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神の娘はどうやら捨てられたらしい  作者: 夜詠灯
アウトランド地下通路

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第3話アウトランド地下通路3

「こっちだ、急げ!」


 ユウの声が反響する。


 狭い地下通路に、足音がやけに大きく響いた。


 背後から迫るのは、あの異形の気配。

 一旦、距離を離したとはいえ相手は人外。

 こちらを補足して突進してくる。


 壁を擦る音。

 鈍く、重い足音。


 距離は——近い。


「……っ!」


 リシェルは必死に足を動かす。


 だが、思うように進まない。


 滑る。

 躓く。

 呼吸が乱れる。


「止まるな!」


 その瞬間。


 ——ミシッ


 足元から、嫌な音がした。


「え——」


 言い終わる前に。


 地面が崩れた。


「っ、うわ——!」


 視界が一気に傾く。


 重力が消える。


 落ちる。


 瓦礫と一緒に、暗闇へ。


「っ……!」


 衝撃。


 鈍い音とともに、体が止まる。


「……っ、は……」


 息が詰まる。


 頭がくらむ。


 数秒遅れて、上から崩れた瓦礫の音。


 そして——静寂。


「……まいた、か……」


 ユウの声が、すぐ近くから聞こえる。


 リシェルはぼんやりと目を開ける。


「……え……?」


 やけに、距離が近い。


 いや、近いどころじゃない。


 視界いっぱいに、ユウの顔があった。


「早く……どいてくれないか」


 低い声。


 すぐ下から。


「……は?」


 一瞬、理解が止まる。


 そのまま数秒。


 状況が、ゆっくりと繋がる。


 自分が上にいる。


 下にいるのは——ユウ。


 つまり。


「……っ!?」


 一気に顔が熱くなる。


「な、ななな……!?」


 距離が、近すぎる。


 呼吸がかかる距離。


 体も——ほぼ密着している。


「いいから早く——ふ、不潔です!!」


 反射的に叫ぶ。


 そのまま勢いよく跳ねるように離れる。


「おい、失礼だぞ」


 リシェルは慌てて距離を取る。


 数歩下がって、壁に背をぶつける。


「ち、近すぎます!!」


 頬が真っ赤になっている。


 呼吸も乱れている。


「事故だろ」


「だからって……!」


 言葉が続かない。


 これまでそんな距離で異性と接したことなんて、一度もない。


「普通……そういうのは……もっと時を重ねてから……」


「知らん」


 即答。


 リシェルは言葉に詰まる。


「……あなた、本当に」


 睨む。


「そういうところが——」


 言いかけて、止まる。


 言葉が見つからない。


 ユウは服の埃を軽く払う。


「助かっただけマシだろ」


 その一言で、現実に引き戻される。


 上を見上げる。


 崩れた穴。


 そして、その向こう。


 わずかに響く、あの音。


 まだ、完全に安全じゃない。


 リシェルの顔から、少しずつ赤みが引いていく。


「……っ」


 さっきの出来事と、今の状況が頭の中でぶつかる。


 恥ずかしさと、恐怖。


 どちらも、まだ消えていない。

 崩れた天井の隙間から、かすかな光が落ちている。


 だが、それも数メートル上で途切れていた。


「……深いな」


 ユウが短く言う。


 リシェルも見上げる。


 だが——


 高さの感覚が、うまく掴めない。


 落ちた衝撃がそこまで大きくなかったのでそこまで深くはないようだが。


 ただ一つ分かるのは。


「……登れませんね」


「ああ」


 即答。


 足場はほとんど崩れている。


 壁も脆い。


 無理に登れば、さらに崩れる。


 リシェルはゆっくりと視線を下ろす。


 暗い。


 さっきまでいた場所とは違う“濃さ”の暗闇。


「……ここ、どこなんですか」


「地下層だな」


「地下……」


 その言葉だけで、わずかに顔が強張る。


(閉じ込められてる……?)


