#116
ああ、腹立たしい。
星宮 鈴音という人物は。言ってしまえば、相当なお人好しである、と私は思う。
もちろん、それだけではない。かつての私にしつこく付きまとって来ていたように、欲しがりで強情な側面もありはする。
でも、それでも真に相手が嫌がることはしようとしないし。基本的には自らの望みのその傍らには、相手のために、誰かのためにという考えが見え隠れする。
だからこそ、少しでも多くの人のためになれるようにと。鈴音はいろいろなことをしようとするし――そして、できてしまう。
影千代が鈴音のことを評価するとき、あらゆることを中品質以上でなんでもこなすことができるとそう評した。それは、誰にでもできることではなく。鈴音だからこそ……あのお人好しだからこそ、と私は思う。
しかし、なんでもできるがゆえの弊害を。彼女はそのままに抱きながらここまで来てしまった。
自分でできるのだから、と。他者に頼ることを学ばなかった。
他人に迷惑をかけないようにと、自分でできるようになってしまったからで。
そして、彼女の師匠である支樹も、同じような傾向があるゆえに、咎めが不十分。
今でこそ、多少はマシではある。高校でのことは津々見や笹良に頼るようになっているし、戦闘面でも私や景との連携を意識するようになっている。
ただし、やはり染み付いた考え方というものはそう簡単に抜けるものではなくて。
特に切羽詰まった場面では、どうしても彼女は自分の手札のみで戦おうとする。
――転送の狐火に飛ばされた先で、強力な魔物に先手を取られた。
探知勝負では、向こうに分があることは十分に思い知らされた。
大地すらをえぐりとる攻撃の威力を目の前で見せつけられた。
力の差は歴然。そのままやりあっても、勝ち目はほぼない。
崩壊都市下であり、救援は絶望的。いつもは頼りになる月村さんたちも、タマモノビメによる足止めを食らっているほか、探知阻害効果のあるこの霧の中で、そもそも私たちの位置を探れるかどうか。
それを、わかっているからこそ。やはり、鈴音は私のことを手札から外してしまっている。
もちろん、存在を忘れているわけではない。
しかし、彼女は現状の把握の過程で。もはや反射ともいえる思考で、私のことを守るべき対象として数えている。
鈴音の本領は、むしろ逆であろうに。
ああ、本当に腹立たしい。
この後に及んでまだ私のことを、無意識だろうとも守る対象だと思ってしまっている鈴音も。
そうでしか在れていない、私自身も。
だからこそ。気を引き締める。
私にとっての鈴音は。
とてつもないお人好しで。
なんでもできちゃうすごいやつで。
だからこそ、他人への頼り方を忘れちゃっていて。
大切な、友達で。
競い合う、ライバルで。
背中を預ける、仲間で。
彼女が負担を発露できないというのなら。
勝手に、こっちで巻き取ってやらないといけない。
「しまっ――!」
鈴音が、移動の方向をしくじった。それは、見るまでもなく明らかだった。
この視界に加え、探知もままならない現状だ。思考があちこちに散ることもあって、そうなってしまうのは仕方がない話ではある。
今、そうならなくとも。交戦がずっと続き、魔力と精神力を擦り減らせば、いつかはそうなっただろう。
「ったく、ひとりでなんとかしようとするんじゃないわよ」
鈴音の位置は。大丈夫、わかる。
そもそも、常に把握できるように探知を外していない。
「私は、あなたの護衛としてここにいるの。少しくらい、頼りなさい」
強力な魔力の奔流が差し迫ってくる鈴音のその前に、私は立つ。
普通に見れば、ただの自殺行為だ。あの魔力は、生半可な防御で受けきれるものではない。
それは、ここまでの攻撃で理解している。
そんな場所に、高々ひとり間に立ったところで、結果に対した違いは起こらない。
死体がひとつからふたつに増えるだけだ。
でも、私はここに立たなければならない。
だって、私は今回。鈴音の護衛としてここにいる。
本来ならば、私はここに立っているべき人間ではない。《天声》が代替できない鈴音。多大な知識を有している影千代と、その監視役である景さん。《再生》による欠損部位さえも回復させてみせる千癒さん。
私以外の《海月の宿》所属でない全員が、明確な他者に替え難い理由を持ちながらこの場に立っているのに対して。私は、そういった事由を持たない。
