第45話 青空の下の告白
十月末の冷涼な秋風が、碧陵学園の広大なグラウンドを吹き抜けていく。
雲一つない鮮やかな青空の下、色とりどりのクラス旗が風にはためき、グラウンド全体が熱気と歓声に包まれていた。
今日は『碧陵学園体育祭』の当日。
正門から続くアプローチには、美術部や各クラスが何日もかけて作り上げたゴテゴテと派手な装飾が施された入場門アーチがそびえ立ち、そこをくぐり抜ける生徒たちの顔には、一様に祭り特有の高揚感が浮かんでいた。
そうして、開会式の退屈な校長講話や、選手宣誓、準備運動といった何やかやの儀式を無事に終え、グラウンドはいよいよ本格的な競技プログラムへと突入した。
トラックの上で、プログラムが順調に消化されていく。
綱引きや障害物競走など、あちこちから黄色い歓声や悔しがる叫びが響き渡る。
クラスの仲間たちが赤や白のハチマキを締め、それぞれのテントの周辺で熱心に自クラスの選手たちにエールを送る姿は、青春のひとコマそのものだった。
そんな中、放送スピーカーから軽快なアナウンスが流れた。
「続いてのプログラムは、全学年合同による『借り物競争』です! 出場する選手は、ただいまより中央スタート地点へ集合してください!」
この華やかで、なおかつ何が起こるか分からないイベント性の高い種目には、なんと逢沢家の三女であり、先月の学園祭ミスコンで圧倒的なグランプリを獲得した玲那さんが出場することになっていた。
クラスの応援席の最前列で、俺は、隣にいる萩原と一緒に、その様子をじっと見守っていた。
萩原も「玲那さん、足も速いって噂ですけど、一位がとれるといいですね」と、自分のことのようにソワソワしながらペットボトルの水を握りしめている。
やがて、スタートラインの周辺に色とりどりのゼッケンをつけた出場者たちが集まってきた。その中に、ひときわ目を引く抜群のスタイルと整った顔立ちをした玲那さんの姿があった。
彼女が準備運動として軽くアキレス腱を伸ばすだけで、周辺の男子生徒たちから「うわ、やっぱり逢沢さんすげえ可愛いな……」「ミスコン1位のオーラ違いすぎるだろ」と、感嘆のざわめきが漏れる。
「玲那お姉ちゃん、がんばれーーっ!」
応援席の一角で、末っ子の凛ちゃんが両手をメガホン代わりにして、一生懸命な声援を送った。
俺もまた、応援席のフェンスに手をかけながら、彼女に向けて力強くガッツポーズを作って見せた。
怪我だけはしないで、普段通りに楽しんでくれればいいけどな……。
そう思いながら見つめていると、スタートライン付近に立っていた玲那さんが、観客席のほうにふと視線を走らせた。
そして、俺の作ったガッツポーズと、隣ではにかむ凛ちゃんの姿に気づいたのだろう。
彼女の美しい顔にふっと柔らかい笑みが浮かび、小さく手を振り返して応えてくれた。その可憐な仕草に、周囲の男子たちがさらにざわめく。
ピィーーーーッ!
