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115/118

#115

「鈴音ッ!」


 手を伸ばす。しかし、届かない。


 歪む境界。呑まれていく鈴音。

 その先になにがあるのかは、わからない。

 ただひとつ言えるのは。危険であるということ。


 手を伸ばす。届かないとわかっていても。


 ひどく、不安であるのだろう。その表情には、たしかな恐れがあって。

 しかし、そうだというのに。彼女は、笑って見せて。

 呑まれ、消える。その、瞬間。


「なにやってるの、バカッ!」


 彼女に至る存在がいた。――小夜だ。

 絶対にひとりにさせるものか、と。伸ばされたその手は、たしかに届いて。

 消えゆく渦の中に。飛び込んでいった。


「――ッ」


 ふたりが消えた。その事実が、たしかに目の前にあって。

 しかし、それでもなお。


「ギャーッ、ギャッギャーッ!」


 あからさまに威嚇をするタマモノビメ。その様相には、不服が見える。

 今の攻撃は、タマモノビメにとって渾身の一撃だったのだろう。

 それこそ、二の撃ちは効かない。正真正銘の切り札。

 無論、使うだけであればできるのだろう。タイミングを測る必要はあるだろうが、発動だけなら容易なはず。

 ただ、狐火自体を転送させるという奇襲は、次からは警戒される。もちろん厄介な攻撃であることに変わりはないが、奇襲ほどの有効性は発揮しないだろう。


 そんな、たった一度きりの攻撃を。

 この場で一番、タマモノビメにとって取るに足らないと感じていた相手――鈴音によって、防がれた。

 発生した被害としては、海未の代わりに犠牲になった鈴音と、彼女を守るために飛び込んでいった陽鞠の二名。タマモノビメへ攻撃を叩き込み続け、敵視を奪い続ける海未も、彼女や他の《海月の宿》の面々に対して支援《バフ》を付与し続ける役割の俺も、残ったまま。

 つまり、戦線の維持自体にはなんら影響はない。


「支樹! 海未! 抑えろ、今は前に集中するんだ!」


 蒼汰がそう声を放つ。おそらくは、俺たちの肚の中に抱えている感情を感じ取ったのだろう。

 あるいは、感情の乱れによって巻き起こされている、尋常ではない魔力の渦を視たか。

 びりびりと、皮膚を走る痛み。感情に押し出されるようにして、過剰に放出されようとする魔力。


 わかっている。鈴音の判断は正しい。

 最小限の被害で、最悪を回避した。


 あのまま海未が転送されてしまっていたら、下手をすればこの場にいた全員がやられていた可能性まである。


 ただ、感情がそれに追いつくかというと。また、別の問題で。


「大丈夫だよ、蒼汰。私は今、自分に対してとっても怒ってるだけたから」


 低く、酷く落ち着いた声音で海未が言う。


「守るべき相手に守られた。その事実が、ただただ許せないだけ」


 奇襲であったとはいえ、彼女自身の不注意故に起こった被害だ。その感情は、推し量ることもできない。

 俺にとっても、鈴音は弟子だ。彼女の実力が不足していると認識しながらに、その《天声(能力)》が必要であったがために、彼女に協力を要請して、今があった、はずだ。

 守らなければ、いけなかったというのに。


「今は、信じましょう。月村様」


 いつの間にか隣に立っていた千癒さんがそう言う。

 彼女にとっても、鈴音は守るべき存在。しかし、守ることができなかったのは俺たちと同じ。

 普段からあまり動かない彼女の表情が、まるで苦虫を噛み潰したかというほどに歪んでいるところ見るに、抱く感情を同じくしているのは想像に難くない。

 しかし、その上で。


「信じるしか、ないのです。お嬢様であれば、無事であると」


「そうだよ、月村さん。だって鈴音ちゃんは強い。それに、陽鞠ちゃんも強い。ふたりなら大丈夫。そう、信じよう」


 雪城が言葉を繋ぐ。

 そう。誰よりも、支樹よりも早く、鈴音のもとへと駆けていったのは他の誰でもない、小夜。

 まだ、誰しもが鈴音の行動の意図を理解していない中。おそらくは、小夜自身も、鈴音の行動の意図を理解してはいなかっただろうに。

 しかし、そんな中で。今までの経験から、鈴音が行おうとしていることが危険であること、そして、ひとりにするべきでないことだけを確信した彼女は。理解よりも先に、鈴音のもとへと走り出した。


