再会
「伊藤さん、突然すみません」
パソコンに表示された名前を見て、伊藤智樹は一瞬、指を止めた。
篠原亮。
その名前を目にするのは、何年ぶりだろう。
仕事のメールだった。
智樹はフリーランスのWebデザイナーとして、企業や個人から依頼を受けてWebサイトを作っている。
その日も、いつもと変わらない午後だった。
新しく届いた問い合わせメールを開く。
差出人の名前を見て、まさかと思った。
けれど、そこに書かれている会社名にも、担当者名にも間違いはなかった。
篠原亮。
高校時代の同級生。
そして――かつて、智樹の友達だった人。
メールには、Webサイトのリニューアルについて相談したい、と書かれていた。
仕事なのだから、断る理由はない。
そう思った。
それでも、返信ボタンを押すまでに十分以上かかった。
結局、智樹は必要最低限の文章だけを打ち込んだ。
打ち合わせの日程を決める。
それだけ。
余計なことは何も書かない。
何年も前に終わったことだ。
もう、自分には関係ない。
そう言い聞かせながら、智樹はパソコンを閉じた。
――その三日後。
指定された住所をスマートフォンの地図で確認しながら、智樹は駅から十分ほど歩いた。
駅前の大通りから一本入ると、さっきまでの喧騒が嘘のように薄れていく。
古いビルと新しいマンションが混在する通りだった。
目的のビルは、その中でも比較的新しい。
ガラス張りのエントランスに、黒い金属文字で会社名が掲げられている。
株式会社ノースフィールドデザイン。
四階建ての細長いビル。
智樹は入口の前で一度立ち止まった。
スマートフォンに表示された住所と、目の前の看板を見比べる。
間違っていない。
壁際には小さな観葉植物が並び、その奥にエレベーターが一基ある。
エレベーターの横には、二階から四階までのテナント案内が貼られていた。
四階。
そこに、ノースフィールドデザインの名前がある。
智樹はエレベーターのボタンを押した。
数字が一つずつ上がっていく。
妙に時間が長く感じられた。
四階で扉が開く。
正面にはガラス張りのドアがあり、その向こうに受付カウンターが見える。
白い壁。
木目調の床。
天井から吊り下げられた細長い照明。
壁にはいくつかのWebサイトのデザイン事例が、大きなフレームに入れて飾られていた。
いかにもWeb制作会社らしい、すっきりとした空間だった。
受付に名前を告げると、若い女性社員が笑顔で対応してくれた。
「伊藤様ですね。お待ちしておりました。篠原がすぐ参りますので、こちらで少々お待ちください」
「ありがとうございます」
案内されたのは、受付の奥にある小さなミーティングスペースだった。
透明なガラスのパーテーションで区切られているだけなので、向こう側のデスクが見える。
十人ほどだろうか。
社員たちはそれぞれモニターに向かって仕事をしている。
電話で話している人。
ヘッドホンをつけている人。
隣の席の人と画面を覗き込みながら話している人。
その中に、知っている顔がないか、智樹は無意識に探してしまった。
馬鹿みたいだ。
そう思って視線を戻す。
ミーティングスペースには、四人掛けの木製テーブルと椅子が置かれていた。
テーブルの中央には、小さな観葉植物。
壁にはホワイトボードがあり、前回の打ち合わせで使われたらしい細かな文字が、ところどころ消されずに残っている。
智樹は椅子に腰を下ろした。
鞄からノートパソコンを取り出す。
仕事の準備をする。
それだけに集中する。
ここは高校でもない。
美術室でもない。
放課後の教室でもない。
自分は三十歳を過ぎた社会人で、今日は仕事でここに来ている。
何も問題はない。
そう思った。
そのときだった。
「伊藤……?」
背後から声がした。
智樹の指が止まる。
振り返る。
そこに立っていたのは、記憶の中にいる高校生ではなかった。
少し短く整えられた髪。
白いシャツに濃紺のジャケット。
首から社員証を下げている。
高校生だった頃よりも肩幅が広くなっている。
顔つきにも大人らしい落ち着きがある。
けれど、笑ったときに少しだけ目尻が下がるところは、あの頃と変わっていなかった。
「やっぱり伊藤だ」
篠原亮が笑った。
その笑顔を見た瞬間、智樹の胸の奥で、何かがひどく古い音を立てた。
忘れたつもりだった。
忘れなければいけないと思っていた。
それなのに。
「久しぶり」
亮がそう言った。
智樹は少しだけ間を置いてから答えた。
「……久しぶり」
それだけだった。




