第0話 最初の花
最後に二番艦と交わした雑談は、食堂の加熱器が壊れたというものだった。
『そっちは温かいものが出るか』
通信席の白猫は、艦橋の時計を見てから返事を打った。
出る。ただし今朝と同じ煮込み。
送信して、隣の操舵席へ目をやる。黒い犬の操舵員は画面を見たまま、鼻先を少し持ち上げた。
「何か来た?」
「食事の苦情です」
「そっちまで受け付けるなよ。うちの分でいっぱいだ」
連邦外縁調査船団は、海王星の軌道の外へ進んでいた。
窓の代わりに外を映す正面画面には、星の点と、青い海王星が小さく見える。船団の各艦は間を空けて並び、遠方の探査機が最後に異常な観測値を送ってきた場所へ、観測装置を向けていた。
行って、調べて、帰る。
白猫がこの航海へ志願したとき、説明された仕事はそれだった。地図の空欄を埋める船だから、帰るときには自分の見つけた何かが増えている。長い留守の言い訳に、それを使うつもりでいた。
観測席で、短い通知音が鳴った。
「前方に反応。探査機の記録と合います」
艦長が椅子から身を起こした。垂れた犬耳の片方を手でよけ、拡大された映像をのぞき込む。
白猫も通信の窓を小さくした。
暗い棒のようなものが、いくつもあった。
映像が鮮明になるにつれ、それぞれの端に同じ形の突起が見えた。長さも、並び方も、偶然とは思えないほど揃っている。
「船か」
「登録にありません。船団への通知もなし」
観測員は照合をやり直した。
白猫は先に送信先を開いた。ここまで来られる船を何隻も持ちながら、連邦の航行記録に残らない相手など、聞いたことがない。
「呼びかけます」
艦長がうなずいた。
「こちらは連邦外縁調査船団。前方の艦船へ。こちらの通信を受信できますか」
自艦とほかの調査艦の位置を送り、調査目的も添えた。
返事を待つ間、使える別の周波数にも同じ呼びかけを載せる。相手がこちらの言葉を知らない場合に備え、惑星の位置と船の進路を図にした画像も用意した。
その画像を送る前に、黒い船が動いた。
一本、また一本。細長い船体の先端が、揃ってこちらへ向いてくる。
操舵員の手が操作桿の上で止まった。
「艦長」
「接近をやめろ。船団にも伝えろ」
白猫は船団の回線を開き、退避の指示を送った。
二番艦から受信確認が返ってきた。加熱器の相談をしたばかりの相手だ。
正面画面の端で、その二番艦が白く光った。
爆発ではなかった。
船腹の一か所から、細い線が外板の継ぎ目を走っていく。線は角で分かれ、板を留める場所を次々とたどった。壁を這う蔦に似ていたが、広がるのが速すぎた。
「二番艦、船腹に異常。そちらの状態を――」
返事が入った。
声になる前の息と、何かを倒す音だった。
船腹の板が一枚、持ち上がる。
その隣の板も外れ、船体を内側から支えていた短い骨材が、折れた端を光らせて飛び出した。外板と骨組みの破片が別々に回りながら広がり、その中心から、船内の灯りが見えた。
通路だったところに、もう壁がない。
白猫は呼び出しを押したまま、相手の名前を口にした。
耳には何も返ってこなかった。
何十もの白い破片が、黒い空に弧を描いた。
花に見えた。
そう思った自分が、ひどく嫌だった。
「全船、退避! 同じ方向へ固まるな!」
艦長の声で、白猫は指を動かした。震えて、隣のキーに触れた。押し直す。
黒い犬が操作桿を倒すと、船の向きが変わり、青い海王星が画面の外へ滑った。
「接近物、複数!」
「破砕砲、迎撃!」
船体を通して、鈍い振動が椅子へ伝わった。
岩や破片を砕くための砲が撃っている。画面では小さな光がいくつも走ったが、敵の側から来る反応は消えなかった。
後方の三番艦が救難信号を出した。
「機関停止。乗員の退避を始めています」
白猫が報告すると、艦長は航路図へ顔を寄せた。引き返す道を探しているのだと分かった。
次の瞬間、三番艦の船尾が開いた。
長いアンテナが外れ、その下の白い板が、根元から抜けた歯のように飛び散った。
救難信号が途絶えた。
艦長はしばらく、口を開いたままだった。
白猫は待った。救助艇を出せと言われれば、その回線を開くつもりだった。もう間に合わないと、自分の画面で見ているのに。
「木星中継局へ」
ようやく出た艦長の声は低かった。
「記録を送れ。今すぐ」
「救援を要請しますか」
「警告を先に。接近するなと伝えろ」
白猫は長距離送信の画面を開いた。
持ち帰るはずだった観測記録が、日付ごとに並んでいる。それらを閉じ、直前の映像、相手の位置、こちらの呼びかけを選び取る。
「先に撃ったのは向こうだ。交信への応答はない。それも入れてくれ」
艦長が言った。
白猫はうなずき、送信を始めた。
画面の下で、記録の一つに送信済みの印がつく。
受信の確認が返るまで待っていられる距離ではない。届くことを信じて、次を送り続けるしかなかった。
足元で、硬いものがはじけた。
床板を留めていたねじが、靴へ当たった。
白猫は思わず足を引いた。床の継ぎ目が浮き、黒い隙間の向こうから、空気の流れる音がした。
「そのまま送れ」
艦長は、もう自分の席を離れていた。白猫の背後へ来て、座席の固定帯を引き直した。
何の役に立つのか分からなかった。それでも肩を押さえる手があると、指を動かせた。
最後の映像を選ぶ。
画面の中で、黒い艦隊はまだ整然と並んでいた。白い破片がいくつも広がる向こうで、一隻もこちらの呼びかけに答えなかった。
白猫は送信した。
食事の苦情が残る通信履歴も、その記録の中に入っていた。
*
木星圏に届いた警告は、迎撃艦隊へ配られた。
調査船とは違う、厚い装甲と大型砲を持つ艦が並び、記録から学べる限りの準備をして敵を待った。密集しない。接近を許さない。損傷した船は後ろへ下げる。
それでも、敵を止められなかった。
木星から退いたあと、火星で組み直された戦列にも、同じ警告が届いていた。
今度は背後の港から、住民を乗せた輸送船が出ていた。軍艦が一隻沈むと、空いたところへ次の艦が入った。埋める船がなくなるまで、輸送船のための時間を作った。
月へたどり着いた最後の避難便は、大勢の人を降ろした。
その船を守っていた艦隊は、帰ってこなかった。
最初の遭遇から十年が過ぎても、黒い艦隊が何者なのか、なぜ撃ってくるのか、獣人たちは知らないままだった。
敵の大部隊は火星圏にとどまり、少数の艦を地球と月の方へ送り出していた。毎回同じ数ではない。来る間隔も揃わない。監視が途切れるたび、次こそ大部隊かもしれないという警報が出た。
そのたびに、月の港では、出ていく船を止め、帰ってくる船の場所を空けた。
十年目のある朝も、接岸予定の船が一隻、港へ向かっていた。
乗客は四十二名。
職員食堂では、白狼のシラと白兎のラビが、短い休憩を取ろうとしていた。




