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Last Crown  作者: 香山 結月
第3章 雪明かりと蠟梅
323/507

65-2

 石段を上った先で、ヨルが僅かに石をずらした。

 行き止まりであった天井には、四角く薄い石。敷地の中の庭園、その中の石の一つであり、その石をずらして地上に出る。雪の積もった景色の中では白が多く、吐いた息も白くなる。見回りに気付かれないように日本庭園の中では身をかがめ、大きな池の近くにある低いツツジの影に亜莉香達は隠れた。


 池に架かった真っ赤な橋を越えれば、ひっそりと佇む建物。

 その中にイオがいるはずだが、会いに行くのは難しい。出入口には二人の男性がいて、遠目からでも腰には日本刀が差してある。一人は両手に息を吹きかけて温め、もう一人は辺りに視線を巡らせて、どちらもヨルに近い年齢に見えた。


「どうする?」


 ヨルは問いかけ、後ろにいた亜莉香やヒナを振り返る。


「イオの部屋の前にいる二人に気付かれたら、他の連中に気付かれるのは時間の問題だ」

「私達の姿を見られなければ問題ないわよ」


 すぐには答えなかった亜莉香の代わりに、ヒナが言い放った。

 扇を取り出そうとして、素振りで終わる。身を低くしたまま、肩に掛けていた黒い着物を頭に被って、その姿が消えた。


 足跡だけは残り、男性達の真横に回ると、音もなく一気に距離を詰める。

 微かに舞った雪と足跡だけが、亜莉香には見えた。

 両手を温めていた男性が不意に意識を失い、前に倒れる。もう一人が日本刀を抜く前に、驚いた顔をして同じように前に倒れた。


「おいおい、気配を読めよ」

「弱いな」


 ヨルとピヴワヌの独り言のような台詞は、聞かなかったことにする。

 倒れた男性二人の傍にヒナの姿が現れ、頭から被った着物を肩に掛け直した。亜莉香を見るなり、顎で入口を指し示し、早く来いと無言で訴える。

 ヨルとフミエを先に行かせ、亜莉香とピヴワヌは周りを気にしつつ足を速めた。

 全員が揃ってから、ヨルがゆっくりと扉を開ける。


 十畳の畳の和室に、少女は一人で座っていた。

 唇を噛みしめて、青白い顔のイオは顔を上げない。鮮やかで煌びやかな赤い着物とは対称的に、表情は暗くて固い。くせ毛の髪を丁寧に結い上げて、紅色の髪の髪に挿してある髪飾りは、可愛らしい丸い椿のみ。

 ヒナが扉を閉め、一歩前に出たヨルが言う。


「イオ」


 名前を呼ばれて、ようやくイオは顔を上げた。

 深い緑の瞳にヨルの姿を映して、涙が浮かぶ。


「…ヨル?」

「数日見ない間に痩せたか?」


 立ち上がろうとしたイオが、前のめりに転びそうになった。靴を脱いだヨルが慌てて駆け寄り、小さな肩に両手を置く。


「大丈夫か?」

「ヨル。本当にヨルなのね」


 存在を確かめるように、イオはヨルの着物の袖を握った。

 小さな身体は震えているが、その瞳に光が宿る。ヨルしか見えていないイオは泣かないように、必死に言葉を重ねた。


「もう…帰って来ないかと思ったの。ヨルがいなくなって、不安になって呼び戻したルイとルカも、ノノも先代に呼ばれて帰って来ない。精霊達は私の傍からいなくなって、昨日からずっと、ずっと一人ぼっちで――」


 段々と声が消えたイオは顔を伏せる。

 背中を擦るヨルは優しく、大丈夫だと繰り返した。


「心配かけたな」


 素直に頷いたイオが動かず、ヨルも動かない。亜莉香達には気付いていない様子に、隣にいたヒナが、微笑んで見守っていたフミエの背中を押した。片手ながら無理やり前に出たフミエは驚きながら振り返り、腕を組んだヒナに、行きなさい、と小声で促される。

 戸惑うフミエと目が合い、亜莉香は苦笑いをするしかなかった。

 迷いつつも、フミエは畳に上がる。

 そっとヨルの隣に腰を下ろすと、気配を感じたイオが身を起こした。


「フミエも、来てくれたのね?」

「はい。イオ様」

「ありがとう」


 お礼を言われたフミエは横とは言え、ヨルより少し後ろだ。首を横に振ったフミエの為にヨルは横にずれ、場所を空けた。正座していたフミエに近くに寄るように言い、イオは恥ずかしそうに問う。


「ちょっと甘えてもいい?」

「…私に、ですか?」

「今だけだからな」


 迷ったフミエの代わりに、ヨルが優しく答えた。

 イオは思いっきり腕を伸ばす。抱きついて、倒れそうになったフミエの胸に顔を埋める。バランスを崩しそうだったフミエの身体は、ヨルがさり気なく支えた。


 声を上げて泣きたいのを我慢して、イオは耐える。ヨルと同じように大丈夫だと繰り返すフミエの声だけが、部屋の中に響いた。


 邪魔をしないように亜莉香は黙っていたが、その瞳に赤い精霊が映った。真横から現れて、赤い精霊はふわふわとイオの傍に向かう。一つの光だけかと思いきや、青や黄、赤系の色が多いが色とりどりの精霊が次から次へと部屋の中に現れて、思わず隣のヒナを見た。

