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神の娘はどうやら捨てられたらしい  作者: 夜詠灯
アウトランド地下通路

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第4話アウトランド地下通路4

しばらく進んだあと。


 リシェルの足が、ふらりと止まる。


「……っ」


 壁に手をつく。


 呼吸が浅い。


「……どうした」


 ユウは振り返らないまま言う。


「……あの」


 声が、少しだけ震える。


「少し……休憩させて、ください」


 ユウは足を止める。


「……立ち止まらず進め」


 短い返答。


 リシェルは、唇を噛む。


「……少しだけ」


 自分の手を見る。


 ぬめり。


 まだ残っている。


「これを……」


 指先がわずかに震える。


「洗わせてください」


 はっきりと言う。


「無理だ」


 即答。


「水はあるか分からないし、止まる時間も惜しい」


 正論。


 だが——


 リシェルは一歩も引かない。


「……無理です」


 小さく、しかし強く。


「このままじゃ……触れるもの全部が……」


 言葉が詰まる。


「……耐えられません」


 はっきりとした拒絶。


 ユウは一瞬だけ黙る。


 だが。


「我慢しろ」


 それだけ。


 冷たい現実。


 リシェルの肩がわずかに震える。


 その時。


「……あれ」


 リシェルの視線が、横に逸れる。


 壁の隙間。


 そこから、かすかな水音。


 ぽた、ぽた、と一定の間隔で滴る音。


 ユウもそちらを見る。


「……地下水か」


 近づく。


 狭い空間の奥。


 そこには、小さな水場があった。


 岩の隙間から、水が湧き出している。


 さっきの濁った水とは違う。


 透明に近い。


「……綺麗……」


 思わず、リシェルが呟く。


 だが。


 そのすぐ横。


「……っ」


 視界に入る。


 白いもの。


 骨。


 崩れた姿勢のまま、横たわっている。


 衣服の残骸。


 装備。


 アウトランダーのスカベンジャー。


「……」


 言葉が出ない。


「ここで、行き止まりに当たったんだろ」


 ユウが淡々と言う。


「戻れなくなって、そのまま——」


 最後までは言わない。


 リシェルは目を逸らす。


 胸の奥が、重くなる。


(……ここで……)


