5話
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「よし、それじゃあ今日は、震災による建物倒壊を想定した救助訓練を行う!」
隊長の野太い号令が響き、隊員たちが機材を抱えて訓練場へと集まる。
すかさず、先輩隊員の一人が新人の背中をパチンと叩いた。
「新人! 今日は気合い入れていけよ!」
「はい! 死ぬ気でついていきます!」
「お前、昨日もそう言って開始五分でバテてただろ!」
ドッと周囲から笑いが起こる。
「ち、違いますよ! 昨日はちょっと配分を間違えただけで——!」
今日も消防署は平和だった。
誰かが笑い、誰かが冗談を言う。
命がけの現場に赴くからこそ、ここにいる時の何気ない日常が愛おしい。俺はこの時間が、たまらなく好きだった。
「タクマ先輩!」
新人がオレンジ色のヘルメットを小脇に抱えながら、目を輝かせて駆け寄ってくる。
「今日は絶対に負けませんからね!」
「おいおい、何を競うんだよ。訓練は競争じゃないぞ」
後輩の無邪気な対抗心に、思わず笑みがこぼれた。
——その、瞬間だった。
カタッ……カタカタッ……
近くのスチールラックに置かれていた工具箱が、小さく不自然な音を立てて揺れた。
「……?」
ゴゴゴ……
足の裏から、地球の底が震えるような不気味な地鳴りが伝わってくる!
「地震……か……?」
誰かがぽつりと呟いた。
最初は誰も慌てていなかった。
地震大国である日本において、微振動は珍しいことではない。
だが——それは一瞬で、牙を剥いた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!
突如、世界そのものがひっくり返るような激しい縦揺れが、消防署全体を突き上げた。
「伏せろっ!!! 床にへばりつけ!!」
隊長の鼓膜を破らんばかりの怒号が飛ぶ。
全員が咄嗟に資機材を放り出し、身を低くした。
直後!横揺れが狂ったように暴れ出す。
金属製の大型ロッカーが凄まじい音を立てて倒れ、窓ガラスが粉々に砕け散る。
さらに天井の照明が激しく振れて引きちぎれ、真っ白な埃が視界を覆う。
「うわあああああっ!」
新人が近くのデスクの脚に必死にしがみついている。
揺れは一向に収まらない。立っていることどころか、四つん這いになって耐えるのが精一杯だ。
「嘘だろ、こんな揺れ……っ!」
ドォォォン!!
遠くで、何かが致命的に崩壊する巨大な質量音が響き渡った。
その瞬間だった。
ザーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……!!!
脳髄の真ん中を電気ノコギリで切り裂かれるような、凶悪なノイズが走った。
「ッ……あああぁっ!」
反射的に能力を「OFF」にしようとする。
しかし、脳のスイッチが完全に焼き切れていた。
制御が効かない。能力が、俺の意志を無視して強制的に発動していく。
遮断されていた世界が一気に融解し、視界いっぱいに無数の「音」が津波となって押し寄せてきた。
地割れの赤い亀裂。
ザーーーー
何十人もの悲鳴のうねり。
ザーーーー
ガラスが粉砕される青い衝撃波。
ザーーーー
泣き叫ぶ子供たちの黄色い波紋。
ザーーーー
瓦礫の下からの、助けを求める無数の叫び。
ザーーーー
街中で一斉に鳴り響くカーアラームとサイレン。
ザーーーー
何万、何億という「命の危機」の音が、色彩豊かな暴力となって網膜を、そして脳を殴りつけてくる。
ザーーーーザーーーーザーーーーザーーーー
「ぐっ……、う、あ……!」
頭がふたつに割れそうだった。過呼吸になりそうな呼吸を必死に繋ぎ止める。
「タクマ! タクマ、しっかりしろ!」
いつの間にか揺れが収まっていた。隊長が俺の両肩を激しく揺さぶっている。
「大丈夫か! 立てるか!」
「……っ、は、はい……!」
声をなんもか絞り出す。
本当は全然大丈夫じゃない。視界は未だに、街中から押し寄せる光のノイズで埋め尽くされていた。
こんな異常な数の音、一度に処理できるわけがない。
ザーーーーーーーーーーーーーーー……
頭痛を伴う砂嵐も、依然として止まない。
「隊長!!」
通信員が、顔を真っ白にして指令室から訓練場へと駆け込んできた。
「市内全域、同時多発的に建物が倒壊! 火災の通報も一斉に入っています!」
「規模は! 震源はどこだ!」
「震源は市内直下……! 推定震度、7ですっ!!」
一瞬にして、消防署の空気が凍りついた。
日本の観測史上、最大級の天災。隊長はすぐに険しい目をして全員を見渡した。
「全員、聞いたな!」
一拍置いて、隊長は言った。
「これは訓練じゃない。本当の戦いだ」
その一言で、隊員たちの目の色が変わった。恐怖を圧し殺し、プロの顔が並ぶ。
「特別救助隊、直ちに出動準備! 一秒でも早く街に出るぞ!」
「了解っ!!!」
地響きのような返声とともに、隊員たちが一斉に動き出した。
防火衣、空気呼吸器。
エンジンカッターに油圧スプレッダー。
誰一人として無駄な動きはなく各々が己の任務を果たすべく、真っ赤な車両へと殺到する。
俺も歯を食いしばり、ヘルメットを深く被り直した。
だが、その奥ではまだ、あの不快な音が鳴り続けている。
ザーーーーーーーーーーー……
暴風雨のような砂嵐の音。
それに混じって。ほんの一瞬、あまりにも明確に。
『………も……し……て…………』
誰かが、俺を呼んだ気がした。
「……!」
心臓が跳ね上がり、勢いよく振り返る。しかし、そこには装備を整える仲間しかいない。
気のせいだ!幻聴に違いない!!そう……思いたかった、思うしかなかった。
……今の声、どこかで聞いた事がある。
どこか懐かしい声……。俺は一体………………。
「タクマ! 何してる、乗れ!」
助手席の隊長の声で、ハッと我に返る。
……今は緊急自体、そんな事を考えてる場合じゃない。
「了解!」
救助工作車が、悲鳴のようなサイレンを鳴り響かせて発進する。
俺たちは、わずか数十秒で生き地獄へと姿を変えた街に向かって、走り出した。