ただ、ひとつ。鈴音との連携を円滑に取ることができる護衛として、この場に立っている。
なればこそ、私の仕事は。彼女を護り、必ずや、生きて帰すと。
鈴音が、津々見や笹良……私にとっても、友人である彼女らと交わした約束を、果たすために。
目の前に迫ってくる魔力はあまりにも強大。
私自身の魔力だけだと、おそらく足りない。
「勝手で悪いけど。また、力だけ貰うわよ」
胸のあたりに意識を向ける。
身体に癒着した魔石。暴れだそうとする獣を調伏しながら、魔力だけをぶんどって《獣化》を発動する。
鋭敏になる意識。やや引き伸ばされた時間感覚。
死が目の前に差し迫ってきているというその現状は、研ぎ澄まされた感覚によって恐怖が長く引き伸ばされていく。
しかし、そんなことは言ってられない。やらなければ、死ぬ。見なければ、死ぬ。
『しかし、随分ともったいないことをしてるね』
影千代の言葉が思い起こされる。
『もったいないこと?』
『そう。《獣化》はそこそこ育ってるのに、そっちはそんなことないじゃない』
影千代の指摘は、正しかった。実際、直接に強さに直結する《獣化》の方を偏重してしまっており。どうしても、移動がメイン。戦闘に於いても、不意打ち的にしか使えないものは、一度限りの使途以上に使うことが少なく、後回しにしてしまっているという自覚は私自身持っていた。
『その名前、支樹がつけてくれたんでしょ? いい名前じゃない』
『それ、どういう意味?』
どうにも、彼女の言葉をそのままに信用できない。いやまあ、これまでの影千代の言動を鑑みると仕方がないことだとは思うんだけども。
『いいや、本当に素直な感想だよ。だって、スキルはイメージが物を言う世界だからね。そんな素晴らしい力を、移動だけに制限するだなんて、もったいない』
『でも、そうは言ったって』
『安心していいよ。だって、あなたの身体に宿った力なんだ。一番身体に馴染む力が、自由自在に使えないわけがない』
後付けの固有スキルである《獣化》なんて、目じゃないほどに。
『あとは、信じること。できると思うこと。それが、大事』
それじゃ、頑張ってね、なんて。他人事なのかそうじゃないのか、よくわからない振る舞いを見せる影千代。今でも、容易に思い起こせる。
でも、そのおかげで。
私は、鈴音を守る護衛として、ここに立てる。
前を見据える。タイミングを測る。
早すぎても死ぬ。遅すぎても死ぬ。
ちょうど以外は、鈴音諸共、死ぬ。
走る緊張、冷たい汗が身体を濡らす。
それでも。前以外は、見ない。
できると思い込め、やれると信じろ。
空気や水といった、明確な抗力のないものでさえ、蹴れると思ったものは蹴り出せるのだ。なら――、
「――たかが敵の攻撃ごとき。蹴れない道理は、ないッ!」
自分で言っておいてなんだけれども、とんでもなく無茶苦茶なことを口にしている自覚はある。
どこの世界に、そんな理屈があるのかと。誰も彼もが鼻で笑うような、そんな言い分。
だけれども。
魔物からの攻撃が私にぶつかる。
その衝撃の、たった一瞬。
「《虚空蹴り》っ!」
固有スキルは、そんな世界の常識程度、嘲笑うかのようにしてねじ伏せる。
「ぐっぬぬ……っ!」
魔力が、脚を通じてごっそりと奪われていく。それほどに、強力な攻撃。
同時、意識まで持っていかれそうになる。
けれど、ここで途切れさせるわけにはいかない。幸い、優梨さんのトレーニングで、過剰な魔力放出には慣れている。
「陽鞠さんっ!」
「いいから。黙って、守られてなさい!」
私自身の命ももちろん、後ろには、鈴音もいる。
譲れないものを背に、全力で蹴り出して。
魔物が放った魔力は。彼方明後日の方向へと。
「ぐっ、ぜぇ……はぁ……」
「大丈夫ですか、陽鞠さん!」
膝をついた私に、駆け寄ってくる鈴音。
急激な魔力の消耗で《獣化》までもが解けてしまった。
できれば、魔物自身の方へと蹴り返してやりたかったが、そんな余裕はなかった。
たった一撃を防いで見せるだけで、これだけの損耗。更に連発をされると、次は防げないが。
……ヒョウ、ヒョウ。
奇妙な鳴き声。おそらくは、今対峙している魔物のもの。
警戒をしているのか、威嚇をしているのか。
しかし、これまでと違うのは。攻撃の手が一旦止まった、ということ。
逃げる隙がある今のうちに、撤退を――、