 空気が重い。


 湿っている。


 そして——静かすぎる。


「……出口は」


「あるはずだ」


 “あるはず”。


 確定じゃない。


 リシェルの表情が曇る。


「……曖昧ですね」


「地下通路は大体そんなもんだ」


 ユウは周囲を軽く見回す。


 通路。


 崩れた構造物。


 奥へ続く影。


「道を進むしかないな」


 上は無理。


 なら——横。


 リシェルは少しだけ躊躇う。


「……もっと奥に行くんですか」


「ここにいても出られない」


 正論。


 逃げ場はない。


 リシェルは唇を噛む。


「……分かりました」


 納得ではない。


 受け入れただけ。


 その時。


「……あの」


 リシェルが小さく言う。


「暗すぎませんか」


 ようやく出た、当然の疑問。


 ユウは腰のポーチから、小さな装置を取り出す。


 金属製の細い筒。


 軽く叩く。


 ——カチッ


 淡い光が灯る。


 青白い光。


 リシェルの瞳に、それが映る。


「……エーテルですか」


「簡易灯だ」


 ユウはそれを少し掲げる。


「長くはもたない」


 つまり、無駄には使えない。


 リシェルはその光をじっと見る。


 柔らかいが、不安定な光。


「……それ、危なくないんですか」


 また、その言葉。


 ユウは少しだけ肩をすくめる。


「危ないものしかないぞ、ここは」


 答えになっているようで、なっていない。


 リシェルは何も言えなくなる。


 しばらく沈黙。


「……ここから出るまでは一緒にいてあげます」


 小さく、ぼそっと。


 自分でも気づいていないような声。


 ユウは少しだけ視線を向ける。


「外の人間は信用しないんじゃないのか」


「……そうですけど今日は特別です」


 即答。


 だが、声は少し弱い。


 ユウはそれ以上何も言わない。


 光を前に向ける。


「まあいいか」


 短く言って、歩き出す。


 リシェルは一瞬だけ迷う。


 だが——


 その背中を、少し距離を取って追う。


 暗闇の中で。


 二人の距離は、まだ遠い。


 だが。


 完全に離れるには、この場所は危険すぎた。


 エーテル灯の青白い光が、狭い通路を切り取る。


 壁は湿っていて、ところどころ崩れている。


 足元も安定していない。


 ユウは足場を確かめるように進む。


 迷いはない。


 リシェルは少し距離を空けて、その後ろを歩く。


 さっきよりも、足取りは慎重になっていた。


「……どこまで続いているんですか」


「さあな」


 短い返答。


「ただ、どこかには繋がってる」


 それだけ。


 リシェルは小さく息を吐く。


 不安は消えない。


 通路はゆるやかに傾斜している。


 わずかに、下へ。


「……上に出るんじゃないんですか」


「いきなり上には出られない」


 ユウは立ち止まらずに答える。


「構造的に、どこかで別の通路に繋がる」


 説明は簡潔。


 だが、適格。


 リシェルはその言葉を反芻する。


(分かってる……)


 この人は、この環境に慣れている。


 自分とは違う。


 その事実が、少しだけ重くのしかかる。


 一緒にいてあげますだなんてとんでもない、この人は自分のことなど置いて一人でも脱出することができるのだ。


 足元で、小さく水が跳ねる。


 リシェルが一瞬だけ足を止める。


「……水?」


「少し溜まってるだけだ」


 ユウが光を少し下げる。


 浅い水たまり。


 だが、その先は暗くて見えない。


「踏んでも問題ない」


 そう言って、先に進む。


 リシェルは少しだけ躊躇してから、後を追う。


 靴が濡れる。


 冷たい感触に、わずかに顔をしかめる。


 その様子を、ユウは特に気にしない。


 通路はさらに狭くなる。


「……近いですね」


「そういう場所だ」


 リシェルは無意識に少しだけ距離を詰める。


 暗闇が、背後から迫ってくる気がする。


 エーテル灯の光が、壁に反射する。


 その時。


 ユウの足が止まる。


「……どうしました」


「音がする」


 小さな声。


 リシェルも息を止める。


 耳を澄ます。


 ——ぽた


 水音。


 いや、それだけじゃない。


 ——ズル


 何かが、擦れる音。


 リシェルの喉が、ひゅっと鳴る。


「……まさか」


「静かにしろ」


 ユウの声が、低くなる。


 光が、わずかに揺れる。


 その先。


 暗闇の中に、何かがいる。


 まだ見えない。


 だが——


 確実に、いる。

 

 エーテル灯の光が、水面をかすかに照らす。


 ぬらり、と何かが動いた。


「……っ」


 リシェルの喉が詰まる。


 それは、魚に似ていた。


 だが、水の中ではない。


 床を、這っている。


 体は細長く、ぬめりを帯びている。


 鱗はなく、むき出しの皮膚が光を反射していた。


 ヒレのようなものが、脚の代わりに地面を掻いている。


 その動きが、不自然で——気持ち悪い。


 口が、裂けている。


 横に、大きく。


 内側には、細かい牙がびっしり並んでいた。


「……なに、あれ……」


 思わず、声が漏れる。


 水たまりの中に、二匹。


 じっとしていたそれが、ゆっくりと頭を持ち上げる。


「通路を……塞いでるな」


 ユウの声は、いつも通り落ち着いている。


 リシェルは一歩、後ずさる。


「無理です……あんなの……」


 視線を逸らそうとする。


 だが、目が離せない。


 ぬめる音。


 一匹が、こちらに向きを変える。


「……来るぞ」


 その瞬間。


 弾けるように飛び出した。


「っ、いや……!」


 反射的に声が出る。


 ユウが動く。


 半歩ずらし、すれ違う。


 ——斬る。


 鈍い感触。


 次の瞬間。


 何かが、飛び散った。


「……っ!?」


 リシェルの頬に、ぬるりとした感触。


 遅れて、理解する。


 血ではない。


 もっと粘ついた、異様な液体。


「気持ち悪い……っ」


 思わず顔を拭う。


 だが、それが余計に広がる。


「やだ……なにこれ……!」


 声が震える。


 床に落ちた“それ”は、まだ動いていた。


 切断されたはずの体が、ぴくぴくと痙攣している。


「……気持ち悪い」


 吐き気がこみ上げる。


 その間にも、もう一匹が動く。


「下がってろ」


 ユウの声。


 だが、リシェルは動けない。


 目の前の光景が、離れない。


 ぬめる音。


 二匹目が飛びかかる。


 ユウが踏み込む。


 近い距離。


 ナイフを突き立てる。


 ぐしゃ、と嫌な音。


 さらに、液体が飛ぶ。


「っ……!」


 今度は、視界に入る。


 裂けた内部。


 形を保っていない肉。


「いや……!」


 完全に目を逸らす。


 足が震える。


 呼吸が乱れる。


 ユウは動きを止めない。


 素早くナイフを引き抜き、蹴り飛ばす。


 水音。


 静寂。


「……行くぞ」


 短く言う。


 リシェルはすぐには動けない。


「……っ、むりです……」


 小さく、こぼれる。


「動け、死にたいのか」


 一言。


 冷たいが、強い。


 リシェルは歯を食いしばる。


 もう一度だけ、足元を見る。


 動かなくなったそれ。


 それでも、まだこの世のものではない形のまま。


「……うう」


 視線を逸らす。


 そのまま、ユウの後を追う。


 足が、少しふらつく。


 それでも。


 止まらない。

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