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神の娘はどうやら捨てられたらしい  作者: 夜詠灯
アウトランド地下通路

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5/8

第5話アウトランド地下通路5

しばらくして。


「……もう、大丈夫です」


 少しだけぎこちない声が、通路の奥から届く。


 ユウは壁にもたれていた背を起こし、振り返る。


 そこに立っていたのは、さっきまでとは別人のようなリシェルだった。


 白い衣は、もうない。


 代わりに身に纏っているのは、使い古されたスカベンジャーの装束。


 粗い布地。

 擦り切れた袖。

 ところどころ補修された跡。


 サイズは合っていない。


 袖はわずかに長く、裾も少し余っている。


 それでも。


 不思議と、その姿は上品に見える。


 むしろ。


 あまりにも綺麗な顔立ちがと立ち姿が逆にその粗末さを際立たせている。


「……」


 リシェルは視線を逸らす。


 落ち着かない。


 着慣れないどころの話ではない。


(……申し訳ありません)


 心の中で、小さく呟く。


 誰に向けたものか、自分でも分かっている。


(どうか、お許しください……)


 着替える前。


 ちゃんと祈った。


 何度も。


 それでも。


 まだ、どこか落ち着かない。


 ユウは特に何も言わない。


 一瞥して、それで終わり。


「動けそうか」


 それだけ。


 リシェルは小さく頷く。


「……はい」


 その声には、わずかな緊張と覚悟が混ざっていた。


 ユウは通路の先を見る。


 暗闇。


 その奥に何があるかは分からない。


 だが——


 少しだけ、視線を戻す。


 水場。


 白骨。


 そして、この空間。


「……ここでしばらく時間をつぶそう」


 ぽつりと、そう言った。


 リシェルが顔を上げる。


「え……?」


「今日はここで野営だ」


 あまりにもあっさりとした決定。


「ここで……ですか?」


 視線が、白骨へと向く。


 わずかに表情が曇る。


「理由は二つ」


 ユウは指を二本立てる。


「一つ、ここまで汚染獣は来てない」


 骨を軽く顎で示す。


「もし来てたら、あれは残ってない」


 事実だけを並べる。


 リシェルは小さく息を呑む。


「もう一つ」


「夜はあいつらの動きが活発になる」


 通路の奥を見たまま、続ける。


「無理に進むより、やり過ごしたほうが方がマシだ」


 静かな判断。


 リシェルは少し考える。


 確かに。


 ここは、比較的安全に見える。


 だが。


「……どうして」


 ふと、疑問が浮かぶ。


「夜だって、分かるんですか?」


 もっともな問い。


 地下に、時間の感覚はない。


 光もない。


 外の様子も分からない。


 ユウは一瞬だけ黙る。


 そして。


「勘だな」


 あっさりと答えた。


「……勘?」


 リシェルが眉を寄せる。


 納得できない、という顔。


 ユウは肩をすくめる。


「なんとなく分かる」


 それ以上の説明はない。


 曖昧で、不確かで。


 でも。


 この人は、それで生きてきたのだと分かる。


 リシェルは言葉を飲み込む。


 完全には理解できない。


 だが、否定もできない。


「……分かりました」


 小さく頷く。


 その声は、最初よりも少しだけ素直だった。


 静かな地下。


 水音が、一定のリズムで響く。


 その中で。


 二人は、同じ場所に留まることを選んだ。





 水音だけが、静かに続いている。


 エーテル灯は落とされ、光は最小限。


 リシェルは横になっている。


 だが——


 眠れていない。


 目を閉じても、意識が沈まない。


 さっきの光景。


 音。


 感触。


 全部が、まだ残っている。


「……」


 そっと、目を開ける。


 少し離れた場所。


 ユウが壁にもたれて座っている。


 目は閉じていない。


 見張りのために起きている。


「……まだ起きてるのか」


 小さな声。


 リシェルの方を見ないまま、そう言う。


「……はい」


 少し間を置いて、答える。


「少しでも寝ておけ」


 短い。


「……無理です」


 少しだけ言い淀んでから、続ける。


「地面が……硬くて」


 自分でも言っていて情けないのか、声が小さくなる。


「こういう場所で寝るの、初めてなんです」


 視線を逸らす。


「いつもは……ちゃんとした寝台で……」


