64-3 Side寄
二人きりになると気まずくて、ヨルは箸を手に取ろうとしてやめた。
食欲が失せ、何も食べたくない。隣のフミエは手を伸ばせば届く距離にいるのに、顔を伏せている。居心地が悪くて逃げ出そうにも、外は寒くて他に逃げ場がない。
正座をして、改めてフミエに向き直った。
「…フミエ」
名前を呼んでも反応して貰えず、泣いているように見える姿を見せられると困る。
小さい頃から、フミエの泣き顔には弱かった。弟であるルイもよく泣いていたが、それ以上にフミエは泣く。ちょっとしたことで泣き、慰めるのがヨルの役目だった。
幼い頃なら先々代の所へ連れて行き、頭を撫でたり、泣き止むまで傍に居たりした。こんな風に目の前で泣かれるのは、先々代が亡くなって以来は一度もなかった。成長するにつれ、泣く回数は減って、先々代の所へ行く回数も減っていたと今更なことを思う。
長年の想いを告げたのは数か月前で、恋人同士だと公言していない。
アリカやピグワヌにこそ今回の件があって伝えたが、他に知っている人物と言えば、妹のイオぐらいだ。ルイは感づいていても不思議じゃないが、他には教えていない。
先々代がいたら、迷わず相談も報告もした。
両親より可愛がってくれた先々代の存在は、ヨルの心の中で大きかった。フミエに対する想いと同じくらいに、どんな時も道を指し示してくれる存在だった。
生きていたら、と余計なことを考えた。
身体を動かせずにいると、フミエは言った。
「さっきの、アリカさんは、先々代様のよう、でした」
話し出したはいいが下を向き、途切れ途切れの声だった。
「そうだな。昔に、先々代様が同じことを言っていたな」
上手く話せないフミエの代わりに言えば、小さくも頷き返された。
覚えておきなさい、といつだって見守ってくれた先々代の顔が蘇る。優しくて温かくて、大事なことを幾つも教えてくれた。
私は、と呟いたフミエが、意を決したように顔を上げる。
「私は…ヨル様の傍にいたら、邪魔になりますか?」
その瞳は潤んで、今にも涙が零れそうだった。必死に泣かないように我慢して、両手は膝の上で強く握る。
「邪魔になるなら一人で姿を消します。誰にも迷惑をかけたくありません。でももし私がヨル様の邪魔にならないなら、傍に居てもいいと仰ってくれたら、会って話がしたいです」
お互いに見つめ合い、何か言おうとして言えなかった。
「周りが何を言おうと、私はヨル様をお慕いしています。離れたくはありません。こんな私は邪魔で、顔も見たくはありませんか?」
繰り返された質問に、身体が勝手に動いてフミエを抱きしめた。
細い腰に腕を回して、離さないとばかりに力を込める。強く抱きしめても痛がる素振りもなく、フミエはじっとヨルの答えを待つ。
数分前の自分は間違えた。
申し訳ない気持ちが溢れるのに、質問に答えられない。
「今のリーヴル家は不安定だ。イオと仲良くしているだけで、両親も親族も、先代もフミエに目を付け始めている。だから俺は――フミエを危険に晒したくない」
「いつも危ない目に遭っているのは、ヨル様の方です」
息を吐いたフミエは、ゆっくりと落ち着きを取り戻す。
「私はヨル様を苦しめたくありません。それは私の正しいことです」
正しいことと言った時、フミエは震えていた。
先々代とアリカに言われた言葉が胸を占め、苦しくなる。正しいことが分からなくなる。ヨルの心情など知らず、フミエは続けた。
「傍を離れたら、一人では幸せになれません。それでもヨル様が本当に私と離れることを選ぶなら、私はそれを受け入れます」
いつも泣いていた年下のフミエが言い、ほんの少しだけ身を寄せた。
ごめん、と零れた言葉で離れる前に、言葉を重ねる。
「ごめん、フミエ。俺は家族を手放せない。けど、フミエには傍に居て欲しい」
本心が隠せなかった。身勝手だと分かっている。辛い思いをさせると分かっているのに、隣にフミエが居て欲しいと、離れたくないと思ってしまった。
「俺はフミエを傷つけるかもしれない。それでも二人で幸せになる道があるなら、探してみたい。それが正しいことなのか、今の俺には分からないけど。後でお互いに後悔するかもしれないけど、それでもいいか?」
不安な声に対して、そっと背中に回った腕がヨルを抱きしめ返す。
顔を埋めたフミエが顔を隠して、何度も首を縦に振る。
「はい。お傍に居ます」
消えそうなくらい小さかった声が、ヨルの耳に届いた。
いつか離れようと思っていた感情が消える。腕の中にある温もりは、決して手放してはいけない。それだけは正しいことなのだと、確信した。




