破戒の憑神 『翡翠』 その2
『全ク、此ノ手ハ使ヒタク無カッタノダガナ』
俺──つまり黒矢 昴はそう言いつつ、お気に入りの銘柄である煙草、セブンスターに着火した。こういう時は落ち着くのが大切なのだ。慌てるという漢字を立心偏と「荒」の文字で表した人間には感服するばかりだ、まさしく言い得て妙である。
「慌てる」というのは、「心が荒れている」ワケであるからな。
さて、と翡翠に向き直るとそいつは未だ暴れ狂っており、またさて、と近くを横目で見れば鎌田の身体からは白い煙が発生している。おそらく回復力が作用するギリギリのところでダメージを抑えたのだろう。一命は取り留めたようだ。
ったく、"手を飛ばす"なんて昭和のロボットアニメみたいなことをやりやがって・・・(マジンガーなんとかってやつ)。
とりあえず一安心ではあるのだが、これ以上傷を負えば奴は間違いなく死に至る。
であれば、なるべく翡翠を引き寄せねばならないだろう。それが最優先事項だ。
俺は公園に数少なと設置されている遊具をパルクールのように飛び回り、翡翠の気を引いた。それも可能な限り、鎌田が奴の視界に入らない位置へと。
やれやれ、裏方がいくら綿密に舞台を設定したところで、主役に死なれちゃあ意味が無いだろうが────!
「まったく、戴けねぇなァ・・・・。」
愚痴を垂れるように、或いは何かを咎めるような物言いで、独りブツブツと呟いた。どうせ翡翠に知性はない。理性はあれど、知性はない。
皆無だ。
ならば意思疎通を図る必要もないし、俺のぼやきを聞かせるだけ無駄だろう。
翡翠は動かなくなった(といっても、まだ生きているが)鎌田よりも、俺を攻撃対象と捉えたようだ。よし、それで良い。
それが良い。
それでなきゃあ、駄目なのだ。
奴は俺に向かって咆哮する。その姿はさながら必死に威厳を示そうとする獣だった。
俺はいつもの如く──そして例の如く、フン、と鼻で奴を嘲るように笑う。
「どうした?早く始めろよ・・・・。」
おっと。
少し語弊があるな、訂正しよう。
「否、終わらせろよ、と言うべきかな。何にせよ、お前が攻めてこない限り俺は動かないぜ。・・・・・かかってこい、翡翠が。」
「グゥオオオウオウオゥアアアアア!!!」
奴は一層、咆哮の勢いを増しながら俺に向かって突進してきた。
またもや訂正しよう。
アイツには知性が無ければ、同様に理性も無かったようだ。
そして俺は先程、「アイツが攻めてくれば俺も動く」みたいな物言いをしてしまったけれど、それもやはり齟齬を来すので訂正しよう。
俺は──"どっちにせよ動かない"。
翡翠が攻めて来ようが来まいが(向こうは攻撃せざるを得ないわけだが)、な。
ただそこで立ち続け、その身にさらさらと風を受け続けるだけであった。
先程から訂正だらけで申し訳ない。
しかしながら人生、過ちを犯せば正せねばならないのだ。勿論、過ちだらけを放置してきた俺が言ったところで説得力も含蓄もありゃしないがな。
兎にも角にも、昂って突撃してきた翡翠は、身を屈めて頭を突き出し、俺の腹部へと突進した。
無論、俺は微動だにせず、その攻撃を食らう。
「があッ・・・──!」
胴体を支える肋骨その他諸々の骨がバキバキと音を立てて破砕されるのを実感する。というより、痛感した。
──だが、"これこそが良い"のだ。
俺の勝ち。
暫く経って、翡翠は熊の習性を真似たのか、俺の前で立ち続けていた。時々顔を動かして、俺が抵抗してこないか窺っている。
そして、ついに。
トドメを刺すべく、俺を喰い千切ろうと翡翠は顔を差し出した。
「────『偽物』。」
俺はニヤリと笑って叫ぶ。それは当然、嘲笑だ。
馬鹿め、見事に罠に嵌りやがって。
そして俺は、平然と立ち上がって続ける。
『俺ノ傷ハ全テ、偽物デアル。』
普段は憑神調査に際して変装目的でしか使わないが、この能力を戦闘で使うならば、それは俗に言う"チート能力"というやつであろう。
傷だろうと、死だろうと、何でも宣言すればそれは偽物となる。つまりは今まで追ってきた過程が総じて虚無へ帰すのだからな。
とにかく、そういう能力を俺は有していたのだ。
それが俺の能力。
"死んだフリ"が熊に通用する、稀有なケースを見事に実演してみせたわけだ。
ざまぁみやがれ。
そして復活(元々死んでないが)と同時に俺は手を伸ばし、翡翠の額へ札を貼り付ける。
それはこの世の憑神を凌駕する存在。
憑神を調査し始めた際、とある人から受け継いだ物──。
この世に跋扈する魑魅魍魎、憑神の類を全て吸収し封印する代物だった。
けれども全能では無い。その札を所有しているものが、代わりにその憑神を心に飼い慣らさなければならない。記憶的にも精神的にも改変などは生じないけれど、精神面に大きなダメージを受けた際に、それを放出してしまうケースがある。
ハイリスク、ハイリターンってわけだ。
"偽物の全能"。
ともかくそんな札を貼り付けられた翡翠は、踠こうともせず暴れようともせず、ひたすらに小さく低い唸り声をあげながら震えていた。
そうしてやがて、紫色の仄かな光に包まれて、そこには怪異を封じ込める札だけが残ったのだった。
「さて、一件落着と言うべきか・・・。」
札をスーツの内ポケットへ閉まった俺は指をぱきぱきと鳴らしつつ、傷の修復をほぼ完全に終えていた鎌田と、そしてそこに意識を失ったまま倒れている佐渡山を車に乗せて逆神ホテルへと戻ったのだ。
黒矢がお気に入りすぎて黒矢視点を書いてみた僕。