 平然としているヒナの着物の袖の隙間に、まだ精霊が隠れている。

 クスクスと笑う声がして、精霊ではなくヒナに訊ねる。


「連れて来たのですか?」

「勝手に付いて来たのよ」

「どれだけ連れて来ているのだ」


 呆れ返ったピヴワヌの言う通り、数十の精霊が飛び回る。部屋の外へ出ては行かず、多数はイオの傍に寄り、その残りは遊ぶように宙を舞った。

 精霊に話しかけられたイオが、顔を上げようとする。

 そのタイミングと同時に、大きく咳払いをしたヒナが話し出した。


「いい加減、話を進めていいかしら?」


 暫しの無言の後、イオは身を正した。


「ヨル、フミエ。お客様とお話しさせて」

「ああ」

「分かりました」


 心配そうに頷いたヨルとは違い、フミエは静かに立ち上がる。部屋の隅に移動しようとしたフミエをヨルが引き止め、イオの横に座り直した。イオとヨルの間では肩身が狭くて居心地は悪そうだが、亜莉香が口出しできることはない。

 フミエを少々可哀想に思いつつ、亜莉香とヒナは靴を脱がなかった。


「…お上がりに、なるかしら?」

「結構よ。そんな余裕はないの。ついでに、こっちもね」

「儂らをこっちと呼ぶな」


 イオの提案を拒絶したヒナに対して、ピヴワヌが小さく付け加えた。

 ヒナを見たイオは眉をひそめたが、見定めるように見つめた後は亜莉香に視線を向けた。亜莉香と、その肩にいる兎を見て、背筋を伸ばして言う。


「アリカさん。お久しぶりです。そちらの…肩にいる方は?」

「私と契約している、精霊のピヴワヌです」

「お主のことは話に聞いているから、名乗らなくていいぞ。リーヴル家の巫女」


 偉そうな態度のピヴワヌが言い、亜莉香の肩の上で立ち上がった。


「癪だが、小娘の言う通り儂らに余裕はない。ルイとルカには会ったのだな?」

「ええ、でも…何と言えばいいのでしょうか。話をする時間は少なかったのですが、アリカさんの名前を間違えて、少し違和感は覚えました」


 ヒナがいるせいか子供らしくはなく、声が固い。ピヴワヌが精霊であるせいか丁寧に、困ったように微笑む表情は大人びていた。


「私の、勘違いかもしれませんが」

「勘違いなどではない。あの二人は、アリカのことを忘れている。一から説明はせんが、それだけ念頭に置いて儂らに協力しろ。そのついでに、お前達を助けてやる」


 言い方はぞんざいだが、手短に伝えてくれたことに亜莉香は感謝した。

 まずはルカとルイを助けに行く。先代巫女と、闇を宿すもう一人を特定して会いに行き、動きを封じて、レイと戦う準備を整える。

 何も言わないヒナは、話し合いを亜莉香に任せていた。

 頭の中で計画を確認して、説明を続ける。


「私達には捕まえたい相手がいます。そのために、この土地にいる人達に力を貸して欲しいのです。それはリーヴル家の対立にも関係していて、上手くいけば、この土地の闇を払って、対立を失くせるかもしれません」


 可能性の話で曖昧なことしか言えなかった。

 先代巫女が闇を宿していることも言えない。亜莉香は完全な部外者だ。それでもイオに手を貸し、行動すると決めた。


「この土地にルイさんとルカさんがいるなら、お二人にも協力して欲しいです。今の私や、ピヴワヌでは相手にされません。イオちゃんやヨルさん、フミエさんの言葉なら、二人に届くはずです。例えそれが無理だとしても、それならそれで、お二人が危険な目に遭わないのならいいのです」


 亜莉香は両手を揃えた。


「改めてお願いします。私達に力を貸してください」


 軽く頭を下げた亜莉香に倣って、ピヴワヌも微かに頭を下げた。

 部屋の中にいた精霊達が騒がず静かになる。助けてあげて、と誰かが言った。その声は亜莉香に向けたものなのか。イオやリーヴル家に向けたものなのか、分からない。

 声が聞こえているのは、限られた存在だけだ。


「顔を上げて下さい」


 イオが小声で言った。


「護人や精霊様が頭を下げないで下さい。巫女である私は、その願いを聞き捨てることはしません。白き兎を従える緋の護人の言葉を信じて、精霊様の御心に従います」


 凛とした声に顔を上げ、亜莉香の瞳に巫女であるイオの姿が映る。

 夢で見た先代巫女と同じような、迷いのない眼差し。部屋に入った時の雰囲気が消えて、巫女として力強い光を感じた。


「こちらからもお願いします。リーヴル家の闇を払って下さい」


 正座をしていたイオは両手を畳の上に添えると、深々と頭を下げた。ヨルも軽く頭を下げて、フミエも慌てて続ける。驚いた顔をしていたフミエは、亜莉香が護人であること知らなかったに違いない。

 深く息を吐いた亜莉香に、沢山の精霊も力を貸すと言ってくれた。

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