第53話 暴かれた牙、反撃の狼煙
月が変わり、今年も残すところ一ヶ月ほどとなった十二月初頭の冷たい放課後。
茜色に染まりかけた碧陵学園の校舎裏は、生徒たちの姿もまばらですっかりと静まり返っていた。吹き抜ける風には冬の匂いが混じり、乾いた落ち葉が足元でカサカサと音を立てる。
その人気のない一角に、俺の姿があった。
授業終了後、スマホに藤嶺から一通のメッセージが届いたのだ。
『話がある。校舎裏に来い。来なければ、後悔することになるぞ』という、脅しとも取れる内容だった。
無視することもできたが、最近の吉岡のなりふり構わない暴走ぶりを思い出すと、ここで藤嶺を放置して周囲に危害が及ぶ方が厄介だと判断し、俺は指定された場所へと足を向けた。
遅れて校舎の陰から現れたのは、藤嶺徹と赤羽架純の二人だった。
藤嶺の顔には、かつての学園の王としての誇りや余裕は完全に消え失せ、代わりにねっとりと湿った狂気と歪んだ優越感が張り付いていた。
その隣で赤羽は、冷ややかな、虫けらを見るような侮蔑の笑みを浮かべて俺を睨みつけている。
「呼び出されて、のこのこやって来るとは相変わらず間抜けだな、空」
藤嶺は低く下卑た笑い声を漏らしながら、俺の数歩手前で立ち止まった。
「何の用だ、藤嶺。お前たちまた何か企んでいるのか? 無駄な真似はやめておけ」
俺が冷め切った声で言い放つと、赤羽がフンと鼻を鳴らして一歩前に出た。
「相変わらず生意気な口を利くね、空君。でも、それも今日で最後だよ。あんたがどれだけ世間で持ち上げられようと、母親の小説でいい気になっていようと、ここから先は地獄の底まで落ちてもらうんだから」
赤羽の言葉に、藤嶺はニヤニヤと悪趣味な笑みを深め、用意していた次の手の全貌を、まるで極上の娯楽を語るかのように話し始めた。
「そうだ。お前は最近、警察やらネットやらで俺たちを追い詰めているつもりでいるみたいだがな……甘いんだよ。世間の風向きが変わったくらいで、俺たちがこのまま大人しく敗北すると思ったか?」
藤嶺はスマホを取り出し、画面を空に見せつけるように掲げた。そこには、数人の見知らぬ若い少女たちが顔を隠して怯えている画像が映し出されていた。
「今度のは、前回の『未遂』なんてもんじゃないぜ、空」
藤嶺の声に、ぞっとするような冷酷さが混じる。
「ネットに、フェイクの『告発動画』をばらまくのさ。内容はこうだ。『遠坂空に、人目のつかないところで何度もレイプされた』ってな。被害者の女の子たちは顔を隠し、声を加工して出演させる。もちろん、すべて俺たちが裏でクスリで脅した連中を使った完全な演出だけどな」
その言葉を聞いた瞬間、俺の眉間が険しく歪んだ。
未遂どころか、既成事実としての強姦被害の告発。それをネットに公開し、大衆の正義感を煽ってリンチにかけさせようというのだ。そうなれば、俺の社会的生命だけでなく、人間としての存在そのものが完全に抹殺される、文字通りの最終兵器だった。
「お前たち……そこまでして、自分たちの罪を隠したいのか」
「罪だと? ふざけんな!」
藤嶺の表情が急に歪み、声を荒らげた。
「すべてはお前のせいだ! お前が余計な反抗をせずに大人しく犯罪者崩れとして周りから虐げられていれば、こんな面倒なことにはならなかったんだよ! だからこそ……」
藤嶺はそこで言葉を区切り、より一層ねっとりとした侮蔑の笑みを浮かべた。
「今すぐここで土下座して、『あのレイプ未遂事件は世間で噂されているような冤罪なんかではなく、すべて事実です』と自分の口で認めて謝罪しろ。そして、それを自ら公表するなら……まあ、見逃してやってもいいぞ? どうだ?」
自分たちの罪を誤魔化し、さらには完全な嘘の自白を強要するという、あまりにも傲慢で理不尽な提案。
だが、俺は怯えたりはしなかった。
冷ややかな瞳のまま、目の前にいる二人の哀れな姿を見やる。
「……それが、お前たちの最後の足掻きか」
俺が静かに威圧感を含んだ声を出すと、藤嶺と赤羽はわずかにたじろいだ。
「なんだと……?」
「逆だ、藤嶺」
俺は一歩前に踏み出し、はっきりと告げた。
「次はお前らが、完全に破滅する番だ。その汚い悪あがきが、お前たち自身の首を絞める最後の一歩になることに、まだ気づいていないらしいな」
「なっ……! 強がりを言ってんじゃねえぞ、クズが!」
藤嶺は顔を真っ赤に染め、怒号を上げた。
