感情の潰えた青年 後日談
朦朧とした意識の中で目を覚ます。
ふわふわとした意識で、まるで白昼夢を見ているかのようだった。しかし横たわっていたベッドから身体を起こし、ふとそこに目を向ければ、そんな気は一度にして消え去ることとなった。
そこには僕の知らない男がいる。
いや、結論から言えば知っている男なのだが、その風貌はどうにも見慣れぬものだった。
彼のアイデンティティとも言えよう特徴的な黒いスーツは壁の衣類掛けに掛かっており(そこには戦闘でボロボロになった僕のパーカーもあった)、今は純真さを想起させる真っ白な浄衣に身を包んでいた。後ろで結んでいた長髪はいつの間にやらバッサリ切られており、短く整えられている。
どことなく神職の人間を彷彿とさせるような、そんな格好でホテルの一室に佇んでいたのは、黒矢 昴だった。
黒矢は神妙な顔つきをして、何やら気味の悪い紅黒い色で文字の綴られた一枚の札を見つめていた。
「・・・・・・おい、黒矢?」
僕がおそるおそる声をかけると、黒矢は「ん」と僕の方へ向き直った。
「よく眠れたようだな。──安心しろ鎌田・・・・・翡翠は片付いたぞ。」
そんないつも通りの調子で事が一件落着したのを淡々と告げる黒矢。
「なんだよ、その格好?それに、その札も──」
あ。
やべえ。複数聞いちゃった。
黒矢は僕が発言の半ばで予測した通りに、大きくわざとらしく溜息をついてから、「質問は一つずつだ、と何度言えば理解出来るのだ。まったく──。この格好は・・・まあ言ってしまえば、お祓いだよ。」
お祓い?
一体何のものなのだろう。
「お前がベッドで寝てる時に、へらへらと薄気味悪い笑みを浮かべながら人の名前を呼ぶからな。続けて新手の憑神に憑かれているのかと思って、儀式を行う用意をしていた。なるべく暴力沙汰は俺も避けたいのだ。・・・・・しかし、よく聞いてみればその名前は、"井上 咲"という、お前の恋人の名ではないか。お前はただ夢の中で惚気けていただけというわけだ。まったく、愚かしい。」
というより、恥ずかしいなァ──そう言って、黒矢は発言し終えた。
「・・・・・・・っ!」
僕は咄嗟に息を呑み、その言葉の意味を反芻して即座に思考を巡らせる。
え。
えええ?
マジで?
いや付き合っている身でこういうことを言うのは咲に少し申し訳ないところが無いわけでもないから、僕がこの発言に負い目を、或いは引け目を感じないと言えばそれはまったく嘘になるのだが・・・っ!
しかし。
しかしだよ?
黒矢にかなりの割合で助けられながら、なんとか瀕死の死闘を終え──それから、回復するまで看病していてくれた黒矢(いくら性格が歪んでいるとはいえ)の前で、あろうことか惚気けていただと!?
他人の前で寝言を呟いて、更にその内容が恋人に対する惚気だと──!?!?
困惑、というか混乱するばかりであった。
いやいやちょっと待て、めちゃくちゃ恥ずかしいぞ。
人に寝言を聞かれるだけですら少し恥ずかしく思う僕なのに、あろうことかその内容が惚気で、あろうことかその相手が黒矢だ。
あの黒矢だぞ?
絶対無表情を保ちながら、内心意地の悪い笑みを浮かべていたに違いない。その可能性しかねえ。
・・・・・・・。
マジかよ!!!
僕は冷や汗をかきまくりながら、そして歯をがたがたと震わせながら慌てまくっていた。
その動揺ぶりと言えば翡翠と対峙した時以上かもしれない。ぶっちゃけこいつが僕を玩具のように弄ぶ事こそが、この世で最も恐ろしい憑神かもしれない。
忸怩たる思いに僕は耐えつつ…泳ぎまくる目で黒矢を見つめていた。
そして黒矢は表情一つ変えずに、こう言った。
「勿論、嘘だがな」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「黒矢ぁ!!!」
僕はそいつに飛びかかった(もちろん怪物の力の効力は既に切れているので、一般的な人間として)のだが、浄衣を着たままなのに器用にひょいひょいと避けられてしまう。
「三点リーダで7行ほども沈黙し続けるやつに怒られる筋合いは無いぞ。スペースの無駄になるじゃあないか。読者の事を考えろよ鎌田──ったく、愚かしい。」
「それは多分無駄じゃねえよ、結構美味しいシーンだろうがぁ!!僕の心情を描写するのにはそれ以上のスペースと文字数をかけてんだよ、お前がついた嘘のせいでなぁっ!」
僕は必死に掴みかかろうとしながら続けるが、黒矢もまた息一つ乱さずに避けながら言葉を続けた。
「充分すぎるほどに心得ている。表情や動作にモロに出ていたが────それこそ痛感したぞ。・・・・・いや、痛感というか、見ていて痛々しいだけだったがな。」
「なんでだァ!!!!」
感情を表に出しすぎるというのも、やはり問題か。
ん?
感情──。
そう、感情といえば。
「ぜえ・・・・・・・はぁ・・・。おい黒矢、そういや、佐渡山さんはどうしたんだよ・・・?」
「帰ったよ。無事に解決した。彼はもう既に、"普通の青年"へと戻っている。当たり前の何かを持たないわけでもなく、逸脱した何かを持ちすぎたわけでもなく、な。──それも全て、この札のおかげだ。」
黒矢は指に挟んでいる札を僕にひらひらと見せた。
「その札って・・・・・結局、何なんだ?」
呼吸を整えながら、あらためて僕は2つ目の質問をした。
「この世に存在するありとあらゆる憑神を封じ込める、いわば怪物への対抗策だ。しかしながら、完全無欠の最強武器なわけでもない──。封じ込めた憑神は、"何処かの誰か"が背負わなきゃあいけないのだ。」
「え・・・・・・・・・?」
僕はその意味を理解しようと思考した。
先程の動揺と同じくらいに行数と文字数をかけて思考したが、どの結論にも至らなかった。
────考えることすら恐ろしい、最悪の結論、たったその一つを除けば。
「お前も案外物分りが悪いなァ鎌田──愚かしいというより愚かだな。馬鹿馬鹿しいというより、馬鹿だ。つまりだな・・・・まったく関係のない誰かが、翡翠を心に飼い続けなければならんのだよ。佐渡山の心から翡翠を排除する代わりに、俺はそれを見知らぬ人間に押し付けたわけだ。完璧にノーリスクの駆除なんて、そんな都合の良い話があるわけないだろう──」
そう言いかけたところで、僕は黒矢に掴みかかった。
話していた途中に不意を突いた形なので、思った以上にあっさり掴めたものだ。
「黒矢、お前・・・・ッ!!────憑神は、憑神は・・・その人が背負うべき苦悩だろう、その人が向き合うべき葛藤だろう!!あくまでそれは、その人だけの心の問題なはずだ。お前もいつか柿本に言っただろうが。人生の主役はそいつだけで、誰も代われないって────ッ!」
「おいおい、人が話している時に──ましてや、お前本人からの質問に答えてやっている時に掴みかかるなど、マナー違反も程々にしろよなぁ。愚かしいぜ、まったくよォ──。」
黒矢は飄々と、全く気後れも悪びれもせずにそう言った。
僕は言葉も出なくなってしまった。黒矢を掴んでいた手を放し、無気力に部屋の壁に凭れかかる。
部屋の古い電球が、ぱちぱちと点滅を繰り返していた。僕も黒矢も、暫くの間は何も話さなかった。