鋭いスタートピストルの音がグラウンドの空気を切り裂いた。
「よーい、スタート!」の掛け声と同時に、出場者たちが一斉に勢いよく飛び出す。
運動神経抜群の玲那さんは、号砲への反応速度も群を抜いており、スタート直後の加速で一気に周囲を引き離し、見事なトップスピードでトラックの直線コースを駆け抜けていった。
そのまま彼女は、コースの折り返し地点付近に設置された、お題の書かれた折り畳まれた紙の山へとまっすぐ突進する。
トップでそこに到達した玲那さんは、迷うことなく一番上の紙をひょいと掴み取り、その内容をパッと一瞥した。
次の瞬間。
お題を確認した玲那さんの足がピタリと止まり、彼女はなぜか、こちらに向かって一直線に駆け出してきた。
「え……?」
俺が首をかしげる中、玲那さんは俺たちのいる応援席のフェンスの前まで来ると、息を少し弾ませながら、真っ直ぐに俺の瞳を見据えて手を伸ばした。
「空君! 一緒に来て!」
「え、俺……っ!?」
「そう! 私の借り物は、空君なの!」
戸惑う俺をよそに、玲那さんはどこか嬉しそうな力加減で俺の手首をキュッと掴んだ。
「ちょっと、待って、本当に俺でいいの……!?」
「いいの! だって、お題がそうなんだから!」
「どんなお題なんだよ……っ!」
「それは……まだ秘密っ!」
恥ずかしそうに頬を朱に染めながらも、玲那さんは俺の手を引っ張り、そのまま二人揃ってゴールテープへと向かって走り出したのだった。
どよめきと冷やかしの入り混じる観客の視線を一身に浴びながら、俺たちはトップのまま勢いよくゴールテープを切った。
「はい、お疲れ様です! 白組一位、逢沢玲那ペア、ゴールインでーす!」
手にストップウォッチと判定用のバインダーを持った、生徒会役員の女子生徒が笑顔で駆け寄ってきた。彼女は少しニヤニヤとした笑みを浮かべながら、一着の証である白い旗を玲那さんに手渡し、いたずらっぽく言った。
「それでは、恒例のルールに従って……一位でゴールした逢沢さんのお題を確認させてもらいますねー!」
判定員の女子生徒が、玲那さんから先ほど拾った折り畳まれた紙を受け取り、マイクに向かって朗々と読み上げる。
グラウンド全体の視線が集中した。
「ええっと、白組一着のお題は…………なんと、『いつも隣にいて欲しい人』でーーすっ!」
一瞬の静寂の後、爆発的な歓声と、冷やかすような口笛がグラウンドを揺らした。
「うわあああ!」「マジかよ!」「それって実質告白じゃねえかよ!!」
男子生徒たちの嫉妬混じりの叫び声や、女子生徒たちの「キャーッ!」という黄色い悲鳴が、秋晴れの空にどこまでも高く吸い込まれていく。
誰が考えたんだ、こんなふざけたお題を……っ!
心の中で盛大に頭を抱えながら、俺は顔の温度が急上昇していくのを感じた。
隣に立つ玲那さんは、一位の旗を持たされたまま、耳たぶまで真っ赤に染め上げ、照れくさそうな微笑みを向けながら、静かに俺のほうを見つめていた。
§
競技が午前の部の一段落を迎え、広いグラウンドの一角に設営された逢沢家のシートの上には、色とりどりの手作り弁当が広げられていた。
秋晴れの心地よい日差しの下、俺と四姉妹、そして近くにいた萩原も交えて、和気あいあいとしたお昼ご飯の時間が始まっていた。
けれど、その平和な空間の話題は、もっぱら午前中の『借り物競争』でのあの劇的なハプニングに集中していた。
「いやあ、すごかったですね。玲那ちゃんの借り物競争、あれ……完全に公開告白じゃないですか」
爽花さんが清楚モードでありながらも、からかうような、それでいてどこか面白がるような上品な微笑みを浮かべながら、お箸で卵焼きをつまんだ。
「ちょっと、爽花姉さんまでそんなこと言わないでよ……!」
玲那さんは顔を真っ赤に染め上げ、手元のウインナーを突つきながら、恥ずかしそうにぷいとそっぽを向いた。
「私は……ただ、お題に『いつも隣にいて欲しい人』って書いてあって、パッと思い浮かんだのが空君だっただけであって……その、深い意味とか、そういうのじゃなくてっ……!」
と、必死に弁解しようとする姿がかえって周囲の笑いを誘う。
「ふふっ、玲那お姉ちゃん、顔が真っ赤だよ? お鍋みたいにボッコンボッコンに沸騰してる」
末っ子の凛ちゃんが、大きなおにぎりを両手で頬張ったまま、容赦なく鋭いツッコミを入れた。
「二人とも、玲那をいじめるのはそれくらいにしておきなさい。……でもまあ、確かに周りから見たらどう言い訳しても告白にしか見えなかったけどね」
桐乃さんが温かい眼差しで玲那さんと俺を交互に見つめた。
お弁当箱の向こう側で、萩原が小さく「あの……お疲れ様でした、遠坂君……すごく、お似合いでしたよ……」と、ポツリと小声で呟いて顔を赤くしている。
照れくささを誤魔化すように、俺は深く息を吐き出し、温かいお弁当を口に運んだ。




