65-3 Side琉華
部屋の外には見張りがいて、ルカはため息を零した。
昨日の夜、先代巫女に呼び出された部屋に通されてから、ずっと見張られている。この部屋が離れの一室だとは知っているが、何もない。床の間に生けた花も、書物や小物、着物を片付ける棚も、何もない。部屋の中にいた方がマシだと思えるのは、見張りの一人が女性で、部屋の外に出る時は必ず付いて来るからだ。
どこへでも付いて来て、最低限の場所以外は引き止められる。
逃げ出したいが、武器を取り上げられて隠された。
今のところは何もされていない。大人しく従うフリをして、隙を見て武器を取り返そうと思っているが、全く何も起きず、規則正しく食事をして寝ていた。
先代巫女だけでなく、別の部屋に連れて行かれたルイも会いにくる気配がない。
呼び出した先代巫女に放置されて、もうすぐ一日が経ってしまう。
やりたいことはあるのに、行動が制限されて歯がゆい。早く行方不明のヨルを探しに行きたい。イオにだって会いに行きたくて、話は途中だった。
灯の名前を出した途端に、戸惑っていたイオを思い出す。
数日前、灯を見て驚いていたトウゴやピヴワヌの反応と、少し似ていた。誰のことを言っているのか分からないと、顔に書いてあった。
黒髪の少女を思い出せば、何故か心が沈む。
名前を呼んで下さい、と悲しそうに微笑んでいた。喉まで何か言葉が出そうになるのに、それ以上が続かない。名前を知っている気もするのに、その名前が思い出せない。
思い出せないと考えたところで、知っている人だった気持ちが増した。
込み上げた感情に右手は口元を覆い、心臓が五月蠅くなる。
「そんなこと…あるわけないだろ」
口に出して言わなければ信じられなくて、外の見張りに聞こえないように呟いた。
知っている少女のはずはない。灯にそっくりな少女なら、忘れるはずがない。灯は何度もルカを助けてくれた。一緒の時間を過ごして、同じ家で暮らして、助けて助けられた。
一瞬だけ頭が痛くなって、身を縮める。
記憶を失ってからの灯は、どこか遠くの存在になってしまった。よそよそしく話をして、会いに行っても困った表情を浮かべる。以前の話をしても分からないと首を横に振り、トシヤと話したいという顔をしているが空ぶっている。
シンヤに会いに行くと言い、その結果はどうなったのか。
水の精霊であるフルーヴがいれば、水鏡でガランスの状況を知れた。トウゴとピヴワヌを見つけたのか聞けたのに、それは無理だ。ルカは精霊の姿が見えない。ピヴワヌやフルーヴが力を貸してくれているのは、精霊と心を通わせる存在がいたからだ。
「俺、頼ってばかりだったな」
情けなくて、悲しくなった。足を崩して後ろに転がり、瞼の上に両手を置いた。
助けているつもりだったのに、助けられてばかりだ。本人の力は弱くても、その周りに力が集まる。その中心にいた少女を想えば、ルカの名前を呼ぶ声がした。
空耳だ。傍には誰もいない。
灯はガランスにいるはずだと思いながら、天井を瞳に映した。
イオに会う前に、挨拶した時の灯はルカの名前を呼んだ。記憶を失ってから改めて名前を教えたから、名前を呼ばれても違和感はないはずだった。
名前の呼び方の違いに気が付き、横向きになって何もない空間を見つめた。
「何がどうなっているんだよ」
独り言に、答えはない。
悶々として考え込み、見張りの声が聞こえて身体を起こした。
誰かが来た。見張りと話していて、思わず身構え袖の中のクナイを探る。取り上げられていたから何も掴めず、いつでも駆け出せるように身を低くした。
「ルカ様」
「その声…ノノか?」
「はい。お迎えに上がりました。お部屋に入っても、よろしいでしょうか?」
礼儀正しい対応に、小さく返事を返す。
廊下と繋がっている障子が開き、外の冷気が忍び込む。外の空は黄昏時で、まだ明るい。見張りの姿が障子越しに見えたが顔を見せず、腰を落として頭を下げていたノノが言う。
「失礼します」
「ああ」
お盆を持って部屋に入り、静かに障子を閉める。
黒い着物を身に纏ったノノの雰囲気が、いつもと違った。表情がなく、淡々として傍に寄る。ノノと二人きりの部屋は静かで、駆け出そうとしていた体勢を直した。座り直して正座して、お盆に乗っていたお茶と和菓子を差し出された。
「どうぞ。召し上がり下さい」
断れる空気がなく、仕方なく手を伸ばす。
表面はカリッと、中は柔らかな口当たりの和菓子は甘い。小さく琥珀色のお菓子を一つだけで済ませ、湯呑を両手で持った。熱いお茶で火傷しないように、ほんの少しを口に含む。
たった一口で、あまりにも渋くてむせた。
何とか湯呑を床に置き、咳き込んでノノを睨みつける。
「お前――これっ!」
「申し訳ありません」
ルカの言葉を遮ったノノは無表情で、何故か恐ろしかった。
得体の知れない何かが背後にいるようで、身を引いた。
「申し訳ありません、ルカ様」
繰り返した言葉が機械的で、身体から力が抜けて倒れた。呼吸が乱れて、視界が歪む。近くにノノが座っているだけなのに、冷めた目をしてルカを見下ろす。
息苦しくなって、涙が滲んだ。
何を飲ませたのか。お迎えに来た、と言った意味は何か。聞きたいことはあるのに、声が出ない。目の前にいるノノには手を伸ばせず、誰にも助けを求められない。
朦朧とした意識の中で、派手な音が遠くから聞こえた。
後ろを振り返ったノノが驚いたのは分かった。予想外のことが起こっているようで、それはルカも同じだ。灯が記憶を失った日から、何かが欠けて狂ってしまったのだろう。
ルカは心臓を押さえて、ルイの名前を呼んだ。