 そこまで言って、口を閉じる。


 少しだけ間。


「……落ち着かなくて」


 言い訳のように、付け足した。


 水音だけが続く。


「……見張り、交代しますか」


 リシェルが言う。


「まだいい」


「でも——」


「時間を決めただろ、それまでは俺が見張りをする」


 それで終わり。


 リシェルはそれ以上言えない。


 また、沈黙。


 しばらくして。


 ユウが、ぽつりと口を開く。


「お前……教会の人間だろ」


 唐突な問い。


 リシェルの体が、わずかに強張る。


「……そう見えますか」


 少しだけ、はぐらかすように返す。


「見える」


 即答。


 余計な説明はない。


「なんで、こんなとこにいる」


 続く問い。


 短く。


 逃げ場のない聞き方。


 リシェルはすぐには答えない。


 視線を天井へ向ける。


 暗い。


 何も見えない。


 少しだけ、考える。


 言うべきか。


 隠すべきか。


「……」


 やがて。


「……逃げてきたんです」


 小さく、呟く。


 ユウは何も言わない。


 続けるかどうか、待っている。


「……あそこから」


 少しだけ、言葉を選ぶ。


「……自分を害する人たちから」


 それだけ。


 説明はしない。


 名前も、理由も、言わない。


 沈黙。


 水音だけが、静かに流れる。


 ユウは一瞬だけ視線を向ける。


 それから。


「……そうか」


 それだけ言った。


 深くも、浅くもない返答。


 それ以上は聞かない。


 踏み込まない。


 リシェルも、何も言わない。


 ただ。


 ほんの少しだけ。


 肩の力が抜けた。


 「……やっぱり交代してください。私は眠れそうにないのでせめてあなただけでも休んでください」


 小さく声をかける。


 ユウが、ゆっくりと目を開ける。


「わかった」


 短い返事。


 ユウは無駄なく立ち上がり、壁際から離れる。


 リシェルはその場所に座る。


 エーテル灯の淡い光が、二人の間に揺れる。


「……あの」


 ユウが横になる前に、声をかける。


「あなたはここから出た後、どうするんですか」


 ユウは少しだけ間を置いてから答える。


「戻る」


「……どこに?」


「仲間のところに」


 それだけ。


 リシェルの表情が、わずかに揺れる。


「……仲間が、いるんですか」


「いる」


 短い返事。


 リシェルは少しだけ目を伏せる。


「……そうですか」


 そして、ほんの少しだけ。


「……うらやましいですね」


 小さく、含みを持たせて呟く。


 ユウはそれには触れない。


 代わりに。


「お前は」


 視線も向けずに、問い返す。


「ここから出た後、どうする」


 リシェルは答えない。


 すぐには。


 しばらくして。


「……分かりません」


 それだけ。


 迷いも、諦めも混ざった声。


 沈黙。


 水音だけが、静かに続く。


 リシェルは、少しだけ手を握る。


「……」


 そして。


 ゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「逃げた先で何とかなるとは思ってました。中でもアウトランドのことは教えてもらていましたし、多少は知っているつもりでした」


 小さな声。


「でも……」


 少しだけ、息が揺れる。


「あなたがいなければ、絶対に何度も死んでいました」


 視線を落とす。


「……情けないです。助けてもらってるのに自分のことばかりで……」


 自嘲するように、かすかに笑う。


「結局、私一人では何もできない」


 間。


 そして、ふと思い出したように。


「……そういえば」


 顔を少し上げる。


「まだお礼を言っていませんでしたね」


 わずかに、照れたような表情。


 視線を少し逸らしてから。


「……ありがとうございます、助けてくれて」


 小さく、はっきりと。


 その言葉を、向ける。


 ——だが、返事はない。


 リシェルは顔を上げる。


 ユウの方を見る。


「……?」


 少しだけ、近づく。


 そして。


「……寝てる……?」


 規則正しい、静かな呼吸。


 完全に眠っている。


 リシェルは顔が火が出るほど熱くなった。


 それから。


 小さく、息を吐く。


「……ひどいです」


 少しだけ拗ねたように呟く。


 だが。


 その表情は、ほんの少しだけ柔らいでいた。

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