#105
「あ、鈴音ちゃん。陽鞠ちゃん!」
「景さん!」
月村さんと海未さん。そして、影千代さんに案内されるままについていくと。訓練場にて特訓をしていた景さんの姿。
しかし、随分と疲弊されているご様子で。
「どう? スノーホワイトちゃん」
「……とっても悔しいですけど、以前までとは歴然の差です」
曰く、学生である私や陽鞠さんと違って、自営業の景さんはお昼の間でも時間があるそうで。
正確には、普段であればそういった時間は配信のための情報収集やネタ考案、アルバイトに充てたりしていたそうですが。都合、景さんもここ《海月の宿》のギルドハウスから離れるわけもいかず。なんならば、誰よりも離れるわけにはいかず。
その代わり、情報収集やネタ考案はギルドハウス内でも可能ではありますし。アルバイトについては、影千代さんの監視という業務が発生している兼ね合いで《海月の宿》から支払われているそう。
まあ、要するにお昼がかなりの空き時間になっていたそうで。その時間で先んじて影千代さんの指導を受けていたそう。
「そのかわり! めちゃくちゃにしんどいだけどこれ!?」
「はっはっはっ! 命に別状はないから問題はないさ!」
楽しげに笑う影千代さん。その様相とは裏腹に放たれた言葉はなかなかに物騒な気がいたしますが。
「それに。代償もなにもなく、楽に強くなれる、なんていう方法があるわけもないだろう? 楽なだけでいいならば、手立ては――」
「ダメ」
誰よりも先行して影千代さんの言葉を止めたのは陽鞠さんだった。
「ふふっ、悪かったね陽鞠ちゃん。まあ、早いところがそんな都合のいい方法があるのなら、既に公になっているだろう、という話さ」
もちろん、強さを独占したいという手合がそれらの手法を秘匿している可能性はありますが。「少なくとも、私の知るところでは存在しないね」と。
月村さんをして、魔力やダンジョンのことで彼女以上の識者を知らないとまで言わしめた人がそう言うのであれば、ほぼ確実に存在しないと見ていいでしょう。
「で。スノーホワイトちゃんが使ってるのはめちゃくちゃにキツイ代わりに、短期間で魔力の保有量と放出量を引き上げることができる装置。どうする、ふたりも使う? 安全性については……まあ、下手な使い方をしない限りは命の保証だけはしてあげる」
正直なところ、怪しさがかなりあるということについては否定はできません。……が。
ちらりと月村さんの方へ視線を遣ると、彼はコクリと頷きます。先の言葉は嘘では、ないのでしょう。
で、あれば。
「お願い、します!」
満身創痍の景さんの様子に、いったいどんな訓練が待ち受けているのかと、少しばかり身構えるところがありはしましたが。死ぬほどきつい訓練という意味ならば、今までも月村さんにたーくさん仕込まれてきましたから、ええ。
そういう意味では、多少のことであれば今更問題にはならないでしょう、と。
そう、思っておりました。
ええ、白状をいたしましょう。正直なところ、キツイ訓練ならばいつものことですし、大丈夫でしょうと。少しばかり舐めてかかっていた、と――。
「――そういうわけで、魔力の吸収によって後天的に専用の器官が造成されてるってのが冒険者の実情なわけだけど。これも一種の適応というのが私の見解」
「うっぷ」
「ああ、鈴音ちゃん。エチケット袋ならまだあるからそれ使ってね」
「はい、わかりま……おえぇ……」
通算四度目の嘔吐。昼食はおろか、朝食すらも既に全て吐き出してしまい、もはや胃酸しか出てこないにもかかわらずそれでも吐き気が止まりません。
「でも、曲がりなりにも最初から人間にあった器官ってわけじゃないからね。そういう意味では少しばかり特殊なものになるんだけど。ただ、必要だから生まれた器官だってのは間違いがないわけで」
私が吐瀉物の始末をしている様子を一切気にかけることもなく、影千代さんはそのまま話を続けます。
