死ニ物狂イ その1
それから何日かが経った。
燦士郎は上手く学校で過ごせているらしい。
熱が冷めたのか、自然と攻撃的だった周囲も穏やかになってきたそうだ。
さすがに完全に復帰するのはもう少し時間がかかりそうだけれど。
しかしここで時は遡る。
柿本は柿本で、あの戦闘の直後、咲と一緒に僕を迎えに来てくれた。
身体が回復しきっているとは言えど、疲労困憊の僕に肩を貸してくれて、そうして何とか帰路を歩き出した時のことである。
「・・・もう、そんなことなら私にも相談してほしかったなあ、これでも彼女なんだし。」
少々不満げに咲は言うけれど。
「仕方ないだろ、心配させたくなかったもん。お前のことが大切だからこそ、極力そういう騒ぎには巻き込みたくない。普通の可愛らしい女の子でいてほしい。」
「人の目の前でいちゃつかないでもらえるかしら、2人とも」
柿本の毒舌が炸裂する。
なんだかんだ、僕らはそういう平和な会話を交わして、笑い合っていた。
片脚を引きずりながらもなんとか歩き続け、そして霞む目に黒く輝く車体を捉えた。
如何にも高級感溢れる車である。
そのすぐ側には、男が佇んでいた。
「・・・・・黒矢。」
「でかしたな、と褒めてやりたいが──"しでかしたな"と言う方が正確だろう。しかし鎌田、お前はよくやったよ。尊敬しよう。」
尊敬する気があるとは到底思えない低い声で黒矢 昴はそう言った。
そう言いながら僕へと近寄り、そうしてスーツの胸ポケットから1枚の札を取り出した。
何度見ても見慣れぬ、奇妙で奇怪な札である。
それはたしか、翡翠を封じているものだったか。
「お前があの場で激昂した理由も分からんでもない。他人に憑神を押し付けるのも、それはお前の言う通り無責任だろう。しかし──」
コツコツと革靴の音を立てながら、ゆっくりこちらへと歩み寄るその男の手は──札を持ったその手は、僕の影へと伸びた。
そうしてそのまま、札を僕の影の伸びる地面に貼り付けたのだ。
しかし。
「────ッ!?」
周辺の地面が紅い閃光に包まれ、そこから1人の男が出てきた。
先程、"狐"が姿を見せたように。
咲と柿本は唖然としているけれども、僕だって事情を把握しかねる。
同じく、所在なさげに呆然としているのみだった。
その男は清潔感のある白い着物を纏っており、顔にはしっかりと狐面を被っている。
"名前はまだない"その狐──いや、狐の男は、黒矢が僕の影に貼り付けた札をムシャムシャと食べていた。
こいつ、憑神を食べるのか。
しかも札ごと。
狐面から覗く口元は、涼しげな笑みを浮かべている。
思うに、なかなかの美男子なのだろうけれど、それが札をムシャムシャと食べるのはなかなかシュールな絵面なんじゃないだろうか。
「ご主人、先程の鬼で私は腹がいっぱいだぞ──む、いやでもこいつもなかなか絶品だな。この味は熊か。熊の悪魔か。」
「ダジャレを言うな」
うおお。
黒矢がつっこんだぞ。
「しかし良いのか、鴉のような出で立ちをした貴様──」
狐の男は黒矢に問う。
「良いのだ。元々これは俺の憑神ではない。」
そうして黒矢も、恐るべき慄くべきことを言う。
「あれは"札"で、俺が引き受けていたものだからな。」
え。
え?