 その結果、ひとりで魑魅魍魎の跋扈する崩壊都市に鈴音が投げ出されることも。そして、タマモノビメを前にした俺たちの戦線が崩壊することもなかった。


 彼女たちが作り出した、この好機を。無駄にすることこそが、ふたりに対する愚であろう。


 己を律し、前を見据える。

 やならければならないことを、整理する。


「だから、信じよう。月村さん。ううん、他ならぬ、あなたが信じるしかない。だって、鈴音ちゃんと陽鞠ちゃんの師匠は、あなたなんだから」


「……ああ、そうだな」


 信じるしかない。

 ふたりなら、きっと生きて帰ってくる。


 だって、俺がふたりに教えた、たったひとつのことは。


 どんな状態からでも、どれだけ泥臭くとも、見苦しくとも。

 生きて帰るための、術なのだから。






     * * *





「あだっ」


 不安定な体勢から地面へと投げ出されて、痛みで思わずうめきます。

 ひとまず、狐火の効果が予想どおり転送であったことに。下手な攻撃や状態異常を受けなかったという安心と、月村さんたちと離れてしまったということへの不安とを同時に覚えます。

 そして、もうひとつ。


「いったたた……」


 私と同じく、変な体勢で地面にその身を叩きつけられた彼女――陽鞠さん。

 私が狐火の転送に飲み込まれるその直前。手を伸ばし、一緒に転送されてしまった――もとい、一緒に飛ばされてくれた。

 そんな彼女は打ってしまった腰を擦りながらキョロキョロと周りを確かめてから。私の方へと視線を向けて。


「……で、ここはどこなのよ」


「さあ……」


 極めて濃い霧の森。ここが、相変わらずの札幌ダンジョン内だということは察することはできますがを


 事前知識として読み込んでいたタマモノビメの能力をベースに考えるならば、そこまで遠距離に飛ばされていないとは思いますが。しかし、崩壊都市影響下で凶暴化していることを鑑みると、あまり楽観的な方面で判断しないほうが吉でしょう。


 実際、周囲の魔力濃度は先程まで私たちがいた第十層と比べてずっと高濃度。影千代さんのトレーニングがなければ、おそらくは魔力酔いによって行動不能になっていたことでしょう。


「っと、ひとまず《天声《ブレッシング》》で私たちの無事を皆さんにお伝えしないと――」


 一方的にしか連絡できないとはいえ、無事の連絡ができるかどうかだけでも、月村さんたちの心持ちに変化が表れるでしょう。

 不要な心配をおかけしないように、と。固有スキルを発動しようとした、その瞬間。


「鈴音、一旦連絡は後にして」


「へ? ……っ!」


 少し遅れて、陽鞠さんのおっしゃる意味を理解いたします。

 異常な気配が近づいてきて。同時、霧に混ざりこむようにして、黒い靄が漂ってきます。

 強烈な不快感をもたらす靄が《それ》に、反射的に飛びのき、吸い込まないようにと急いで口を覆います。


「ひとまず、移動をしましょう」


 転送に伴う魔力によって、この場所を判断された可能性があります。

 幸い、靄のおかげで接近してき方角はある程度察しがつく。

 音を立てないように少しずつ、しばらく移動をして。再び、黒靄の勢力圏から逃げ出します。


 しかし、謎の存在との距離を確保したはいいものの。このままではどうにもならないというのも事実を

 ここから、どうやって月村さんたちと合流するべきなのか、であるとか。あるいは、今接近してきた魔物と、正確にはどれくらい距離が離れているのか、だとか。


「私が探知《サーチ》する。鈴音は万一に備えて戦闘の準備を」


「っ、はい!」


 第十層よりもより濃くなった霧の世界。ほぼ視界ゼロの中、先のように、ここからの脱出や魔物との応戦をするにあたり、探知《サーチ》は唯一の目といって差し支えがありません。