もちろん、この話を聞いていたから吐き気を催した、なんていうわけではありません。
「じゃあ、最初から必要とされて器官が造成された場合はどうなるのか、って思って調べてみてたんだよね。曲がりなりにもダンジョンの発現から時間はそれなりに経っているし、いやあ、探せばいろいろなケースは見つかるものだよ」
いやしかし、本当になんというか。影千代さんは周りの様子を一切気に留めていないというか。
私だけではなく陽鞠さんも既に数度嘔吐をしているにも関わらず、ほぼ気に留めることはなく。
しかし、私たちのその様子に気づいていないわけではなくて、先刻のように吐きそうになっていたらエチケット袋を使用するように、一瞬だけ言葉をかけてくださって。しかし、即座に元の話に戻られて。
「結論から言うと、生まれつき器官を持っていたって人は存在していた。ただ、結構条件は厳しくってね。両親が共に冒険者ってだけじゃ造成されないみたいなんだよね。まあ、元々人間にある器官ってわけじゃないし、そうなるのも仕方ないとは思うんだけど。あ、陽鞠ちゃん。ちゃんとエチケット袋で受けてね。後片付けめんどくさいし」
「うっぷ。……おぇ」
隣で、陽鞠さんが吐き戻します。彼女もわたくし同様にもはや胃酸しか出ていない様子。
「じゃあどういう条件でそうなったのか、ってことについては。サンプル数が少ないから確証を持って言えるわけじゃないんだけども、胎児として母親の胎内にいるときにダンジョン内の魔力の影響を大きく受けていたかどうか、ってところがおそらくの境目だと思ってる。それも、可能な限り早期の段階であればあるほど、身体への魔力器官の適合性が高い傾向がみられてる。つまり、ダンジョン内で性交渉を行って生まれた子供が一番魔力への適合性が高かったってことだね。いやあ、調べてみればいるものだね。そういうことをしてる人が」
なんだかとんでもないお話がされているような気がしますが、正直、私たちとしてはそれどころではないといいますか。
「まあ、そうなる理屈を整理していって。いちおうの私の見解としては、やっぱり適応なんだろうっていうところに行き着いたわけ。存在自体が私たちと比較して小さい胎児にとっては同僚の魔力でも影響力が大きいわけで。その分、わざわざ魔力吸収をしなくとも大気なんかからの吸収分、普通の人なら吸収した分がそのまま垂れ流しになるような微々たる量でも胎児にとっては身体を適応させざるを得ないくらいの影響を持つ、と」
せっかく説明していただいているので、なんとか耳を傾けてはいますが。……できれば後でもう一度説明していただいたほうが、いいような気は。
「そして、似通った現象は君たち冒険者にとっても発生するだろう? もちろん、魔石なんかからの魔力吸収もそのひとつだし。それ以外にも――そう、ダンジョン深層へ足を踏み入れた際に引き起こされる魔力酔いだ。はい、鈴音ちゃん、吐くなら袋の中にねー」
「おぇ……」
もはや胃酸すら出てこなくなってきました。それでも吐き気はせり上がってきて、とてつもなく、苦しい……。
「魔力酔いは現在本人が適応できている魔力濃度以上の環境に身を置いた場合に大気中から吸収する魔力が多すぎて、超過分の自然放出が間に合わずに引き起こされる現象。つまりこれは、見方を変えてみれば、魔力吸収で行われていることと同様の現象であるとも言える」
私も陽鞠さんも満身創痍になりながらに、なんとか影千代さんの言葉を聞きます。
「じゃあ、魔力酔いを引き起こしている状態で諸々のトレーニングを行うことができれば、より効率がいい。ただ、ダンジョン内、それも魔力酔いを起こしているとなるとそれなりに深層であり更に危険な状況下で、三半規管を始め、諸々の感覚がぐちゃぐちゃになる魔力酔い状態でトレーニングを行うということは自殺行為」
パチン、と。影千代さんは両の手を打ち合わせながらに、ひとつ間を置いて。
