#110
ある日のトレーニングの終わりのこと。
「月村さん」
「鈴音」
私と月村さんの言葉が、ちょうど重なります。
「お先にどうぞ」
「鈴音からで」
「…………」
「…………」
タイミングがいいのか悪いのか。こう、絶妙に微妙な空気感が流れます。
しかし、黙っていても仕方のないこと。えいやっ、と。ひとつ気を入れ直しながらに、私は口を開きます。
「月村さん! その、最近なにかお悩みになられていることがありませか?」
「……気づかれていたか」
どうやら、私の思い過ごしではなかった様子で。少しばかりほっと息をつきます。
「その、話しにくいお話なのであれば、もちろん大丈夫ですので」
「いや、鈴音に関する話でもある。共有しなかったのは……ひとえに、どう伝えるべきか迷っていたからだ」
そう言いながら月村さんは格納庫から封筒を取り出されます。封蝋の印章は冒険者協会のもの。
「……まあ、早い話で伝えてしまうと。鈴音に。いや、正確には鈴音たちに昇格の話が来ている。無論、先の大侵攻に依るものだ」
私や陽鞠さん、千癒にはBランクへの昇格。そして、景さんにはAランクへの昇格が提案されているとのこと。特例措置での昇格でAランクになるだなんて話はほとんど聞いたことはないものの。今回の事例については景さん――スノーホワイトさんが大侵攻で凶暴化したクオーツゴーレムを斃したこともあって順当な評価といえるでしょう。
しかし、ここまでの話は千癒から聞いていたとおりの話。いわば、想像の範疇ではあります。
だからこそ聞きたいのは、ここから一歩先の話。
なぜ、月村さんはこの話をすぐに私たちに共有しなかったのか。先に彼が言った「どう伝えるべきか迷っていた」ということがどういうことなのか。
「私の今の実力ではBランクは不相応ということでしょうか? それともここまで特例措置だけで昇格しているのが不都合であるとか」
「いや、実力だけならば十分ではある。安全圏を見るならばもう少しと思わなくもないが、これについては多少過保護になっている側面もある」
聞くところによると、月村さん以外の《海月の宿》のメンバーからは十二分であろうという意見が多いらしい。
「特例措置だけだランクアップしてきたことについても、先に言ったとおり実力は十分だし。筆記なんかの方面については俺が教えればいいだけだから、これも問題ない」
強いて言うならば、特例措置で昇格していることについて周りからのあたりが強くなりかねないという難点なんかがないわけじゃありませんが。それこそ、私本人と相談するべき事項ではあるでしょう。
だから、これも違います。
「では、なぜ?」
「……冒険者ランクによって、やれる範囲が変わってくるってのは鈴音もわかってるよな?」
「ふえ? は、はい。それこそ、この間私たちが潜っていた高輪ダンジョンなんかがその際たる例ですわね?」
高輪ダンジョンは比較的新しいダンジョンということもあり、内部の状態が不明だったり解析や情報が不十分。そのため、Cランク以上の冒険者でないと入ることができません。
同様に、一定以上の危険度を有する階層に足を踏み入れることについても、同様に規制されています。ただし、これについては冒険者協会側がなんらかの検問などを設置できているわけではないので、無理矢理に突破できなくはないですが。とはいえ、バレたときにものすごく怒られます。危険性について滾々と説教をされます。
しかし、いずれにせよ。冒険者ランクが高くなることにより行くことができる範囲が広がる、というもの。
ここで重要なのは、あくまで行くことができるというだけであって、行かなければならないというわけではないこと。
行きたくないのならば、別に行かないという選択肢を取ればいいだけではあります。
もちろん、ダンジョン災害の発災時の応召義務なんかもありはするところではあるのですが。それもCランクから発生しているものではあり、今更と言ってしまえばそれまでではあります。
だからこそ、基本的にはデメリットよりもメリットのほうが大きくなるわけで。
「あれ。でも、たしかBランク以上から新たに立ち入りが許可される場所ってそんな多くなかったような」
Cランクからは、新規ダンジョンという明確な対象が追加される一方で、Bランクになっても階層制限が緩和される程度のはず。
「ああ、Bランク単独だと増えない。……が、ほぼ全員気にすることがないであろう条件のもとで立ち入り制限解除がある」
曰く、その制限解除とはSランク以上の冒険者の帯同。いや、正確にはSランク以上の冒険者が主導をする際に、特殊な要因があり他で代替できない場合に限り、Bランク冒険者を連れて行くことができるという、条件付きでの立ち入り。
Sランク以上の冒険者自体が本当に数が限られているということもあり、本来ならばまず気にすることがないような条件ではあるものの。
しかし、不思議なことに。私にとっては目の前にSSランクである月村さんがいるわけで。なぜか、条件を満たせてしまう。
「もしかして、このランクアップは」
「……もちろん、さっき言ったとおり。高輪ダンジョンの大侵攻の抑制に貢献したことをきっかけとしたものではある。だが、それと同時に、そういった恣意が協会内にはある、というのも事実だ」
「それで。その条件付きで立ち入りが許可される場所とは……?」
少なくとも、新規ダンジョンよりも危険であったり、不安定な場所なのは明白。
それでいて、大侵攻のように緊急性を要するような場所でもない。
私の質問に。月村さんはそっと目を伏せてから。ゆっくりと、その口を開きます。
「ダンジョン災害によって喪われた人類の生存圏、北海道、札幌ダンジョン」
立ち入りの条件は、Aランク以上の冒険者。危険度自体は、それ以上。
「――崩壊都市、奪還戦だ」
「はへ?」
聞き間違いかと、思いました。
月村さんが、崩壊都市の奪還戦と、そうおっしゃったのかと。
いえ、より正確には。崩壊都市奪還戦というとてつもない場に、必要な人材として私が在り。そのためにBランクへの昇格の話が発生しているかのような。
「ええっと」
「安心しろ、とは言えないが。……たぶん、聞き間違いじゃない。たしかに俺は、鈴音のことを崩壊都市奪還戦のために必要な人材として名前を挙げた」
「ひいっ!?」
聞き間違いなら、どれほど良かったでしょうか。
「いやいやいや! いくらなんでも、冗談でしょう!?」
「冗談で言うと思うか? こんなことを」
「それは! そうですけれども!」
少しくらい現実逃避をさせてくださってもよいではありませんか!