「後悔してももう遅いぞ! 明日になれば、お前がどんな顔をしてネットの海で溺れ死ぬか、特等席で見といてやるよ!」
「せいぜい悪夢でも見ることだね、空君。もう、誰もあんたを救えないんだから!」
赤羽もヒステリックな笑い声を上げながら、藤嶺と共に背中を向け、夕闇に染まる校舎裏から立ち去っていった。
去っていく二人の背中を見送りながら、俺は深く息を吐き出した。
来るなら来い。お前たちがすべてのカードを切り終えた瞬間が、俺たちがその化けの皮を完全に剥ぎ取るタイミングだ。
新たな嵐の予感を胸に、俺はその場を後にした。
§
そして、その日の夜。
予期されていた最悪の事態が、ついにネットの表舞台へと放たれた。
藤嶺らが、用意周到に加工した『遠坂空による強姦告発動画』を、複数の大手動画プラットフォームやSNSのトレンドに一斉に投稿したのだ。
『名門学園の裏に隠された悪魔の蛮行』『天才イラストレーターの皮をかぶった常習的レイプ犯』──そんな過激でセンセーショナルなタイトルとともに、顔を隠した少女たちの捏造された証言が拡散されていった。
瞬く間に、インターネットの世界は炎上のるつぼと化した。
「やっぱりあいつは本物のクズだったのか」「小説でいい気になっていたが、裏ではこんな悪事を……許せない!」といった、事実無根の誹謗中傷や激しいネットリンチの嵐が、俺の頭上に容赦なく降り注いだ。
§
逢沢家のリビングルーム。
ノートパソコンの画面に映し出されたその悪質な動画と、コメント欄の地獄のような書き込みを見た瞬間、その場の空気が凍りついた。
「そんな……ひどすぎる……! こんな嘘の捏造で……!」
凛ちゃんが、両手で口を覆い、目に大粒の涙を浮かべながら震えていた。彼女の小さな拳は、怒りで固く握りしめられている。
「ゲス野郎どもが……! ここまで汚い手を使うなんて、人間のクズのやることだよ!」
爽花さんもグラスを強くテーブルに置き、その美しい顔を怒りで紅潮させていた。
リビングの重苦しい空気の中で、しかし、誰もが絶望の淵に沈むことはなかった。
桐乃さんが冷静に、力強い目で周りを見渡しす。
「……でも、まだ終わりじゃないわ」
桐乃さんのその言葉に、全員の視線が集まる。
「奴らがここまで派手に、なりふり構わず汚い罠を仕掛けてきたということは、それだけ連中も追い詰められている証拠よ。そして……準備は、もう整っているわよね、玲那?」
リビングの端、静かに座っていた玲那さんが、ゆっくりと顔を上げた。
彼女の瞳には、一切の迷いも恐れもなく、ただ俺を守り抜くという揺るぎない決意の光が宿っていた。
彼女はネット界隈で圧倒的な人気を誇る、謎のネットシンガー・レイナ。その圧倒的な歌声とカリスマ性は多くのリスナーを魅了していたが、これまで一度も公の場で顔出しをしたことはなかった。
その彼女が、今夜、すべての真実を暴くために、重大な決断を下していた。
玲那さんは優しく微笑みながら、俺の隣に歩み寄り、その温かい手で俺の手をそっと包み込んだ。
「うん。大丈夫だよ、空君」
玲那さんの声は、驚くほど澄んでいて、力強かった。
「凛が手に入れてくれた決定的な証拠を使って、私が、すべての決着をつける」
「玲那さん……、本当に顔出しをして……」
俺が心配そうに声をかけると、玲那さんは首を横に振った。
「空君がこれまで一人で耐えてきた苦しみに比べたら、別に顔出しなんて何でもない。私のチャンネルを通して、学園の、そしてあの腐った連中のすべての嘘と罪を、世間の人たちに包み隠さず伝えるの」
玲那さんの覚悟に、リビングの全員が息を呑んだ。
彼女は自分のスマホを手に取り、公式の動画チャンネルおよびSNSアカウントにて、緊急の告知文を打ち込み、世界に向けて発信した。
『一週間後の同日時。ネットシンガー・レイナとして、初となる顔出し配信を行います。そこで、現在世間を騒がせている冤罪事件のすべてを覆す、重大な告発と真実の証拠を公開します。リスナーの皆さんは、それまでこの告知をできるだけ拡散してください。真実がどちらにあるのか、その目で確かめてほしいんです』
その告知が発信された瞬間、ネットの海は大津波のように揺れ動いた。
「あのカリスマシンガーが、初顔出しで告発!?」「一体何が起きるんだ……?」
批判と擁護、期待と憶測が入り混じる中、カウントダウンのタイマーが静かに動き始めた。




