第46話 二人三脚の結末、崩れゆく王座
お昼休みの賑やかな喧噪と、四姉妹や萩原との温かな時間が過ぎ去り、碧陵学園体育祭は午後の部へと突入していた。
午前中のハプニング──玲那さんの借り物競争での公開告白じみた一幕の余韻が、まだあちこちでくすぶる中、真剣勝負の競技が次々とプログラム消化されていく。
そしてその中で、全学年合同による『二人三脚リレー』の時間がやってきた。
俺と萩原のペアは、地道に重ねてきた練習の成果を発揮すべく、トラックの待機エリアに並んで立っていた。
「いよいよだね、遠坂君……。なんだか私、すごく心臓がバクバクするよ……」
萩原はジャージの裾をキュッと握りしめ、緊張を顔に滲ませながらも、どこか楽しげな期待感をその瞳に宿して呟いた。
「緊張するよな。でも、今までやってきた通りにやれば大丈夫だ。お互いの呼吸を合わせよう」
「うんっ……!」
審判の笛の音が響き、前の組のペアがゴールへと飛び込んでいく。
そうして、いよいよ俺たちの出番がやってきた。スタートラインに立ち、右足と左足を白いロープでしっかりと結び合わせる。
スタートの号砲が鳴り、俺たちのペアは、息を合わせて一斉に踏み出した。
「それじゃあ、行くぞ……せーのっ、いち、に、いち、に!」
練習の成果もあり、最初は順調にスムーズな走りでコーナーをクリアしていく。周囲のペアも負けじと並走してくる。
けれど、勝負の魔物は突然やってきた。
最後の直線コースに入る手前、少しコースの地面が削れている窪みに足をとられたのか、萩原の足がもつれてバランスを大きく崩した。
「あっ……!」
あわや、二人揃って派手に転倒しそうな瞬間だった。
反射的に体が動き、俺は自分の重心をぐっと低くして萩原の肩を強く引き寄せ、自分の足で踏ん張って全体重を支えきる。
「わっ……!」
「大丈夫か、萩原!」
「ひゃ……ご、ごめんね、遠坂君……! 足が引っかかっちゃって……!」
顔面蒼白になりながら謝る彼女の背中に、俺は慌てず声をかける。
「謝るな、怪我はないか? よし、すぐ立て直すぞ。もうゴールはもう目の前だ!」
「うんっ……!」
ほんの一瞬のバランスの崩れを俺が完全にカバーし、すぐに二人で体勢を立て直して再び足を前へと踏み出す。
周囲のペアが数組、その隙に前を通り過ぎていったが、俺たちは諦めずに最後の力を振り絞ってゴールラインへと飛び込んだ。
「白組、三着でゴール!!」
判定員の生徒の声がグラウンドに響き渡った。
息をきらせながらロープをほどき、俺たちはその場でへたり込むようにして深く息を吐き出した。
「はぁ、はぁ……た、助かった……。ごめんね、遠坂君、私のせいで一着逃しちゃって……」
萩原は申し訳なさそうにペコペコと頭を下げたが、その表情にはどこか清々しい充実感が満ちていた。
「いや、よく最後まで走り切ったよ。結果は三位だ。上出来じゃないか」
俺がタオルを差し出すと、萩原はパッと花が咲いたような笑顔を浮かべ、受け取ったタオルで汗を拭いながら声を上げて笑った。
「ふふっ……そうだね! 私、運動系の種目で順位なんてついたの、人生で初めてかもしれない……。遠坂君と組めて、本当によかった……!」
「こちらこそ、ありがとう。いいレースだったな」
グラウンドの隅っこで、二人で顔を見合わせながら笑い合う。
華やかなトップ争いとは無縁かもしれないが、ただお互いの歩幅を合わせて掴み取った三位という順位は、今の俺たちにとって何よりも誇らしい勲章のように思えた。
§
体育祭もいよいよ大詰め、最後のプログラムを残すのみとなっていた。
種目は『学年別クラス対抗リレー』。クラスの足自慢たちが集結し、運動会の最後を飾る最も盛り上がる花形競技である。
得点で上位争いに食い込んでいる2年C組の応援席は、これまで以上の熱気に包まれていた。