「というか、なぜ私なのですか!? それこそ、実力だけならばまだまだでしょうに!」
「ああ、それは事実だ」
「事実なのですか」
「なんせ、Aランクであろうが不意に死にかねないのが崩壊都市。Sランクであっても命の保証はないし、海未たち《海月の宿》ですら攻略が困難」
そうでもなければ、崩壊都市は崩壊都市のままにはなっていない。
人類の生存圏を放棄している理由が、そこにはあります。
「ではなぜ、私が?」
「さっきも、立ち入り条件の話で少し触れていたが。そもそも、Bランク冒険者が立ち入りする際の条件は、他者に替えられないなにかがあることだ」
「私にしか、替えられないもの?」
そんなもの、私には――っ!
「固有、スキル」
私にあって、他の人に。月村さんや海未さんでさえ、扱えない。ただひとつの、強み。
「そう。鈴音の《天声》だ」
それは、ただ声を届ける、というだけの固有スキル。
「たしかに、特に平時であればそれほど効力を成さないスキルではある。だが、異常時には、たったそれだけがとてつもない意味を持つ」
「……あっ」
実際、高輪ダンジョンでは、いち早くダンジョン内全域に大侵攻の発災を通知し。そして《海月の宿》の皆様に対して救援の要請をすることが叶いました。
「当然だが、崩壊都市の通信網はズタズタに破壊されている。そんな環境下では、物理的制約の一切を無視して声を届けるという鈴音の《天声》は情報通信という意味で無類の強さを誇る」
もちろん、一方通行でしか連絡ができないという難点はあるものの。あるとないとでは歴然の差。
支援の要否、撤退の判断。そういった最前線での判断を司令部に連絡することができる。増援要請の際に、合流要員に対して道案内をすることも可能。
しかし、それと同時に。
「自ずと、立ち位置が最前線になる」
「っ」
その言葉の意味するところ。私自身に降りかかる危険性は、説明されずとも理解いたします。
そして、なぜ月村さんがこの話を私に伝えることを躊躇っていたのかも。
「当然、行くとなった場合は俺たちで可能な限り守りはするが」
「以前の大侵攻などとは比にならないほどの状況が想定される環境。最低限の自衛は必須、ですか」
「……ああ」
どこか申し訳なさそうな表情で、月村さんはそうお答えになられます。
「いっそ、札幌ダンジョンで自衛できるだけの実力がなければ、それを理由に断ることもできたんだが」
曰く、最近のトレーニングには、そういった適正を判断する、という目的もあったとのことで。月村さんや海未さんが下した結論は――崩壊都市での最低限の活動は可能。
もちろん、Bランクに昇格したからといって、冒険者協会からの参加要請に応じる実用性はない。それこそ、命に関わる要件であり、成功率も高くない。協会もその点は強制することができないからだ。
だが、それと同時に、ずっと足りなかった要素を私が握っている、というのもまた間違いないことではあって。
今まで、月村さんや海未さん。その他強い冒険者の方々がたくさんいながらに、ずっと崩壊都市奪還戦が進んでこなかったこの現状に。今、それが動き出そうとしているというその事実。
「俺たちも、鈴音に強制をするつもりはない。というか、こんな判断は強制できるわけもない。……正直なところ、断るべきだと思っている心も、無くはない。だが」
「今までにない、チャンスだというのも、また事実。なのですね」
「……ああ」
崩壊都市は、放置すればダンジョンによる侵食が拡張していき、どんどんと人間の生存圏を押し下げられる。
現在でも、最前線では侵食を食い止めるための対処が行われているが。報告では、戦線にあてられる魔物の強さも段々と上がってきているとのこと。
あくまで可能性ではあるが、悲観的な味方としては、今も崩壊都市による侵食は勢いを増しており、いずれは拮抗が破られ、生存圏が押し下げられていく可能性もある、とのこと。
もちろん、あくまで悲観的な可能性ではあり。それが起こるのが何年後か、十何年後か。はたまた何十年後かはわかった話ではない。
だが、可能性として。魔物がどんどん強くなっていき、崩壊都市の攻略難度がどんどんと上がっていっている可能性がある、ということ。
ならば、やれることは。手遅れになるその前に――可能な限り、速やかに。崩壊都市奪還戦を達成することだ。
そして、そのために。私にしかできないことがあるというのであれば。
「やります、月村さん。私、協力をいたします!」
「……ああ、そうだよな。鈴音なら、そう言うよな」
ぽつり、と。月村さんがそうつぶやいて。「ったく、影千代の言うとおりにはなっちまったか」と。
「えっと、だめ、だったのでしょうか?」
「いや、だめじゃない。むしろ、俺たちの立場からしてみると、ありがたい話ではある」
だが、と。
「覚悟は、しろよ。俺たちは死にに行くんじゃない」
――生きて、帰る。それが、大前提だ。
Tips:崩壊都市
ダンジョン災害の発災により魔物が氾濫、のち、対処が追いつかず放棄せざるを得なくなった都市。日本では北海道の札幌ダンジョンで初めて発生、その後三箇所で崩壊都市が発生している。なお、すべてのダンジョンが未攻略、未だに崩壊都市のままになっている。
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