第22話 正義の英雄の仮面
Side:藤嶺徹
放課後、俺は校舎の廊下を気だるげな足取りで歩いていた。
バスケ部のエースとして、全校生徒からチヤホヤされ、欲しいものは何でも手に入る──そんな王様のような俺はの日常は、ここ最近になって妙なざわつきに満ちていた。
きっかけは、ネットの海に突如としてばらまかれた『あるスクープ』だった。
俺や赤羽、そして数人の仲間たちが秘密裏に使っていたSNSのチャットルーム。そこで交わされていたはずの生々しいメッセージの数々が、何者かによってリークされ、いまや世間のレイプ未遂事件を巡る一大トピックとしてネット上で大々的に晒し上げられていたのだ。
「……くそっ、誰だ一体……」
俺はポケットの中でスマホを強く握りしめ、歯噛みした。
あのチャットの中には、空という鼻持ちならない男をいかにしてハメるか、どうやって学校から社会的に抹殺するかという、俺たちの計画の核心がそのまま文字として記録されていた。
それが見事に公表されてしまったものだから、一時は、現場に駆けつけて少女を救った正義の英雄として学校内外で持ち上げられていた俺の立場は、激しい揺らぎを見せ始めていた。
ネットの掲示板やSNSのトレンド欄を覗けば、俺の名前やアカウントの痕跡が晒され、大勢の無責任なネットユーザーたちが群がっていた。
もちろん、ネットの反応は一色ではない。
「いや待て、最近の生成AIや画像加工技術なら、こんなチャット画面の捏造なんていくらでもできる。むしろ被害者の赤羽さんを中傷するためのアンチの陰謀だろ」といった、擁護と懐疑、そして罵詈雑言が入り混じったカオスな議論が渦巻いていた。
そうだ。世間の大半は、まだ半信半疑だ。
データなんていくらでも偽造できると言い張る連中も大勢いる。俺を信じたい人間だって、まだたくさんいるはずだ。
そう自分に言い聞かせ、俺は生徒指導室の重いドアを潜った。
教師に連れられて中に入ると、そこにはすでに不気味なほど静まり返った空間が広がっていた。
窓の外の夕日が、埃の舞う部屋をどこか血のように赤く染め上げている。
待っていたのは、スーツ姿の男だった。鋭い眼光をたたえ、一切の愛想笑いを浮かべないその男は、自分を捜査一課の篠塚と名乗った。
「藤嶺君だな。座りなさい」
篠塚の低い声に促され、俺はわざと大袈裟に肩をすくめ、ふてぶてしい態度を崩さないようにしながらパイプ椅子に腰を下ろした。
「で、わざわざこんなところに呼び出して、何の用ですか? 俺、これから部活の練習もあるんで、手短に頼みますよ」
俺の挑発的な態度を無視するように、篠塚は手元のファイルから一枚の紙を取り出し、机の上にスッと滑らせた。
そこに印刷されていたのは、まさにネットで騒ぎになっている、あのSNSのチャット画面のスクリーンショットだった。俺のアカウント名と、見覚えのあるアイコン、そして「空の奴をそろそろ完全に追い込むぞ」「あいつがビビッてる顔を見るのが最高にウケる」といった、生々しいテキストの数々が克明に記録されていた。
篠塚は冷徹な眼差しで私を射抜いた。
「これは、君が打ったメッセージなのか?」
その瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
だが、ここで動揺を見せたら終わりだ。
俺は瞬時に頭を回転させ、鼻でフッと笑い声を漏らしてみせた。
「は? いいえ、違いますよ」
俺はあえて呆れたような顔を作り、篠塚の顔を真正面から見据えた。
「今の世の中、いくらでも他人のアカウントを模して、適当なチャット画面を捏造するバカがいるじゃないですか。ネットに転がってるデマをそのまま俺に突きつけて、それが証拠だなんて本気で言ってるんですか? そんなの、悪質なアンチの嫌がらせに決まってますよ」
俺の堂々とした否定を聞いても、篠塚は眉一つ動かさなかった。
彼はただ静かにペンを回し、俺の顔をじっと観察している。その沈黙が、逆に俺の微かな焦りを煽った。
こいつ……俺の動揺を探っているのか……?