「というわけで私が作ったのは、人為的に魔力酔いを引き起こすための装置。潤沢な魔石などの資源は必要になるけど、その代わりにダンジョン深層並の高濃度魔力環境を再現することができるっていう代物だよ。気に入ってくれたかな?」
「うっぷ……」
「あ、疲れて倒れるならうつ伏せになることをオススメするよ。仰向け状態で嘔吐したら窒息しちゃうかもだからね」
私たちがせり上がる吐き気に歳悩まされている傍らで、影千代さんは軽い口調でそう言ってくる。
そう。私たちの身に現在起こっているのは魔力酔いのその症状。
そんな状況下で魔石からの魔力吸収やあるいは魔力操作。スキルの使用や身体の動作などを要求されています。正直、めちゃくちゃにキツイです。
特にキツイのは魔力吸収。ただでさえ体内に魔力が過剰に滞留してしまっているところに、更に魔力を吸収する……という。字面だけを見るとなにをやっているのかと聞きたくなる所業です。
「というか、景さんは大丈夫、なんですね」
「いや、私も最初は鈴音ちゃんたちと同じように嘔吐してはいたよ? まあ、そこまでひどくはなかったけど」
曰く、これまでの冒険者としての経験の有無――詰まるところが、深層階への適応具合の差や。そもそもの魔力への馴れの程度の差などが作用していたのだろう、ということ。
それらが少なかった分だけ、私たちはなお苦しい目にあっているとのことです。
なんて考えているうちにも、気持ち悪く……おぇっ……。
ただ、嫌な話が。この苦しさの大きさが、純粋に悪にしか作用していないわけではなくて。
本来適応していない魔力環境に強制的に適応をすることで魔力量の底上げを行うという訓練である都合、身体への負担の重さがそのまま成長度合いに比例します。本当に、嫌な話ですが。
実際、同じ環境に身をおいているはずの月村さんや海未さんは魔力酔いを引き起こさず、あっけらかんとしていて。それから、隣にいた影千代さんについても同じ様子で――、
「うぇ、影千、代さんも、なんで、平然、と」
「そりゃあ、自分自身でもこれを使ってるからね。戦うのは苦手だけど、魔力の研究をする立場として保有してしてそんなことはあんまりないし」
なるほど、たしかにそれは道理でしょう。
しかし、それならこの苦しさも体感しているわけ、ですよね? と。そんな私の考えを汲み取ったのか。彼女はピッと人差し指を立てながらに。
「たったいっときの苦しさだけでリスクなく強くなれるのなら、随分と安いものだと思わないかい? もっとも、私が技術提供をした相手の多くはそのいっときの苦しさよりも、手軽かつ楽に強くなれる方法を好む者が多かったけどね」
ははっ、と。小さく笑いながら言う影千代さん。しかし。その手軽さ、楽さの代償については――、
「……まあ、コイツが自分自身に試したやつの中では比較的マシになってるとは思うぞ。なんだかんだで改良はしてるだろうからな」
月村かんが、ボソリとそう付け加えます。これで、マシ?
「まあ、昔に私たちがやったアレに比べたら、ねえ。もちろん昔はどうだった、とか。そういうことを言うつもりはないけども」
海未さんも、ちょっとばかし遠くを見つめながらにそう言って。
あの、えっと。その。
つまり、これよりキツ――、
ええっと。はい。
「が、頑張ります……おぇ……」
あんまり、難しく考えないことに、しました。
想像、したくないですし。ええ。
Tips:魔力酔い
自身の処理可能な魔力濃度以上の環境に身を置くことで発生する症状。
過剰な魔力が体内に滞留することにより身体機能や知覚などに異常をきたすというもの。
起こっている事象だけを取り上げると、魔力吸収と類似している。ただし、コントロール性や魔力の経路確保などの差異もある。
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