僕はそいつの何気ない発言に、言い知れぬ違和を感じた。
「ちょっと待てよ、話がおかしくないか?黒矢の話だと、その札は、見知らぬ誰かに翡翠を押し付けるんじゃ──」
「いい加減に学べよ鎌田、相変わらず愚かしいぜ──俺が容易に本当の事を言うと思うのか。その札はなぁ、元々は札の持ち主が他人の憑神を無理矢理に奪う禁忌の一品なんだよ。他人の心を強引に奪うのだ。つまり俺が一時的に翡翠を引き受けていた。それだけなのだ。」
「・・・・・・おい、待ってくれよ。だったらお前は──どうやって翡翠を消すつもりだったんだ・・・この狐が、僕の中から出てこなかったら──。」
「さあな、知らん。元々一生俺が背負ってやる予定だった。まあ言わぬが華なのだろうが、どうせ美談にもならない。」
「強いて言うなら──お前が何とかしてくれるだろう、と信じていた。それだけだ。」
・・・・・・・?
「咲、柿本、ちょっと悪い、離してくれ・・・っ」
返事も待たずに、半ば強引に肩を貸してくれている2人を振り切って、覚束無い足取りのままに黒矢の方へと向かう。
狐の男は僕の意図を察したらしく、「やれやれ」とわざとらしく肩を竦め、その末を見透かすように見守っていた。
手には力が入らない。
声にも力が入らない。
気を抜いたら、次の瞬間には身体がボロボロに崩れてしまいそうなくらいだ。
眼球が乾いていて、視界がぼやけてしまう。
息が荒い。
それでも──。
「ざっけんなよ…ッ!」
パァン、と大きな音が鳴る。
僕の拳は、下から上へと力を込めて黒矢の痩せこけた顔を殴りつけた。
『人間』として、僕は黒矢を一発だけぶん殴った。
「か、和成くん!」
柿本が無理矢理にでも止めるべく駆け寄るが、それを僕の背後で狐の男が制した。
「やめなさい、お嬢さん──。彼は今、自分の問題と向き合おうとしている。あなたがそうしたように。鬼の少年がそうしたように。ならば、私たちは見守るべきではないのかな?」
「そうですけど、でもっ・・・。」
咲も即座に駆け寄って、納得いかないと言わんばかりの抗議の声を発する。
「安心しなさい。彼は彼なりに、上手くやれるものだ。」
黒矢は平然と僕を見下ろしている。口からはつう、と血が微量に垂れていたが、それすらも意に介さずという感じであった。
「終わりか?」
その地獄のように恐ろしい声が響く。
「終わりか、と言っているんだよ鎌田──お前の気は済んだのか?ならば早く車に乗れ、お前らを送ってやると言っているんだよ。」
「黙れッ!!!」
続けて2発、僕は無抵抗な大嘘吐きの顔を殴った。
「あのなァ鎌田、俺が札で翡翠を引き受けていたからといって何になるのだ?佐渡山は助かったし、実際には見知らぬ誰かに押し付けたわけでもないのだ。ならばなぜ、お前はそんなに怒っているのだ?」
クソッ──。
僕はぜえぜえと息を切らしながら、震えた声を発する。
「質問は・・・・ひとつずつだろうが、黒矢ッ。お前は僕を裏切った。佐渡山さんを裏切った。柿本も咲も、そうして全てを裏切って──そこまでして、なんで自分で無茶をするんだ!?無理をするんだよ!!」
ならば──。
本当の" 偽 善 者 "は、こいつなのではないか?
僕ではなく。
黒矢 昴 ではないのかよ────!
「フン、くだらんな。ならばこう言えば良いのか?」
黒矢はそう言って、指をパチンと鳴らして言う。
その口元は、にやりと、歪な笑みを作っていた。
『偽物』
" 俺 の 正 義 は 、全 て が 偽 物 で あ る 。 "
ひねくれた正義を、歪んだ優しさを、曲がった善を──。
そうしてひたすらに押し付け合うような、それほどに狂って乱れて終わって壊れて痺れて割れて寂れて抉れて千切れて爛れて焼かれて凍えて震えて響いて裂けて溺れてしまうような" 決 戦 "を──。
僕はあろうことか、恩人と繰り広げる事となってしまったのだ。