 とはいっても、魔力を帯びた霧の影響で、その探知《サーチ》も有効射程が極めて短くなってしまっているのですが。


 ともあれ、なにも見えなくては始まらないと。陽鞠さんが探知《サーチ》を回し始めた、その瞬間。


「まずい、なにか来る!」


 おおよその方角にして、先程まで私たちがいた――転送されてきた、その場所。

 それでいて陽鞠さんの探知《サーチ》可能範囲よりも更に遠くから。

 強大な魔力体がこちらに向けて飛来してきます。

 直後訪れた、ひたすらな魔力の奔流は。あたかも空間を穿つ光の槍のように、木々と地面をえぐり。

 すんでのところで回避をしながら、もし、これに巻き込まれていたならば、と。思わず唾を飲み込みます。


 そして、その魔力の衝撃は。通った道の霧までもを一時的に吹き飛ばして。

 僅かなあいだながら、使用者まで真っ直ぐに続く視界。霧の先に見えた、その姿は。


「……っ!」


 まず直感的に覚えたのは、本能的な嫌悪感。

 そんな存在がいるべきではないという、直感からくる忌避感。


 ――合成獣《キメラ》という魔物がいます。

 様々な生物を組み合わせた身体を持つ魔物です。


 しかし、そうなるように生み出されたキメラとは性質的に似通っていながらに、本質的には違う。


 鳥の翼、虎の爪、狸の胴、蛇の尾。まるで、様々な生物の強いところをかき集め、奪い取り、継ぎ接ぎ、我が物とするようにして形作られたそれは。


 生命に対する侮辱を覚えるとともに、その経緯ゆえの、底冷えするような危険をも同時に放っていて。


 気色悪さと、怒りと。

 そして、恐怖。

 初めて見る、知りもしない魔物ではありながらに。目の前にいるそれは、間違いなく、強いという確信。

 まともに戦っては勝てないと、戦う前から思い知らされるほどの力の差。


 撤退しなければなりません。しかし、視界が利かないこの現状、探知《サーチ》を使って周囲を把握しようにも、先の先制攻撃を見るに、魔物のほうが探知《サーチ》範囲が広い。

 まともに逃げることもままならない上、逃げ隠れながら退避することも困難。


 霧が閉じていく、その奥で。また、魔力の流れが見えます。

 また、来る。あの威力です、受けきるのは不可能。

 集中して回避に専念。いつ来るのか、という緊張に、じっとりとした汗が背中を伝います。


 そうして、張り詰める緊張が十秒ほど。

 再び、地を穿つ烈旋が襲いかかってきて。なんとか、かわします。


 ……思ったよりも、射出が遅い。溜めが長い? それとも、狙いを定めていた?

 判断するには、情報が足りません。

 それに、あの身体。総じて、高いフィジカルの身体が組み合わさった魔物の力であれば、近接で私たちに攻撃をしに来たほうが、手っ取り早く戦えるというのも事実。

 しかし、それをしない。それは、なぜ?


 考えたいことが積み上がっていきます。しかし、そんな思考の隙を、与えてくれるわけもなく。


 三度《みたび》、収縮していく魔力。また、来る。


 なにはともあれ、しっかりとした観察と、千切れながらの思考で、なんとか考えていくしかありません。

 幸か不幸か、近接戦の高速の戦いが強いられていない現状。まだ、その余裕はあります。

 だからこそ、ここもしっかりとかわして――、


「しまっ――!?」


 霧で、視界が利かない。互いにそれは同じ条件ではありながら、少しだけ、こちらには不利なことが。

 魔物は、私たちの居場所だけを捉えていればいいのに対して。私たちは、魔物の位置と、回避先を見なければならない。

 視界が利かない現状で、意識を散らしてしまっていたその結果。私の後方に現れたのは木々の密集地帯――回避をするには、障害物が多すぎる場所。

 どうする、私。あの威力です、受けきるのは困難でしょう。ならば、回避に賭ける? あの魔物が、このチャンスを見落とすとも思えません。


「――っ!」


 短時間で逡巡する思考。しかし、無慈悲にも魔力は放たれ。

 高密度の光線のごとく、迫ってくる魔力に。

 思わず、目をつむりそうになって。


「ったく、ひとりでなんとかしようとするんじゃないわよ」


 陽鞠さんの声。


「私は、あなたの護衛としてここにいるの。少しくらい、頼りなさい」

Tips:探知《サーチ》

 周辺把握や敵の位置を探るために使われるスキル。

 魔力を周囲に拡散させながら、その反射によって探る方法が主流。

 しかし、同時にいくつもの方向にに拡散させた場合、返ってくる魔力が混濁してしまうため、全方位を確認をする場合時計回り(または反時計回り)に順々に魔力を放出して確認をしていく。

 そのため、全方位に探知《サーチ》を行う場合は、回す、という動詞表現が使われることがある。




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