言葉に切り裂かれた子供 その5
「黒いコートを着た、ナイフ使いの鬼」
僕が唐突にそう言ってみせると、燦士郎は隣でびくりと身を震わせた。
柿本は部屋で待機している。ここからは僕の出番なのだ。
「悪い、柿本から聞いたんだ、全て。お前に憑いている"悪いヤツ"の正体も知っている。僕だって、似たような体験をしたことがあるからさ──。お前自身も分かっているだろう?その"鬼"というのが、一体何か。薄々勘づいてはいるんだろ?」
燦士郎は口を真一文字に結んだままでだんまりを決め込んでいたが、次第に口を開き、今にも潰されそうな、そんな鉛のように重い口調で語った。
いや、騙ったと言うべきだろうか。
「僕は、そんなもの見たことないよ。ただみんなに嫌われちゃっただけだ。鬼なんて、いるわけないじゃん・・・・。そんなもの、僕は絶対に──見たことも、聞いたことも。絶対に、無い。」
しかしその視線は僕を見つめているわけでなく、ただ俯いているだけだった。
鬱屈した心情なのも、陰鬱な心理なのも仕方がないとは思う。
しかし僕は、それでも彼の力になりたい。
強いていえば、これが僕の"偽善性"だ。
だからこそ僕は、そんな燦士郎の言葉を即座に否定する。
「いや違うぜ、燦士郎。視たことも聴いたこともないのだろうが──なんであれ、お前は"それ"を識っている。解っている。」
『自分』を、識っている。
『自分の向き合うべき問題』を、解っている。
『心の傷』が、そこに在る。
「ソイツの名前は"Jack the ripper"だ。通称"Jack"──小学生でも、その名前ならどこかで聞いたことあるかもしれないな。かつてイギリスを騒然とさせた殺人鬼だ。僕はこれから、そいつを──」
そいつを、倒す。
そう言おうとしたその時だ。
「やめてよ」
僕の発言を、燦士郎が遮る。
小学生にすらセリフを言わせてもらえない僕。
「なんでだよ」
「やめてよ、そんなこと。僕が悪いんだ、全部。僕が我慢すればいいだけなんだよ。それでいい。それこそがハッピーエンドだ。誰も困らない。だから和成が無理をして、無茶をして、それで僕と同じように傷つく必要は──」
僕は耐えきれなくなった。
どうにも形容し難い衝動に背中を押されたような気がして、目の前にいる少年の肩を掴む。
ついその手には、力が入ってしまっている。
「嘘をつくなよ。誰も困らないなんて、そんなの嘘だろうが。僕が困っている。柿本が困っている。それだけじゃない。何より困っているのはお前だろうが。────自分の心と向き合うのは、それは何でもかんでも受け入れて我慢するのとはまるで違うんだよ。自分が傷つけばいいとか、そんなこと・・・お前が言っていい言葉じゃねえんだよ!!」
僕は叫ぶ。
それは喚き散らしているのに近いかもしれないけれど、耐えられない。
数ヶ月前に、あの"地獄"を体験する前の自分と燦士郎を重ね合わせてしまっていて、どうにも、どうしようとも耐えることが出来なかった。
「お前が困っていて、悩んでいて、苦しんでいるなら──僕が側にいてやる。いつだって。側にいて、何か出来ることなんてそれくらいしか無いかもしれないけれど──それでも、お前の力になってやりたい。だからお前は、抱え込むな。我慢するな。自分が心に負った傷を。何よりも深いその傷を、無理に韜晦しようとしなくていい。辛いなら、辛いでいいんだ。」
燦士郎は泣きそうな眼をしている。
僕も視界が霞んでいた。既に泣いているかもしれない。昔から僕は、どうにも涙脆い。
「──じゃあ、遠慮はしない。」
一呼吸置いてから、燦士郎はこう言った。
「僕を助けて、和成。」
その時である。
突如、燦士郎の身体から紅黒い煙のようなものが発せられた。
それは佐渡山さんの時、『翡翠』の腕が出現した時と何やら似ていた。
「────やっぱりだ、ちくしょうッ!」
『助ケテ』
「・・・・・!」
リビングの比較的広大な部屋にその声が響く。
『助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ助ケテ』
ぐッ・・・!
何やら意味もわからぬその声と共に部屋に禍々しい雰囲気が渦巻く。
狂気に呑まれてしまいそうだ。
「安心・・・・しろッ。僕が、お前を『助けてやる』──!」
そう言って再度、"闇"と、そう端的に形容出来てしまうような禍々しい黒煙に巻かれた少年の肩を掴み、揺する。
その瞬間。
「うああッ!?」
体に電撃が迸る。内部から拷問のようにジリジリと焼かれているような、そんな感覚。
今にも狂って死にそうだ。
ここまでの狂気を漂わせる憑神なんて、いなかったってのに──!!
一瞬、手を離しそうになってしまったが、それは燦士郎との約束を破ることになってしまう。
嘘は、つけない──!
僕は覚悟して、また決意して再度彼の身体に手を伸ばす。
うッ・・・・・・
「うァああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ──────────ッ!!!」
鋭い激痛が僕を襲う。
思わず叫び声をあげてしまった。
「鎌田君!?何かあったのッ!?」
扉を開けてドタドタと慌てた様子で柿本が入ってきたのが横目で見えた。
しかし彼女はすぐに口を手で抑える。目の前の凄惨な光景に絶句せざるを得ないようだった。
狂いすぎるほどに狂ってしまい、そして終わりすぎるほどに終わっている2人の男。
それは高校生と小学生というふうに、結構な年齢の差があったが──柿本は咄嗟の判断で、燦士郎を突き飛ばすようにして無理矢理に僕から距離をとった。
黒い煙の拘束力と痛みが弱まり、なんとか自力で立てるまでになったが──しかし。
燦士郎は煙に巻かれたままだ。
その様相は、まるで大蛇に丸呑みにされる寸前の獲物のようで、とても見られたものではない。
次第に苦しみ苦しんで──そして彼は、部屋の床に意識を失って倒れた。




