言葉に切り裂かれた子供 その7
その後、僕は柿本の家に泊まらせてもらった。
まあ何事もなく平和に平穏に夜を明かし、空が明るい水色に染まった午前9時の事である。
燦々と照りつける日光を鬱陶しく思いつつ、僕は柿本と燦士郎と散歩をしていた。
何の為なのかと言われれば、それは念の為である。
このまま無策でこの少年を放置すれば、Jackが顕現するのはどう見ても時間の問題だと思ったのだ。
気晴らしとか気分転換だとか言ってしまえばそれまでな気もするけれど、ともかく解決の手口を模索するという目的も兼ねて、爽やかな晴れ空の下で歩いていた。
涼しい風が首筋を撫でる。
「あっつ・・・・。なあ燦士郎、お前暑くねえのかよ、そのパーカー脱げって」
燦士郎──彼は、先程からずっと赤色のパーカーを羽織っていた。
長袖のそれは、とても真夏の今現在には似合わない代物だ。暖色なので、見ているこちらが暑くなる。
「いや、傷が・・・」
おどおどしながら小声で返す燦士郎。
ああ。
そういえばそうか。
彼の痛々しい傷は、全身に走っているのだ。勿論、腕も例外ではない。ここでパーカーを脱ごうものなら、その傷の異様性で目立ってしまうのは間違いないだろう。
失言をしてしまった。
迂闊だった。
「あー、そっか。なるほどな、悪かったよ。失念していた。」
「さすがにどうなのかしらね。その発言は戴けないわよ、鎌田君。」
柿本は涼しい顔でここぞとばかりに苦言を呈してくる。こうなるともう立場が狭い。
「いや、だから悪かったって。事情が事情だからな・・・仕方ないよ。」
「ところで鎌田君、今どこに向かっているのかしら?もう既に相当な距離を歩いているように思うけれど。」
「んー、いや、お前に言っても今一つ分からないと思うけれど・・・とある廃ビルだよ。まあ、僕が5月のあれこれの時に寝泊まりしてた所。」
気晴らしの散歩と言えど、目的地も何も無くふらふらしているわけにもいかなかった。
事は急を要する。
なぜ僕がその廃墟を目的地として定めたかと言えば、まあそういう事だ。
何かあった時に、存分にJackと戦闘が出来るから。
僕は既に覚悟していた。
最初から戦闘を想定して立ち回るのはあまり穏やかでないと言うか、まあ他に手は無いのかと言われてしまいそうな嫌な話ではあるのだが、とにかくそういう考えがあった。
「ふうん、まあ大体あなたの考えていることは想像出来るわよ。それが"燦士郎くんを助ける"ことだと、あなたがそう思うなら、それでいいんじゃないの。私は力になれないけれど、というより、力になれるわけではないからこそ下手に介入はしないわよ。」
「そんなこと言うなっての」
「ヘタレに介入はしないわよ」
「マジでそんなこと言わないでくれよ!!」
毒舌は健在なのね・・・。
僕をいじるためならば、彼女の言葉遊びはいつだって秀逸だった。
下手に介入しないってのは分かるけれど、ヘタレに介入しないってさあ。
ひどくない?
しかしこの様子だと、燦士郎にも僕の思慮は察せられているのではないだろうか。なんだかんだ言ってあいつも賢いやつだしさ。
いやそう思うと余計に気を遣わせるようで申し訳ない気持ちになるけれど、だが仕方あるまい。
そこから1時間と少し歩いて、僕たちはようやくその建物に辿り着いた。黒矢と共に翡翠と対峙した時は付近の大浦大公園まで車で来たが、その道を徒歩で行こうというのだから当然、時間はかかる。
僕は見上げる。
その廃墟は最早、建物と呼ぶことすらままならないような古びた感じであり、既に壁もところどころにヒビが入っており、崩落しかけているくらいだ。
まあ、だから存分に暴れられるわけだけれど。
──その廃墟。
かつて僕が"地獄"を知って、"悪夢"を識ったその時に寝泊まりをしていたところ。
元々 鎌田 爻という、言うなれば僕のネガティヴ精神を具現化したような──僕から最もかけ離れていて、僕に最も近いその男が住処としていたところである。そいつの正体は僕の心から生まれた『偽善』の人喰い。つまりは同じマンイーターであるわけで、故に僕と死闘を繰り広げ、互いに死に死にと狂い死ぬような、血まみれ泥まみれのバトルが数ヶ月前にあったのだ。
しかし結果的に勝利と言えないような勝利を収めたのは僕で、また爻はもう何処にもいない。
よってこの廃墟は荒れに荒れて、無人と化していた。
前は無数の本が整理整頓されていたのだが(書痴である爻の趣味だ)、それもどこかへ消え果てた。
そうしてそんな埃まみれの廃墟の一室──無駄にだだっ広いその部屋で、"怪物であるところの"僕と、"憑神であるところの"燦士郎は向き合っていた。
さすがに柿本を巻き込むわけには行かない、と互いに(当然ながら)了承した上で、彼女には廃墟の外へ──つまりは、戦闘の被害が及ばないくらいの距離のところまで避難してもらっている。
さて。
あらためて、覚悟を決めよう。
「なあ、燦士郎──。」
「僕たち、一生こうやって生きていくんだよ。知ったふうな事を言うけれどさ。ずっとこうして、心に皆それぞれ向き合うべき問題があるんだよ。傷があるんだ。」
僕は笑う。
「それでいいじゃねえか、細かいこと気にすんなよ!失敗したらドンマイだ、何も考えなくていいんだぜ!」
周囲に沈黙が響く。
「なあ、良いだろ──。僕は人喰いの怪物で、お前はナイフ使いの鬼で、そうして生きて、一生報われないけれど、ずっと不幸なままだけれど、永遠に理不尽なままで、永久に不公平なままで、永劫に苦しくて悲しくて、そして寂しくて辛いままだけどさあ!!!」
「それでいいじゃねえか!慥かに幸せになれないかもしれないけれどさ、それでも別の何かにはなれるだろうが!それでいいって割り切って、全部笑い飛ばそうぜ!」
それは僕らの抱えるべき問題だ。
心の傷だ。
それこそ黒矢の用いた"札"なんて卑怯なシステムでも無い限り──いや、それがあったとしても、それを使ったとしても、手放すことは出来ないし、押し付けることも出来ない。
目を逸らすことも、逃げることも、隠れることも、きっと難しいだろう。
切っても切り離せない。
それが、"自分"なのだから。
「────ははっ」
そこで燦士郎は、初めて笑った。
気持ちの良い笑い声である。
「はははっ」
僕もつられて笑ってしまう。
2人の笑い声が重なり、殺風景な部屋に反響する。
次第にその高らかな笑い声は、徐々に勢いを増していった。
「「ははははっ──」」
「「ははははははははははっ────!」」
「「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははッ────────────!!」」
燦士郎の身体からは、既にその奇怪な形相をした鬼が──赤いパーカーを羽織っている鬼が出現していた。その赤色は、まるで血の色のようであり、両手にはメスのように怜悧なナイフを握っていた。
「死んじまえよ、鎌田 和成ィィィィッ────!!!」
「こっちのセリフだぜ、"Jack the ripper"────!」