「馬鹿野郎! 探知を回すな!」
初めて聞く男性の声。退避のため、なけなしの魔力で探知をしようとした私に、声が制止をしてくる。
同時、至近にやってきたひとりの冒険者。私たちの姿を見て「……ガキじゃねえか。なんでこんなところに」と、不思議そうな顔をする。
そんなあなたはかなりのおっさんだし、髭も生えっぱなしで中々な様相だけれども。
「さっきのは、嬢ちゃんたちが?」
「こちらの陽鞠さんが」
「……なるほど、それで警戒してるってわけか。ガキのくせに見かけよりも強そうだな」
ふむ、と。男性は顎に指を当てながらに少し考える。
しかし、さっきから流してはいるけど、かなり失礼なことを言われてる気がする。
「ともかく、アイツと真っ当にやりあってちゃ命がいくつあっても足りねえ。逃げるぞ」
「逃げる、と言いましても」
鈴音がそんな声をあげる。
はたして、目の前の魔物が逃してくれるものか。
それは、私も同じ感想だった。
しかし、そんな私たちに彼は「今だから、逃げられる」と。
そんな言葉のどこに確証があるのかはわからないけど。しかし、今はそれを信じるしかないのも事実。
「いいか。魔力を抑えろ、探知は絶対に使うな。可能な限り音を立てず、それでいて速やかに下がっていけ。逃げ先なら、俺が案内できる」
言われるままに、魔力を抑えながらに引き下がっていく。偶然ではあるが、先の一撃でほぼ魔力がカラッ欠になっていたので、それほど難しくはない。
「追って、こない?」
「むしろ、離れていきましたわね」
「嬢ちゃんたちのことを危険だと認識したんだろうよ。まさか、攻撃を跳ね返されるだなんて思ってなかったんだろう」
加えて、増援らしき人物までひとりやってきた。魔物からしてみれば、私と鈴音のふたりですら、攻撃の反射をされかねない注意が必要な相手であるところに、更に相手が増えたということで、安全を見て撤退したのだろう、ということ。
実際のところは、《虚空蹴り》によるカウンターは連発できないどころか、たった一発で打ち止めだったのだけれども。そんなことはあの魔物に知る由もなく。
勘違いではあるものの、実力と幸運が積み重なった結果と言えるだろう。
「しかし、だとすると恐ろしい魔物ですね」
「そう?」
鈴音の言葉に、私は首を傾げる。
いや、たしかにまともに戦って勝てる相手じゃないって意味では、恐ろしい相手なのだけれども。
「相手の情報が不足していると見るや否や、撤退をした――引き際を理解している、ということですから」
「あっ……」
勝てないと思って撤退した、というわけじゃない。
たしかに、あの魔物は私たちに対して恐怖して撤退していったというのは事実だろう。
しかし、ただ恐れたというわけではなく。正しく、恐れて。
そして。確実に対処する方法を講じるべく、逃げていった。
そういう意味では、一瞬垣間見えたその姿が、近接戦の方が得意そうな見た目の魔物であったにもかかわらず、遠距離攻撃で攻めてきたということにも合点がいく。
こちらのことを、探っていたのだ。
「極めて、知能の高い魔物であると推察します」
「……へえ、今の戦いだけでそこまでたどり着いたのか」
感心する様子で、男性がそう言う。
「あの魔物は、なんなの?」
「そうだな。ここに落ちてきてしまった以上、知っておくべきだろう。ただし、下手な絶望はするなよ」
重々しい口調で、男性は口を開く。
「あいつの名前は鵺。ここ、札幌ダンジョンの異常階を棲家としている――討伐指定S級、もとい特別指定災害級であり」
呼吸をひとつ。
過去を、飲み込むように。
「――俺の親友を、殺した魔物だ」
Tips:《虚空蹴り》
陽鞠の固有スキル。明確な抗力のないものでさえ足場と認識し、蹴り出すことができるという能力。
元は空中機動を可能にするというものだが、他の汎用スキルによる空中機動と違い、足場を生み出すのではなく、抗力のないものを無理矢理に足場として解釈するという、物理法則を無視するスキルとなっていた。
影千代の「せっかくなんでも蹴れるんだから、足場にするだけだともったいなくない?」というアドバイスを経て、攻撃自体を蹴り返すというカウンター能力へと拡張した。
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