 一人で。


 誰にも知られずに。


 終わった。


「……っ」


 一瞬、後ずさる。


 恐怖ではない。


 違う。


 もっと静かな、重さ。


 ユウがちらりと見る。


「早く行こう、あまり見ていて気持ちのいいものではないからな」


 あくまで事実として言う。


 強制はしない。


 リシェルは答えない。


 ゆっくりと、骨の方へ近づく。


 そして。


 リシェルは、ゆっくりと膝を折った。


 湿った地面に触れることも構わず、迷いなく。


 白い衣の裾が、静かに広がる。


 灰と埃に触れてもなお、その色はどこか光を保っていた。


 両手を胸の前で重ねる。


 指先は細く、わずかに震えているはずなのに——


 その仕草には一切の乱れがない。


 まるで、長く繰り返してきた動作のように。


 目を閉じる。


 長い睫毛が影を落とし、呼吸がゆっくりと整っていく。


 その瞬間。


 この場所の空気が、わずかに変わったように感じられた。


 湿った地下の匂いも、崩れた構造物の圧迫感も、すべてが遠のく。


 残るのは、静けさだけ。


 唇が、わずかに動く。


 声は聞こえない。


 だが確かに、言葉が紡がれている。


 祈り。


 誰にも届かないかもしれないもの。


 それでも、彼女は迷いなく捧げている。


 その姿は、この場所にあまりにも不釣り合いだった。


 死が転がる場所で。


 汚れた世界の中で。


 ただ一人だけ、穢れを知らない存在のように。


 骨の傍らで、祈り続ける。


 まるで、その終わりを静かに受け入れるように。


 やがて。


 指先の力が、ほんの少しだけ緩む。


 目を開ける。


 その瞳は、さっきまでとは違っていた。


 恐怖も、嫌悪も、まだ消えてはいない。


 それでも、その奥に。


 確かな静けさが宿っていた。


 地下の静寂の中で。


 やがて。


 リシェルが立ち上がる。


 祈りの余韻が、まだその場に残っている。


 水音だけが、静かに響く。


 ユウは少し離れた場所から、その様子を見ていた。


 やがて、ぽつりと口を開く。


「……物おじしないんだな」


 リシェルが、わずかに視線を向ける。


「普通は、ああいうの見たらもっと動けなくなる」


 骨の方へ、軽く顎をしゃくる。


 言い方はいつも通り、淡々としている。


 リシェルは一瞬だけ考えるように間を置いてから、


 静かに答えた。


「人の死には……慣れていますから」


 短い言葉。


 だが、その意味は軽くない。


 ユウはそれ以上聞かない。


 ただ、小さく「そうか」とだけ返す。


 それだけで、会話は終わる。


 だが——


 さっきまでとは、ほんの少しだけ空気が違っていた。


「……ここを使わせてもらいましょう」


 静かな声。


 さっきまでとは違う。


 恐怖でも、嫌悪でもない。


 ただ、受け入れた声だった。


 そのまま、ユウは視線を下げる。


「なら…」


 リシェルが目線を白骨死体からこちらに向ける。


「その格好、どうにかした方がいい」


 一瞬、意味が分からない。


「……これが、どうかしましたか」


 ユウは少しだけ顎をしゃくる。


「ここじゃあ目立ちすぎる」


 それだけ。


「ここから出られたとしても、そのままじゃ明らかによそ者だとわかる」


 リシェルは自分の服を見る。


 白い衣。


 確かに、この場所では異質だ。


「そいつのカバンの中に予備の服が入っていた、これに着替えろ」


 ユウの一言に、リシェルははっきりと首を振った。


「……できません」


 視線は、白骨へ向いている。


「それはその方のものです」


 静かだが、強い声だった。


「勝手に使うなんて……許されません」


 祈りの余韻が、まだ残っている。


 ただの嫌悪ではない。


 “してはいけないこと”として拒絶している。


 ユウは一瞬だけ黙る。


 そして、淡々と返す。


「ここじゃ関係ない」


 リシェルの視線が揺れる。


「……関係、あります」


「ない」


 言い切る。


「そういうのは中の奴の理屈だ」


 一歩だけ近づく。


「ここでは、死んだら終わりだ」


 その言葉に、空気が冷える。


「持ち主がどうとか、許されるかとか、気にしてたら、先にこっちが死ぬ」


 リシェルは言い返せない。


 分かっている。


 だが——


「……それでも」


 小さく、絞り出す。


「踏みにじるようなことは、したくありません」


 ユウはしばらく見ていたが、やがて視線を外した。


「……好きにしろ」


 それだけ言う。


 リシェルは少しだけ安堵する。


 だが、すぐに自分の手を見る。


 まだ残る感覚。


 そして、服の裾。


 汚れ。


「……」


 迷い。


 そして。


「……わかりました、着替えるので少し外してください」


 ユウは肩をすくめる。


「早くしてくれよ」


 リシェルは、水場の奥の方にいく。


 カバンを開ける。


 そして予備の服を取り出す。


 少しサイズが大きいような気がしたが、何とか切れそうなサイズだ。

 

 周囲を見る。


 ユウはいない。


 少し離れた場所へ行ったのだろう。


 そのことを確認してから。


 リシェルは、ゆっくりと息を吐く。


「……少しだけ」


 誰にともなく呟く。



――




 ユウは通路の先を軽く確認していた。


 この通路の構造。


 音。


 気配。


 特に異常はない。


(……廃棄されて相当時間が経ってるな)


 時間にして、数分。


 そろそろリシェルも着替え終わっているはずだ。


 踵を返す。


 水場へ戻る。


「……終わったか」


 そう声をかけながら、足を踏み入れる。


 そして。


 止まる。


「……は?」


 水の中。


 リシェルは、そこにいた。


 白い衣は体から外されている。


 代わりに、一糸まとわぬ姿で水の中にその持ち主がいた。


 髪が濡れ、肩に水が伝っている。


「……なにしてんだ」


 思わず出た言葉。


 リシェルがびくりと振り向く。


「っ……!?」


 一瞬、固まる。


 そして——


「な、な……っ!?」


 顔が一気に赤くなる。


「なんで戻ってくるんですか!?」


 水が跳ねる。


 慌てて距離を取ろうとする。


「着替えくらいすぐ終わるだろ」


「まだです!!」


 即答。


「見ないでください!!着替え終わったらこちらから行きますから!!!!」


 必死な声。


 ユウは一瞬だけ目を逸らす。


「……先に言え」


「言う前にどっか行ったんじゃないですか!」


 リシェルは水の中で身を縮める。


「早くあっちいってください!!」


 ユウは小さくため息をつく。


「分かったよ」


 背を向ける。


 そのまま、少し離れる。


「終わったら呼べ」


 それだけ言って、再び通路の方へ戻る。


 リシェルはしばらく動けなかった。


 顔の熱が、なかなか引かない。


 水面に映る自分を見て、さらに顔を伏せる。


「……最悪です……」


 小さく、呟いた。

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