第4話 颯太に避けられるのが、嫌だった
紗奈が離れてから、颯太は初めて気づく。
何かあった時、最初に話したくなる相手。
くだらない出来事を、真っ先に聞いてほしい相手。
弱いところを見せても、そばにいてほしい相手。
それは、いつも紗奈だった。
けれど颯太は、その近さに甘えていた。
紗奈が笑ってくれることを、当たり前だと思っていた。
紗奈が恋愛相談を聞いてくれることを、傷ついていない証拠のように思っていた。
でも、紗奈はずっと傷ついていた。
親友だから言えなかった。
親友だから笑っていた。
親友だから、何度も自分の恋を諦めようとしていた。
第4話では、紗奈がついに、ずっと隠してきた気持ちを颯太に伝えます。
その頃、颯太もまた、いつも通りでいられなくなっていた。
紗奈が教室を出ていったあと、颯太はしばらくその場から動けなかった。
相談していい、と言った。
いつも通りのつもりだった。
紗奈なら笑って聞いてくれると思っていた。
少し呆れた顔をして、それでも最後にはちゃんと答えてくれると思っていた。
けれど紗奈は、笑えなかった。
いや、笑っていた。
笑っていたのに、目だけが泣きそうだった。
「……俺、なんかした?」
誰もいない教室でつぶやいても、答えは返ってこない。
颯太はスマホを取り出し、紗奈にメッセージを送った。
『昨日どうした?』
すぐに既読はつかなかった。
それだけのことが、妙に落ち着かなかった。
翌日も、その翌日も、紗奈からの返信は遅かった。
既読がついても、返事は短い。
『大丈夫』
『怒ってない』
『文化祭準備で忙しいだけ』
文字だけ見れば、いつもの紗奈だった。
でも違う。
颯太には、その違いが分かった。
分かるのに、理由が分からなかった。
昼休み、購買で焼きそばパンを買おうとしたら、なぜかコロッケパンを二つ渡された。
いつもなら、すぐ紗奈に写真を送っていた。
『今日の俺、焼きそばパンに裏切られた』
そう送れば、紗奈はきっと、
『パンに裏切られる人初めて見た』
と返してくる。
その返事が頭に浮かぶのに、送れなかった。
紗奈から返事が来ないかもしれない。
来ても、いつもみたいに笑ってくれないかもしれない。
そう思っただけで、胸の奥が妙にざわついた。
相談したい時だけじゃない。
面白いことがあった時。
腹が立った時。
少し落ち込んだ時。
誰かに聞いてほしいほどでもない、小さな出来事があった時。
颯太が最初に思い浮かべるのは、いつも紗奈だった。
そのことに、紗奈が離れてから気づいた。
気になる子ができたかもしれない。
あの日、颯太はそう言った。
でも本当は、誰のことを話そうとしていたのだろう。
名前を聞かれる前に紗奈が逃げた時、颯太は初めて、自分が誰の反応を見たかったのか分からなくなった。
紗奈に相談したかったのか。
紗奈に止めてほしかったのか。
紗奈に、少しでも動揺してほしかったのか。
考えれば考えるほど、自分の気持ちが分からなくなった。
ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。
紗奈に避けられるのが、嫌だった。
他の誰に避けられるより、ずっと。
*
翌日の放課後、廊下で颯太に呼び止められた。
「紗奈」
逃げようとしたけれど、颯太は私の前に回り込んだ。
「ちょっと待って」
「ごめん、委員会あるから」
「ないだろ。紗奈、今日委員会じゃない」
覚えていたのか。
そんな小さなことを覚えているなら、どうして私の気持ちには気づかないの。
そう思ってしまった自分が嫌だった。
「……なに」
「俺、なんかした?」
颯太の顔は真剣だった。
いつものふざけた感じはなかった。
「してないよ」
「じゃあなんで避けるの」
「避けてない」
「避けてるだろ」
私は視線をそらした。
廊下の窓から、文化祭準備の声が聞こえてくる。どこかのクラスが段ボールを運んでいて、笑い声が響いた。
普通の放課後。
普通の高校生活。
