けると、くるり、と後ろを向いてスタスタと教室を去っていく。
廊下ですれ違った教員が、黒矢を不審がることもなく、挨拶をした。
これが黒矢の能力。
曰くそれは"偽物"。
自分の見た目や声を全く別の他人と同一化させる能力なのだろう。
黒矢の正体を知る人間以外に看破される心配はまず無いと断言出来るほどに精密な能力だし、まあこのまま何事もなく、アイツはホテルに戻るのだろう。
さて、主役はあくまで僕と柿本。
そろそろ幕引きとしよう。
僕はその席へ駆け寄り、柿本の細い身体を揺さぶって、彼女の目を覚ます。
「・・・・ん、かま、た……。」
良かった。
気がついた。
「・・・その、柿本。今まで気づいてやれなくて、本当にゴメン。謝って済む話じゃ無いんだろうけど、それでも謝らせてほしい。お前がずっと今の今まで、重い想いに思い悩んで、思い違いだの思い上がりだのを繰り返して、思い半ばにその大切な"想い"を諦めた事に、やっと気づいたよ。やっと見えたんだ、僕。」
ゆっくりと、今までの全てを悔いるように僕は言う。頭に思い浮かべた言葉が、訥々と溢れ出てくる。
やっと。
──やっと分かったんだよ、僕。
「本当の、お前が。」
柿本は、僕に抱きかかえられたままで、幸せそうに呟いた。
「・・・・・・許して、あげるわ」
ふふ、と彼女はなんとも可笑しそうに微笑み、それから一筋の涙を流した。
チャイムが鳴る。
またいつもの如く、教材を片手に抱えた樺島先生が教室に入ってきた。
ちょうど僕が柿本を介抱しているその絵面は、どうやら第三者が見るにはあまりよろしくないものとして処理されたらしい。
「え…なに、2人とも、そういう関係!?きゃーっ、青春ねぇっ!若者たち、大いに楽しみなさいよっ」
恋愛話に敏感なのは若い女性らしさというか、なんだかそんな感じで勘違いされっぱなしだったけれど、それはそれでまた、悪くはない。
柿本は──かつて僕に、密かながらに恋心を抱いてた彼女は、どう思ったのか分からないけれど。
とにかく2人とも、特に弁明なんて無粋なものもせず、朗らかに笑っていた。
教室には、補習を受けている2人の生徒の影が揺らいでいる。




