第29話 波打ち際に迫る影、ナイトの機転
青い空とどこまでも続く水平線が眩しい夏の海岸で、俺たちは心地よい潮風に包まれていた。
先程までの交代タイムを終え、今は俺が荷物係としてパラソルの下でレジャーシートに腰掛け、少し離れた波打ち際で戯れる四姉妹の姿をのんびりと眺めている。
「そーれっ!」
凛ちゃんの元気な掛け声とともに、黄色と白の鮮やかなビーチボールがポンと空高く打ち上げられた。
そのボールを追いかけるように、四姉妹の笑い声が波の音に混じって楽しげに響き渡る。
波打ち際の浅瀬で、彼女たちは砂まみれになるのも厭わず、代わる代わるビーチボールをアタックし合っていた。直射日光を浴びてキラキラと輝く海水が、彼女たちの動きに合わせて美しい飛沫を散らしている。
ひとたび海に入れば、みんなすっかり子供の頃に戻ったかのように無邪気な表情を浮かべていた。
知的で普段は少しお堅い雰囲気をまとっていた桐乃さんでさえ、今は濡れた黒髪をかき上げながら、玲那さんに向かってスマッシュを打ち込もうと必死に腕を伸ばしている。
爽花さんは、楚々とした柔らかい動きでボールを追いかけ、時折ミスしてか弱く悲鳴を上げるなどして、清楚な擬態を振り撒いている。
その横では凛ちゃんが、「爽花お姉ちゃん、しっかり!」と励まし、玲那さんがそんな二人を優しく見守りながらふんわりとボールをレシーブする。
美人姉妹四人の息の合った楽しそうなやり取りは、まるで一枚の絵画のように完璧で、周囲にいる他の海水浴客たちの視線さえも自然と引き寄せていた。
だが、その平穏で幸福な時間が、思わぬ不穏分子によって踏みにじられるのは、そう時間を要さなかった。
砂浜の向こうから、やけに足取りの乱暴な、日焼けした男たちが三人、にやけた笑みを浮かべながら近づいて来た。
見れば、派手なブランドものの水着に、耳にはピアス、腕にはこれでもかとばかりに安っぽいタトゥーシールを貼り付けた、いかにも柄の悪い大学生風の男たちだった。
……やれやれ、やっぱりこういう輩は、どこにでも湧いて出るもんだな。
パラソルの下でくつろぎながらその様子を目撃した瞬間、俺の眉間には自然と険しいシワが寄った。
男たちの視線は、明らかに波打ち際ではしゃいでいる四姉妹に向けられている。
そんな男たちは、下卑た笑い声を上げながら、楽しげに遊んでいた四姉妹の輪へと何の躊躇もなく土足で踏み込んでいく。
「おっ、お姉さんたち、めっちゃ楽しそうじゃん! 俺たちもそのビーチボールの仲間に入れてよー」
「その後は、俺たちと一緒にあっちの海の家で冷たいカクテルでも飲もうぜ!」
突然の闖入者に、四姉妹の動きがピタリと止まった。
楽しげだった空気が一瞬にして凍りつき、桐乃さんがスッと鋭い眼光を男たちに向ける。
「嫌ですよ。誰があなたたちみたいなチンピラと一緒に行くものですか。失礼ですけど、視界に入らないでくれませんか?」
爽花さんが冷ややかな、虫けらでも見るような目を向けながら、一歩も引かずにピシャリと言い放つ。
しかし、柄の悪い男たちはそれに怯むどころか、かえって面白がったようにニタニタと顔を歪める。
「おっ、なんだよそのツンケンした態度は。そんなこと言わずにさ、ちょっとくらい付き合ってくれてもいいだろ?」
男の一人が、拒絶の意思を明確に示している玲那さんの細い手首を、強引にグイッと掴み取った。
「きゃっ……!?」
玲那さんが思わず小さく悲鳴を上げる。
「離しなさい!」
「玲那お姉ちゃんに何する気よ、このクズどもが!」
爽花さんと凛ちゃんが怒りの声を上げ、桐乃さんも一歩踏み出そうとした、その瞬間──。
「大スクープです!」
砂浜の熱を蹴散らすように、俺の大きな声が響き渡った。
パラソルの下でスタンバイしていた俺は、男たちが玲那さんに触れた瞬間を機に、一瞬たりとも迷うことなくレジャーシートから飛び出していたのだ。
全速力で走り寄り、彼女たちの前へと滑り込むようにして男たちに立ち塞がる。