なのに、私たちの間だけ、空気が重かった。
「俺、紗奈に嫌われるようなことしたなら謝る」
「だから、してないって」
「じゃあ何」
颯太の声が少しだけ強くなった。
「言ってくれなきゃ分かんない」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
言ってくれなきゃ分かんない。
そうだよね。
言ってないから、分からないよね。
私はずっと隠してきた。
笑って、応援して、親友の顔をして、颯太に何も知らせなかった。
それなのに、気づいてほしいなんて、勝手すぎる。
「ごめん」
私は小さく言った。
「今は、言えない」
颯太は傷ついたような顔をした。
その顔を見た瞬間、また逃げたくなった。
「文化祭終わったら、ちゃんと話す」
「今じゃだめなの」
「だめ」
「なんで」
「泣きそうだから」
言ってから、自分でも驚いた。
颯太も驚いた顔をした。
私はそれ以上何も言えず、足早にその場を離れた。
*
文化祭前日、校舎はいつもと違う熱を持っていた。
廊下には飾りが吊るされ、教室の机は端に寄せられ、どのクラスも最後の準備に追われていた。私たちのクラスは簡単なカフェをやることになっていて、黒板にはメニュー表が貼られていた。
私は放課後、教室に残って紙コップの数を確認していた。
芽衣は買い出しに行っていて、他のクラスメイトもほとんど出払っている。
教室には、私ひとりのはずだった。
「紗奈」
声がして、手が止まった。
振り返ると、颯太が入り口に立っていた。
「……何」
「手伝う」
「もうほとんど終わった」
「じゃあ、話す」
逃げ場がなかった。
颯太はゆっくり教室に入ってきた。夕方の光が窓から斜めに差し込んで、床に長い影を作っている。
私は紙コップを机に置いた。
「文化祭終わったらって言ったじゃん」
「待てなかった」
「子どもか」
「そうかも」
颯太は少しだけ笑おうとして、失敗した。
その顔を見たら、胸が痛んだ。
私が避けたせいで、颯太を傷つけている。
でも私も、ずっと傷ついていた。
どちらかだけが悪い話ではなかった。
「紗奈」
「うん」
「俺、紗奈にだけは嫌われたくない」
その一言で、我慢していたものが崩れそうになった。
ずるい。
どうしてそんなことを言うの。
そんなふうに大事そうに言うなら、期待してしまう。
でも、期待したらまた傷つく。
「嫌ってない」
「じゃあ、なんで」
「……颯太の相談、もう聞けない」
やっと言えた。
声は少し震えていた。
颯太は黙った。
私は続けた。
「今まで、ずっと聞いてきたよね。莉央ちゃんのことも、喧嘩したことも、プレゼントのことも、別れた時のことも」
「うん」
「颯太が頼ってくれるの、嬉しかった。私が一番近いみたいで、特別みたいで」
言葉にすると、こんなにも情けない。
でももう、止まらなかった。
「でも、颯太の恋の話を聞くたび、私、ちゃんと傷ついてた」
颯太の顔から、少しずつ血の気が引いていくのが分かった。
「紗奈、それって……」
「好きだった」
教室が静かになった。
外の声も、廊下の足音も、全部遠くなった。
「ずっと好きだった。颯太に彼女ができた時も、相談された時も、別れた時も、ずっと」
私は笑おうとした。
でも、うまく笑えなかった。
「だから、颯太が誰かを好きになるたび、私も一緒に失恋してた」
颯太は何も言わなかった。
私はその沈黙が怖くて、早口になった。
「『よかったね』って言うたび、ちゃんと笑えていると思ってた」
声が、そこで少し詰まった。
「でも違った。私は、颯太の恋を応援していたんじゃない。自分の恋を、何度も諦める練習をしていただけだった」
言ってから、胸の奥がひりついた。
ずっと見ないふりをしていた本音だった。
颯太の幸せを願うたび、私は自分の気持ちを後ろに押し込めていた。
それを優しさだと思いたかった。
親友だからできることだと思いたかった。
でも本当は、傷つかないふりをするのが上手くなっていっただけだった。
