第32話 剥がれ落ちる全能感と、歪む狂気
Side:藤嶺徹
七月末。
じりじりと肌を焦がすような容赦ない太陽の光が激しく照りつけていた。ジリジリと空気を震わせる蝉の声がけたたましく響き渡る。
碧陵学園は、その地域においては言わずと知れたバスケットボールの強豪校の一つであり、今年の夏も厳しい予選を勝ち抜いて、ついに全国大会という大舞台へと駒を進めていた。
全国の強豪たちが集う大いなるアリーナ。
観客席を埋め尽くす大歓声、擦れるシューズの摩擦音、そして溢れんばかりの熱気が、コートの上で火花を散らす選手たちを包み込んでいる。
その中央で、碧陵学園のエースとして君臨する俺は、自分の実力に絶対的な自信をみなぎらせながらコートを駆け回っていた。
これまでは、自分の得点力さえあれば、どんな相手であってもねじ伏せることができると信じて疑わなかった。
空をネットの罠で嵌めて追放し、身の回りの人間を意のままに操り、すべてが自分の思い通りに回っているという全能感が、俺の背中を大きく押し上げていた。
けれど──。
「──っ! またか……!」
コートの空気を鋭く切り裂き、俺が相手ゴールへとドライブを仕掛けたその瞬間だった。
目の前に立ちはだかったのは、まるで壁のようにそびえ立つ相手チームのセンター。その身長はゆうに二メートル近くもあり、長い手足を蜘蛛の巣のように広げて、俺の進路を完全に塞いでいた。
これまで県大会や地方の予選では、そのスピードとテクニックで軽々と相手を抜き去ってきた。
だが、全国のトップレベルにおいて、その体格差と圧倒的な身体能力は大きな壁として立ちはだかっていた。
バァンッ!!
「ぐっ……!?」
俺が放った渾身のシュートは、その巨大な手のひらによって容赦なく真下に叩き落とされた。ボールが床を激しく叩く乾いた音が、アリーナの喧騒の中に冷たく吸い込まれていく。
これで何度目だろうか。一試合の中で、俺のシュートはすでに何度もその巨漢ブロックの餌食になっていた。
観客席からどよめきの声が漏れる。チームメイトたちが「こっちにパスを出せ!」とフリーで手を挙げているのが視界の端に入るが、焦燥と怒りの炎が燃え上がる俺はその声を無視した。
「ふざけるな……! 俺を止めるなよ……っ!」
プライドを傷つけられた俺は、叫びながら一人でドリブルをつき、複数人に囲まれながらも無理やりリングへと突撃する。
しかし、そんな強引なオフェンスは通用せず、あっさりとボールを奪い取られ、そのまま相手の速攻へと繋がれてしまう。
ピーーーッ!!
無情にも試合終了のブザーがアリーナの空気を切り裂いた。スコアボードには、碧陵学園の敗北を示す冷酷な数字がポツンと点灯していた。
全国大会、初戦敗退。
俺の夏は、あまりにも惨めな形で、呆気なく幕を閉じた。
§
試合終了後の静まり返ったロッカールーム。
外から聞こえてくる他チームの歓声とは対照的に、この部屋の空気は凍りつくように重く、澱んでいた。
ベンチの隅にドンと腰を下ろした俺は、荒い息を吐き出しながら、タオルで汗を乱暴に拭っていた。敗北の悔しさよりも、自分のプライドが傷つけられたことへの苛立ちが全身を駆け巡っている。
そこに、真っ赤に目を血走らせたキャプテンが、ものすごい勢いで歩み寄ってきた。
「おい、ふざけるなよ、徹……っ!」
キャプテンの低く、怒りに震える声がロッカールームに響き渡る。その剣幕に他の部員たちが息を呑む。
俺は面倒くさそうに顔を上げ、冷ややかな視線をキャプテンに向けた。
「んだよ、大きな声出して。負けたのはチーム全体の実力不足だろ。俺一人のせいにするなよ」
「ふざけるな! お前のその身勝手なプレースタイルが、チームのすべてをブチ壊したんだぞ!」
キャプテンは怒りのあまり拳をワナワナと震わせ、俺の目の前のロッカーをドンッと激しく叩いた。
「後半、完全にフリーの選手が何人もいただろ! なんでパスを出さなかった! 何度お前を呼んでも、お前は自分のことしか見えていなかった。勝手に突っ込んでボールを奪われて、チームの流れを完全に殺したのはお前だ!」
「は……? 何言ってんだよ」
俺は鼻でフッと冷笑を浮かべ、大げさに両手を広げてみせた。
「俺のせいだっていうんですか? 俺はチームのために点を取ろうと必死にやってたのに、それを邪魔したのはそっちだろ。周りの奴らが頼りないから、俺が一人で何とかしてやるしかなかったんじゃないですか!」
「なっ……! お前、自分が何言ってるかわかってるのか!?」
キャプテンの顔が怒りの限界を超えたように真っ赤に染まる。
「県大会のレベルなら、お前のその身勝手な個人技だけで何とかごまかせたかもしれない! だがな、ここは全国の舞台なんだよ! 全国の壁は、お前一人の独りよがりなプレーなんかで通用するほど甘くねぇんだよ!」
「うるせぇな……!」
俺はガタッと音を立てて立ち上がり、キャプテンの胸倉に掴みかからんばかりの勢いで詰め寄った。
「無能なお前らがパスを回せないから、俺が自分でやるしかなかったんだろ! 俺を責める暇があるなら、自分のふがいなさを恥ずかしがれよ!」
俺たちの言い争いがさらに激しさを増してきたその時、ロッカールームの扉が荒々しく開き、一人の男が足音高く入ってきた。
バスケ部の監督だった。その顔には、怒りを通り越して深い失望の色が浮かんでいる。
「そこまでだ」
監督の低い一言に、部屋中の空気がピタリと凍りつく。俺とキャプテンは、反射的にその場に立ちすくんだ。
監督は冷徹な眼差しで俺を見据え、ハッキリと言い放った。
「藤嶺。お前には確かに非凡な得点力と実力がある。それは認める。だが、チームプレーを完全に無視し、独りよがりなプレーに終始するその姿勢は、もはや選手として致命的だ」
「なっ、監督……! 俺が一番点を取っているのに、何でそんな……!」
「黙れ」
監督の鋭い声が、俺の言葉を遮った。
「これ以上、お前の自分勝手なプレイでチームを崩壊させるわけにはいかない。お前をしばらくレギュラーから外す。頭を冷やせ、藤嶺」
「は……? レギュラーから……外す、だと……?」
自分の耳を疑い、俺は目を見開いた。
この俺が? チームのエースであるこの俺を、補欠に落とすというのか?