俺は居心地の悪さを誤魔化すように、わざと足を組み替え、いら立ちを露わにするように質問をぶつけた。
「だいたいさ、俺を疑う前に、他の奴ら──赤羽とか、俺のバスケ仲間連中にだって話を聞いてるんでしょ? あいつらはなんて答えたんですか? 俺と同じように、そんなのデマだって言ったはずですよね?」
俺のその探りを入れるような問いかけに対し、篠塚はピシャリと言い放った。
「それは教えられないな」
「っ……!」
俺は思わず言葉を詰まらせた。
共犯者である架純や他の連中が、警察の尋問に対して何を語ったのか、俺を裏切っていないか、あるいは余計なことを喋っていないか。それをどうしても確認したかったのだが、篠塚の鉄壁のガードの前に完全に阻まれてしまった。
「ちっ……めんどくせぇな」
俺はわざと聞こえよがしに舌打ちを漏らし、不機嫌そうに肩を大きく揺すった。
警察は俺たちの足並みが乱れているかどうかを試しているのだ。ここで不安を見せたら負けだ。
俺は強がりを混ぜるように、自分から話を切り出した。
「まあ、いいですけどね。そんなデマの詮索なんて時間の無駄なんで。当時の状況なら、ちゃんと最初から話してあげますよ。俺は隠すことなんて何一つないんですから」
篠塚は無言で頷き、メモ帳を広げた。
俺はいつもの、完璧に作り上げた正義の英雄としてのシナリオを、滑らかに語り始めた。
「あの日はですね、ちょうど放課後の午後五時頃だったと思います。校舎の廊下を歩いていたとき、ふと視聴覚室のほうから、女の人の悲鳴のような声が聞こえたんです。『やめてっ、離して!』っていう……。さすがに気になって、慌てて視聴覚室のドアを開けて駆けつけてみたんですよ」
俺はそこまで話すと、当時の臨場感を演出するかのように、少し声を潜めて続けた。
「そしたら……驚いたことに、空が赤羽さんに無理やり覆い被さっていて、まさにレイプしようとしていたんです。赤羽さんは泣きながら必死に抵抗していて……。あまりの光景に俺は血が逆上して、『何やってんだよ!』って大声で叫んだんです。そしたら空は、俺の顔を見るなり真っ青になって、慌ててその場から逃げ出して行った……。あれは、俺が自分の目でしっかりと見た、まぎれもない事実ですよ」
すらすらと嘘のストーリーを紡ぎ出す自分の口ぶりに、俺は心の中で小さく舌を巻いた。
これだけ堂々と、具体的かつ一貫性のある証言をすれば、いくら疑り深い警察官だって、これ以上追及するのは難しいはずだ。
篠塚は俺の話を一言一句聞き逃すまいと、黙々とメモを取り続けていた。
そして、すべてを語り終えた俺に向かって、彼は静かに言った。
「……なるほど、状況は分かった」
それ以上、その場で「今の証言はほかの目撃者と食い違っているぞ」「嘘をつくな」といった厳しい追及や怒号が飛んでくることはなかった。
篠塚は淡々とペンを置き、任意の聴取はこれで終了だと告げた。
生徒指導室の重いドアが開き、俺は外へと放り出された。
室外の空気を吸い込んだ瞬間、俺は思わず小さく息を吐き出し、胸をなで下ろした。
ふふっ……なんだ、結局そんなもんだろ。
歩きながら、俺は口の端をニヤリと歪ませた。
ネットでは俺を疑う声もあがっているし、あんな怪しげなチャットのスクショなんてものを出された時はどうなることかと思った。
だが、警察だって決定的な物証を掴めているわけじゃない。俺を逮捕できるほどの証拠など持っていないからこそ、あんな風に淡々と事情を聞くことしかできなかったのだ。
それに、架純をはじめとした他の連中だって、警察に対して俺と同じ「空が犯人だ」というシナリオを貫いているに違いなく、そうであれば俺たちの証言の盾は絶対に破られない。
「俺がうまく立ち回れば、このまま余裕で逃げ切れる……!」
俺は全能感の麻薬に浸りながら、再び誇らしげな笑みを浮かべ、夕闇に染まる校舎を後にした。




