第52話 仕組まれた毒牙、そして闇へ堕ちる影のひそやかな笑み
今日から一日に4話ずつ更新していきます。
十一月末日。
冷たい風が街を吹き抜ける中、水面下で蠢いていた悪意の毒牙が、ついに牙を剥いた。
追い詰められた人間が放つ最後のあがきは、想像を絶する卑劣さと狂気を孕んでいた。
吉岡美誓は、俺──遠坂空が執拗に自分に付きまとい、脅迫しているという完全に捏造されたフェイクの証拠を作り上げたのだ。
足取りが追いにくい匿名性の高いプロキシ経由でだろう、SNS上に「遠坂空が吉岡美誓にストーカートラブルを起こしている(おそらく足取りが追いにくい匿名性の高いプロキシ経由で)」というガセの暴露系投稿やスレッドを波及させたのだ。
俺があたかも吉岡に対して暴言を吐き、脅しをかけているかのような仕掛け。
吉岡はそうした上で、学校の生徒指導部や、さらには警察にも「遠坂空からストーカー被害を受けている、実際に面と向かって脅されもした。身の危険を感じる」と虚偽の被害届を提出したのだ。再び俺を犯罪者に仕立て上げ、世間の同情を自分に向けさせようという、泥沼のような策略だった。
しかも、吉岡は俺のアリバイが成立しないように完全に計算し尽くしていた。
俺が吉岡を直接脅したとされる時間帯に、カフェで泉ちゃんと一緒にいたと主張したところで、それは一切の言い訳にはならなかった。
なぜなら、吉岡の指示によって泉ちゃんはわざと待ち合わせの時間に遅れて到着させられていたからだ。
俺が一人でカフェに座っていた時間、その絶妙なタイムラグを突かれ、アリバイを失わされたのである。
吉岡は泉ちゃんを利用して、俺が一人でいる時間を作り出したのだ。
不特定多数の客が多いカフェの店内では、他人の細かい行動や会話の内容まで正確に記憶している人はまれであり、何時何分に何をしていたかを正確に証明することは困難だ。
だが、さすがの学園側も、かつてのようには動けなかった。
現在、ネット上では庵原翡翠の小説をきっかけに碧陵学園の隠蔽体質や不祥事が徹底的に糾弾され、世論の猛烈なバッシングの嵐に晒されている真っ最中だった。
かつてのレイプ未遂事件の時のように、真実をろくに確かめもせず、権力者の言いなりになって無実の俺を理不尽に停学処分にしたり、処分を下したりすることは、もはや学校の存続に関わる致命傷になりかねなかった。
「警察が現在捜査を進めている段階ですので、当校としては軽率な処分を下すことはできません。警察の正式な捜査結果と判断が出るまで、双方の生徒は慎重な行動を……」
学校側は、世間の目を恐れるあまり、及び腰の対応に終始するしかなかった。
警察も、虚偽の被害届や捏造されたDMのデジタルフォレンジックや裏付け捜査に時間がかかっているためか、すぐに俺をどうこうすることはできないでいた。
けれど、捜査中という重苦しい足かせが俺にかけられることになったことには変わりない。
世間の風向きが変わってきたとはいえ、敵の繰り出すなりふり構わない悪質な謀略は、じわじわと俺たちの精神を締め付け始めていた。
§
Side:水瀬葵
街の喧騒が遠ざかる、夜の繁華街の裏通り。
ネオンの光が湿ったアスファルトに溶け込み、どこか退廃的で匂い立つような空気が漂う場所。その一角にある、会員制のバーが入った雑居ビルの地下ホール。
そこに、私はいた。
私は、水瀬葵。
スクールカースト最上位の藤嶺の悪質極まりない策略に嵌められ、レイプ動画によって性奴隷として従うように脅されている。
その藤嶺が、裏の社会の、いわゆる半グレグループと深い関わりを持ち始めたこと。
それを知ったのは、つい最近のことだった。
彼らは、一般人にはとても見せられないような裏のパーティーを定期的に開いていた。
そこでは違法な薬物が蔓延し、若い女の子たちを私と同じように脅して集め、モラルも尊厳もあったものではない、いわゆる『やりコン』が常態化しているという。
「……私を、そこに入れて」
私は、藤嶺に自らそう申し出た。
最初は驚いたような顔をした藤嶺だったが、すぐに冷ややかな、値踏みするような笑みを浮かべて、私をその闇の宴へと引き入れたのだった。
§
地下ホールの扉を開けた瞬間、脳を揺さぶるような重低音の音楽と、甘ったるい煙草の匂い、そして人間が持つ欲の匂いがむせ返るように押し寄せてきた。
薄暗い照明の中、高級なソファーやテーブルのあちこちに、半グレの男たちと、クスリで瞳孔の開いた若い少女たちが転がるようにして乱れ合っている。
その中心に、藤嶺徹がいた。
彼はすっかり常軌を逸したハイな状態で、周囲の人間を支配するようにふんぞりかえっていた。
私がそこに足を踏み入れると、藤嶺はグラスを傾けながら、血走った目で私を認めた。その顔には、ただの獣のような欲望だけが貼り付いていた。
「お、来たか葵。待ちかねたぜ」
藤嶺は下卑た笑みを浮かべ、周りの男たちに目配せをした。その場にいる全員が、人間の尊厳をとうに投げ捨てたような空気を纏っている。
私はコートを脱ぎ捨て、冷え切った表情のまま、その退廃的な空間の中へと歩み寄った。
恐怖や羞恥心は、不思議とどこにもなかった。
ただ、藤嶺に対する憎悪だけが、この身を焦がさんばかりに燃え上がっていた。
藤嶺は身につけていたシャツを乱暴に脱ぎ捨て、完全に全裸の醜態を晒したまま、私を見下ろすように命令した。
「おい、こいよ、葵。いつもみたいに、ここで俺たちに奉仕しろ」
その言葉は、人間の尊厳を完全に踏みにじるものだった。周りの男たち下劣な笑い声が、ホールの中にいやらしく反響する。
「……はい」
私は小さく、掠れた声でうなずいた。
そして、自分の肩にかけていた小さなバッグを手に持ったまま、テーブルのちょうどいい位置──男たちの視線の死角になり、かつ誰の手にも届かない場所へと、丁寧に置いた。
カチャリ、とバッグの金具がかすかな音を立てる。
私は微かな笑みを心の中で浮かべながら、全裸で醜く笑う藤嶺の足元へと、ゆっくりと跪いた。