そして、そのクラスの花形リレーにおいて、アンカーを務めるのは他でもない、藤嶺だった。
「いけーーっ! 差せ、もっと前を追え!」
「C組、頑張れーーっ!」
第1走者、第2走者と、C組の生徒たちは運動部の部員を中心に健闘を見せ、レースの途中まで我が2年C組は堂々の一位を独走していた。
トラックの周りを取り囲むクラスメイトたちのボルテージは最高潮に達し、「さすが俺たちのクラスだ!」「このままブッちぎりで優勝だぞ!」と、すでに勝利を確信したような歓声を上げ、ハイタッチを交わしていた。
しかし、勝負の神様は残酷だった。
バトンは順調に周回を重ね、いよいよアンカーである藤嶺へとバトンが渡されるその瞬間のこと。
「おい、早くしろよ!」
「わかってる!」
前の走者の男子生徒が必死の形相で走り寄り、藤嶺にバトンを差し出す。
だけど、そのタイミングが決定的に噛み合っていなかった。
藤嶺が焦るあまり、フライング気味に走り出そうとしたその足の動きと、バトンを押し出そうとした走者の手のタイミングが綺麗にズレてしまったのだ。
ポトリ。
観客たちのどよめきの中、赤と白の鮮やかなバトンが、無慈悲にもグラウンドの土の上へと弾け飛んだ。
「あっ……!」
走者だった男子生徒と藤嶺の動きが、スローモーションのようにピタリと止まる。
周囲を走っていた他クラスのアンカーたちが、その横を一斉に駆け抜けていく。
藤嶺は慌てて転がったバトンを拾い上げようと地面に手を伸ばしたが、その時にはすでに、他のすべてのクラスのアンカーがはるか前方を走り去った後だった。
結果は、最下位。
競技が終わり、走者たちがすごすごと引き揚げてきたC組のテントの空気は、凍りついたように重く冷え切っていた。
「おい! 何やってんだよ、あんな簡単なバトンパスもできないのかよ!」
テントに戻るなり、藤嶺は顔を真っ赤にさせ、先ほどバトンを渡し損ねた男子生徒の胸ぐらに掴みかからんばかりの勢いで怒鳴り声を上げた。彼のプライドははズタズタに引き裂かれ、負け犬の遠吠えのような醜態を晒している。
「なっ……なんだよそれ! 徹君こそ、自分のことしか見えてなくて、スタートのタイミングがめちゃくちゃ早かったじゃんか!」
バトンを落とした男子生徒も、理不尽な罵倒に我慢の限界を超えたのか、真っ向からやり返した。
「ふざけんな! 俺がアンカーで華麗にゴールするはずだったのに、お前のせいで全部台無しだろ!」
「こっちだって必死で走ってきたんだよ! いつも自分が一番って顔して、失敗したら全部他人のせいだ! 傲慢すぎるんだよ、お前は!」
クラスの真ん中で、かつての絶対的な中心人物と、その取り巻きだったはずの男子生徒が、見苦しい大声での言い争いを始めた。
周囲のクラスメイトたちは、冷めた目で見つめる者、気まずそうに顔を背ける者、そしてひそひそと陰口を叩く者に分かれ、誰一人として藤嶺の味方になって仲裁しようとはしなかった。
「……まあまあ、二人とも、言い争うのはやめようよ……」
学級委員長が困り果てた声で宥めようとしたが、一度火のついた不満の炎はもはや誰にも止められなかった。
文化祭の演劇での空回り、そして今回の体育祭での決定的な失態と仲間への責任転嫁。
これまでカーストの頂点としてクラスを支配していた藤嶺徹の権威は崩れ去り、彼の周りに群がっていたはずの人間たちからの信用が失墜していく。
その様子を、俺は少し離れた場所から、萩原と一緒に静かに眺めていた。
力や権威で他者を従わせ、都合の悪いことはすべて他人のせいにし続けてきた人間が、最後に行き着く場所はどこなのか。
秋の冷たい風が、崩壊していくクラスの空気を乗せて、グラウンドの彼方へと吹き抜けていっていた。