「ごめん。颯太は悪くない。私が勝手に好きになって、勝手に隠してただけだから。親友でいたかったのも私だし、相談聞いてたのも私だし、だから颯太が謝ることじゃない」
「紗奈」
「でも、もう無理だった。気になる子ができたって言われて、また応援しなきゃって思ったら、無理だった」
涙がこぼれた。
一度こぼれると、もう止められなかった。
「私、颯太の幸せを願いたいのに、颯太が誰かと幸せになるのを想像すると苦しい。そんな自分が嫌で、でも親友のふりもできなくて」
颯太が一歩近づいた。
私は反射的に少し下がった。
「来ないで」
颯太が止まった。
「今優しくされたら、また勘違いする」
自分で言って、胸が痛かった。
でも本当だった。
颯太の優しさは、いつも私を救って、同じくらい苦しめた。
颯太は唇を結んだ。
そして、ゆっくり言った。
「ごめん」
「謝らないでって言ったじゃん」
「でも、ごめん」
颯太の声も震えていた。
「俺、全然気づいてなかった」
「うん」
「紗奈が傷ついてるのも、無理して笑ってたのも」
「うん」
「俺、紗奈に甘えてた」
その言葉に、私は顔を上げた。
颯太は苦しそうな顔をしていた。
「恋愛のこと、困ったら紗奈に聞けばいいって思ってた。紗奈ならちゃんと答えてくれるって。紗奈なら笑って聞いてくれるって」
「うん」
「でも、それってすごい勝手だった」
私は首を横に振った。
「違う。私がそうさせたの。平気なふりしてたから」
「それでも、気づきたかった」
颯太は小さく息を吐いた。
「紗奈のこと、大事だったのに」
大事。
その言葉が、また私を揺らす。
好きとは違う。
分かっているのに、期待してしまう。
私は涙を拭いた。
「颯太」
「うん」
「今すぐ答えなくていい」
言うのが怖かった。
でも、これ以上すがりたくなかった。
「私は言いたかっただけ。もう相談役はできないって、ちゃんと言いたかっただけだから」
「違う」
颯太がすぐに言った。
「違うって、何が」
「言いたかっただけで終わらせたくない」
心臓が大きく鳴った。
颯太は私をまっすぐ見ていた。
「俺、ちゃんと考えたい」
「……うん」
「紗奈のことも、自分のことも」
それは告白の返事ではなかった。
でも、逃げではなかった。
颯太は初めて、私の気持ちから目をそらさなかった。
「明日、文化祭終わったら話したい」
「明日?」
「うん。ちゃんと」
私は少し迷って、うなずいた。
「分かった」
その時、廊下から芽衣の声がした。
「ただいまー。って、あれ?」
教室に入ってきた芽衣は、私の顔を見てすぐに状況を察したらしい。
「あ、ごめん。紙コップ、廊下に置いてくる」
「いや、入っていいよ」
「無理。空気が濃い」
芽衣はそう言って、また廊下へ引っ込んだ。
私は涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、少し笑ってしまった。
颯太もつられたように笑った。
その笑い方が、久しぶりにいつもの颯太で、でも少しだけ違って見えた。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
第4話では、紗奈が初めて颯太に本音を伝える場面を書きました。
「颯太の相談、もう聞けない」
この一言は、紗奈にとってただの拒絶ではなく、ずっと我慢してきた自分の恋を守るための言葉だったのだと思います。
好きな人の幸せを願いたい。
でも、その幸せの隣に自分がいないことが苦しい。
親友として笑っていたい。
でも、好きな子として見てもらえないことがつらい。
その矛盾を抱えたまま、紗奈はずっと颯太の隣にいました。
颯太もまた、紗奈に甘えていたことに気づきます。
そして、紗奈の告白を「言いたかっただけ」で終わらせず、ちゃんと考えたいと向き合おうとします。
次話はいよいよ最終話です。
颯太が出す答えと、紗奈が親友ではなく「好きな子」として歩き出せるのかを見届けていただけたら嬉しいです。