そして、ポケットから取り出した自分のスマホを、男たちの顔の前にシュッと突き出した。
「今全国生配信中です! 今日の不審者撃退のハイライトになりますね、ありがとうございます!」
俺はあらかじめ録画モードにして画面を光らせたスマホを向けながら、あたかも大勢の視聴者に向かって話しかけるような調子で、自信満々の実況風ハッタリをぶちかました。
「おい、なんだこいつ……!?」
「げっ、カメラ回してやがるぞ……っ!」
突然の『生配信』という言葉と、向けられた黒いレンズの威圧感に、調子に乗っていた男たちの顔色がみるみるうちに青ざめていく。
SNSでの炎上、あるいは警察沙汰になることを恐れる現代のチンピラにとって、身元を特定されるような動画をネットに晒されることほど恐ろしいものはない。
「いや、ちょっと待て、お前、消せよそれ……!」
「ふざけんじゃねえ、勝手に撮るな!」
男たちは顔を背けながら、自分たちの顔がカメラに映らないように必死で腕で隠し始めた。
「おっと、コメント欄が『この不審者たち、顔ヤバすぎワロタ』で大盛り上がりですよ。今すぐ警察に通報して、この映像のIPアドレスと位置情報を警察とネットの特定班に送りますけど、このままここで職務質問受けますか? それとも今すぐその手を離して、二度とその汚い顔を二度と私たちの視界に入れないように立ち去りますか?」
俺がさらに冷ややかなトーンでまくし立てると、男たちは完全に気圧された。
「クソっ……! 覚えてろよ、この野郎!」
「チッ、ツイてねえな、行くぞ……!」
男たちは顔を真っ赤に染め上げ、恥をかかされた怒りと恐怖が入り混じった表情で捨て台詞を吐き捨てると、二度とこちらを振り返ることもなく、慌てふためきながらドタバタと走り去っていった。
あっという間に海の向こうへと消えていく不審者たちの背中を見送りながら、俺はふうっと小さく息を吐き出し、スマホの画面をそっとオフにした。
「……はぁ……ありがとう、助かったわ、空君」
胸を撫で下ろしながら、桐乃さんが安堵の表情を浮かべてこちらに歩み寄ってきた。
「ふう、びっくりしたぁ……。玲那お姉ちゃん、怪我はない?」
凛ちゃんが心配そうに玲那さんの腕をスリスリとさすってあげる。
玲那さんは少しだけ青ざめていた頬に血の気を取り戻すと、そっと俺の袖を小さく引っ張りながら、ふわりと涙ぐむような微笑みを向けた。
「うん、凛ちゃん、大丈夫。……本当に、ありがとう、空君。またこうして……一番危ないときに、私を助けてくれたね」
玲那さんのその言葉に続いて、爽花さんが上品にフッと鼻を鳴らした。
「お見事でしたね、空君。まさかその場しのぎのハッタリでチンピラたちを追い払うなんて。ネットの力を借りるスマートな脅し方なんて、名演技でしたよ。素晴らしい機転です、感心しました」
「うんうん! 本当にかっこよかったよ、空お兄ちゃん! まさに、私たちを守る頼もしいナイトそのものだったね!」
凛ちゃんが両手をパチパチと叩きながら、まるで自分のことのように嬉しそうに飛び跳ねる。
先ほどの緊迫した空気が嘘のように溶けていき、四姉妹の温かな笑顔と感謝の言葉が、私の全身を優しく包み込んでいく。
「みんなが無事でよかったよ。大したことじゃないさ、当然のことをしたまでだから」
俺が少し気恥ずかしそうに頭を掻きながら答えると、桐さんが小さく笑いながら、優しく俺の肩をポンと叩いた。
「また空君に助けられちゃったわね、本当に、あなたという存在は、私たちの日常にとってなくてはならないものになっているわ」
その桐乃さんの言葉に、玲那さんも爽花さんも、そして凛ちゃんも、全員が深くうなずいた。
青い海の広がる浜辺で、俺たちは再び家族としての絆を強く確かめ合う。
どれほどの悪意や不穏な影が近づこうとも、この温かな絆さえあれば、どんな困難だって乗り越えていける──そう確信しながら。