周囲の部員たちが、冷ややかな目をこちらに向けているのが視界の隅でチラついた。それが、俺のプライドを底知れない屈辱感で焼き焦がしていく。
「ふざけるな……ふざけんなよ……っ!!」
怒りと屈辱のあまり俺は、目の前にあった大きな金属製のゴミ箱を、ありったけの力で思い切り蹴り飛ばした。
ガシャーーーンッ!!
すさまじい金属音と共に、ゴミ箱が中の空き缶やペットボトルをまき散らしながらロッカーの壁に激突してひしゃげた。部員たちが思わず悲鳴を上げて飛び退く。
俺は息を荒げながら、そのままバタンと扉を乱暴に開けてロッカールームから飛び出していった。
§
荒い足取りで通路を歩きながら、俺は拳を自分のズボンのポケットに強く突き立て、歯噛みした。
「くそっ……! くそっ、くそっ、くそっ……!!」
自分が否定された。自分の絶対的な才能が、チームの敗因だの独りよがりだのと、凡人どもに切り捨てられた。
許せなかった。受け入れられるはずがなかった。
「ふざけやがって……。俺は選ばれた人間なんだぞ……!」
誰もいない通路の壁を、俺は思い切り拳で殴りつけた。コンクリートの硬い感触が骨に響き、鈍い痛みが走るが、心のなかに広がる焦燥と飢餓感は一向に収まらなかった。
「まわりの奴らが無能すぎるんだ。俺の完璧な駒になれない、理解しない愚か者たちが多すぎるから、こんな結果になったんだ……。そうだ、そうだろ……!」
自分が間違っているなどとは、微塵も考えられなかった。
それでも自然と無力感と焦燥感が内側から滲んでくる。
空を嵌めて学園から追い出したときのあの爽快感、周囲を自分の手の平の上で踊らせているという優越感が、この敗北によって一気に音を立てて崩れ去りそうになっていた。
その恐怖を埋め合わせるように、俺の脳裏には黒い衝動が渦巻き始める。
イライラをどこかにぶつけなければ、自分という存在が保てない。
試合の敗北、監督からの冷遇、チームメイトからの軽蔑の視線。そのすべてのストレスと鬱屈を解消するためには、もっと手っ取り早く、他人の尊厳を踏みにじる快感が必要だった。
「……そうだ。また、あのマネージャーを呼び出すか」
ふと、頭に浮かんだのは、あの日からすっかり生気を失い、自分の言いなりになるだけの存在へと成り下がった水瀬葵の姿だった。
「あいつをまた部室に呼び出して、徹底的に苛めて、泣き叫ばせて、下品に喘がせて……その姿を見れば、このイライラも少しは収まるかもしれないな」
だが、俺は途中で思い直して、首を横に振った。
「いや……それだけじゃ、今のこの底知れない飢えは満たされない。物足りないんだよ、あんな女をいじめるだけじゃ、今のこのイライラは消えやしない……!」
もっと強烈な刺激が必要だった。
自分の全能感を無理やりでも取り戻すために、もっと危険で、もっと誰も逆らえないような、底の知れない悪事に手を染めなければならない。
「そうだ……。クスリを使ったパーティーでもやりたいな。裏の連中と繋がって、すべてを忘れるほどのヤバい快楽に溺れて、俺を否定した奴らを見下してやりたい……」
頭の中で、禁止された白い粉や、怪しげなカプセルが飛び交う密室の光景が膨らんでいく。
常軌を逸した欲望が胸の奥でドロドロと煮えくり返るのを覚えながら、俺は片方の口角を吊り上げた。
「ふっ……ひひ……、いいだろ。どうせこの世界は、俺の思い通りになるようにできてるんだよ」




