4話
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宿を後にした俺は、愛車を山道から市街地へと走らせていた。
せっかくここまで足を伸ばしたのだ、帰路につく前にどうしても寄っておきたい場所が一つだけあったんだ。
しばらく緩やかな坂道を下ると、緑に囲まれた小さな霊園が見えてくる。
昔から、迷いが生じるたびに何度も訪れている場所。
俺は道沿いの花屋で買った白い花束を抱え、静かにその墓前へと歩み寄った。
「……久しぶり」
墓石にそっと手を合わせる。
山から吹き下ろす風が木々を揺らし、さらさらと葉擦れの音だけが優しく響く。
「消防士になって、もう五年か。色々あったよ。……でもさ」
墓石に刻まれた文字を見つめる。
「俺、ちゃんとやれてるかな。胸を張っていいのかな」
当然、返事が返ってくることはない。
「また来るよ」
深く一礼し、俺は霊園を後にした。
駐車場に向かって砂利道を歩いていると、不意に背後から声を掛けられた。
「……タクマ?」
酷く聞き覚えのある、懐かしい声だった。
驚いて振り返る。
「……ユイ?」
そこに立っていたのは、高校を卒業して以来すっかり音信不通になっていた幼馴染の姿だった。
「やっぱりタクマだ! 久しぶり!」
「ああ、本当に久しぶりだな。何年ぶりだ?」
互いに顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれる。
「風の噂で、消防士になったって聞いたよ。レスキュー隊なんだって?」
「うん、まあな。何とかしがみついてるよ」
「テレビのニュースで、こっちの消防署の救助特集やってるの見たことあるもん。相変わらず頑張り屋だね」
「そんなことないよ。周りが優秀なだけさ」
他愛もない会話が続いく。
くだらない昔話。通っていた学校のこと。厳しかった先生のこと。
そんな他愛のない、しかし楽しかった日々を話しているとふと、ユイがひどく慈しむような優しい眼差しで言った。
「でも……あの子も、きっと天国で喜んでるよ」
「え?」
俺は一瞬、言葉に詰まった。
「あ……ああ。兄貴のことか? そうだな、兄貴もきっと喜んでくれてると思う」
そう答えた瞬間、ユイの表情が凍りついた。
「……え?」
「……え?」
数秒の奇妙な沈黙が、二人の間に流れた。
風の音さえ遠のくような違和感。
ユイはひどく困惑したように、痛々しいほどぎこちない笑みを浮かべた。
「う、ううん……。そうだね、お兄さんもきっと喜んでると思うよ」
(……なんだ、今の間は?)
小さな、けれど冷たい違和感が胸の奥に澱に残る。
そんな俺の様子を察したのか、話題を変えるようにユイが少し声を張って笑った。
「そういえば、まだピアノは好き?」
「……いや。今はもう、弾けないからさ」
「…………え?あ、あっ〜もしかして笑わせようとしてる?……ごめんね?気を遣わせて」
「……え?」
「もう、あの綺麗な音が聞けないのは残念だけどさ?私達も前を向かないとね?」
まただ。会話が、微妙に噛み合っていない気がする……。
ユイは何かを堪えるような複雑な目で俺を見つめ、意を決したように唇を震わせた。
「……ねえ、タクマ。ちゃんと、謝れた?」
「謝る? 誰に?」
「……え?」
「何を、だよ? 何のこと言ってるんだ?」
俺が素直に問い返すと、ユイは信じられないものを見るかのように大きく目を見開いた。
絶句したまま、言葉を失っている。
その、瞬間だった。
ザーーーーーーーー……!
鼓膜の裏側で、激しい砂嵐が吹き荒れた。
あまりの衝撃に思わず顔を歪め、深く眉をひそめる。
「タクマ!? どうしたの?」
「……っ、いや、悪い。最近ちょっと耳鳴りが酷くてさ」
誤魔化すように無理やり笑顔を作る。ユイはそれ以上追及することなく、ひどく悲しそうな、今にも泣き出しそうな歪んだ微笑みを浮かべた。
「……そう。本当に、何も思い出してないんだね」
「え? 思い出すって、何を——」
「ううん、何でもない。……私、もう行かなきゃ」
それ以上、ユイは何も語ろうとはしなかった。
別れ際、彼女はぽつりと呟いた。
「またね、タクマ」
「ああ。またな」
車に乗り込み、エンジンをかける。
バックミラーを覗くと、ユイはまだ駐車場に佇み、こちらをじっと見送っていた。
夕暮れの光の中で、彼女の表情はどこまでも寂しげに曇っていたのだった。
そんな短い有給消化を終え消防署へ戻ると、いつものように騒がしく温かい空気が俺を迎えてくれた。
「おっ、タクマ! 温泉でリフレッシュできたか!」
「山奥の温泉なんて羨ましすぎるっす!」
「おい、まさか手ぶらで帰ってきたわけじゃないだろうな?」
いつもの仲間たち。
いつもの笑い声。いつもの、大好きな日常。
俺も一気に現実へと引き戻され、笑って応じる。
「安心しろ、ちゃんと名物の温泉饅頭買ってきたぞ」
署内にわっと歓声が上がる。
その賑やかな輪の真ん中に身を置きながらも、俺の頭の片隅には、さっきのユイとの会話がトゲのように突き刺さったまま抜けなかった。
(思い出してない、ってどういう意味だ……?)
(謝るって……一体、誰に、何を?)
ザーーーーーーーー【ーノーーーシ】ザーーーーーーーー
また、あの音が鳴る。
最近、本当に、狂ったようにこのノイズが増えてきている。
ただの疲労による耳鳴り。そう思いたかった。
だが、脳髄を焦がすようなあの砂嵐の音は、
まるで——
俺が自ら厳重に鍵をかけた「何か」を、内側から激しく叩き壊そうとしている、……そんな気がしてならなかった。




